第六十二回:口笛と私


鼻歌は自分のためにある。
歌のへたくそな私にとって、口笛は「鼻歌」なのだ。他人に聞かせるための ものではなく。

その日は、演劇初出演の日だった。お客さんから 2,500 円を頂き、 時間を割いてもらい、観てもらう。それに見合うレベルの真面目な劇に、 ミュージシャンという立場ながら参加する。心が躍る。

今回の劇には「釣り」というモチーフがところどころに出てくる。 そしてラストシーン。滅びてしまったいろんな人が思い出されるように ふっ、ふっ、と現われ、楽しそうに釣りをして、そして消えてゆく。 そんな儚げな絵の後ろで、コーラス隊が「釣りに行こう」を歌っている。 そんなシーン。

「釣りに行こう」は The Boom の曲なんだけれど、矢野顕子がアルバム Love Life で カバーしているバージョンもあって、私はそれが大好きだ。歌詞がまた、 今回のシーンにぴったりで、「昔まだ私はとても小さくて、その頃の君ときたら 寝てばっかりいた。よく釣りをした。魚がひいたって君はやっぱり知らんぷりで 寝てばかり。目が覚めると嘘ばっかりついて、でも私はいつも騙されたふりを していた。今出会ってもやっぱり眠りの途中なんだろうか。釣りに行こうよ。 雨が止んだら、いつもの場所に迎えに行くから」そんな感じの、どこか 切なさのある詩。

その日はとても良い天気だった。 石川町の駅で降り、山手ゲーテ座への道をてくてく歩きながら、ふと気付くと 「釣りに行こう」のメロディを口笛で吹いている、というのは私にとって すごく自然なことだった。 ゲーテ座に到着。楽屋へ。もうすぐ始まるゲネプロ、そして夜には本番。 衣装を合わせる人。ウォーミングアップをする人。部屋中が緊張や期待に溢れていて 楽しくなる。ふと口笛が出る。やっぱりそれも自然なこと。

と、前に座っていたコーラス隊のお一人が「口笛、良いですねえ」と一言。

何気ない動作、例えば、指先でボールペンをくるくる回していたら(俗にいう浪人回し というやつだ)、隣にいた人に「そ、それは一体どういう芸当ですか。是非教えを 乞いたい。弟子入りしたい」と言われたらどう思うか。いやその、こんなの 誰でもやってるじゃないですか。 人様にお見せして喜んでもらうとかそういった類のものではないので云々… てなことを思いませんか。私も思った。だからそう言った。

そんなことはない、と反論が返ってきた。実際私はそういう風に吹けない。 見なさい、と言って掠れた音ですぴ〜という音を出す彼女。だいたい口の動かし方が 違うわよ。

口の動かし方。口笛で。そんなこと思ってもみなかったぞ。だんだん話が 大袈裟になってきた。いやそこまでお気づきならば仕方が無い。全てを明かそう。 実はこの私、口笛を研究して十数年、その道ではちょっと名の知られた存在なのぢゃ。 本日は複式呼吸からビブラート、吸って音を出すテクニックを併用した ノーブレスでメロディをつなぐ高等技術まで、私の持てるテクニックの全てを 手取り足取り伝授いたそう。え、口笛に手足は関係ない?喝!そこへ座るのぢゃっ! …てなホラを繰り広げようかなーと思ったけれど、演劇本番当日である。 皆様準備で忙しく、なんとなく話は終わってしまった。ように見えた。 相手にされなかったとも言う。

ちゃんと衣装も付け、何かトラブルがあっても止めない、というように 本番とまったく同じように行うリハーサルをゲネプロという。で、そのゲネプロの 直前。バンドでいうとバンマスに当たる演出家より呼び出しがかかる。

「りおさん、さっきの口笛ですけどね」
うお。聞いてたのね。
「あれ、いー感じじゃないっすか」
へ?いやその。どもども。
「入れてみましょう。最後の『釣りに行こう』で」
うええええ!?

鼻歌なのである。例えばお風呂でぐでーっとなりながら吹くものなのである。 メロディが途中で破綻しようと、音が掠れようと、音域が足りなくていきなり オクターブ下にすっ飛ぼうと、音痴だろうと、音量が小さかろうと、 そんなことは知ったこっちゃないのである。口笛というのはそういうもののはずだっ。

滅びゆく街の中、一人ぽつりと取り残された青年が、既に死んでしまった少年に 出会う。「誰?」「受け入れるべき現実、受け入れるべきかくある世界」「えっ?」 そして劇中、一番最後のセリフ「…おれと、釣りに行きませんか」 の直後、どこからともなく口笛のメロディがすっと聞こえてくる、それに コーラスがかぶってくる、そして最後にコーラスがフェードアウトしてゆき、 口笛だけが残る…というのがリクエスト。 なんか大事な役目ではないですか。掠れたり音痴だったりするとマズいだろうし、 キーを大きく外しちゃったりするとコーラス隊にまで被害が及ぶ。そんな重いものを 任せちゃって良いんでしょうか。鼻歌なんかに。という本人の心配をよそに あっさり入れることが決定。

これ、なんだか妙な緊張感があります。例えば二百人の人間が四方から見ている 中で浪人回しをやるところを想像して頂くと近い…のか?よくわからんが。

必要なのはキーの確認方法と、もちろん唇のケアである。キーの方は 出番直前に楽屋で MD を聞いて確認後、大急ぎで舞台袖でスタンバイする、 という方法で乗り切ったが、舞台袖に行くとまったく別な曲が BGM として ガンガンかかっていて、うぉぉ〜せっかく確認した音がぁぁ音程がぁぁぁ消えて ゆくぅぅぅという状態。二日目は音叉機能もある電子式メトロノームを イヤホンで聞く、という手段に改良した。唇はもうリップクリーム塗りまくり。 塗り過ぎると良くないんですかね?終わる頃には口紅付けてんのか?というぐらい なんか真っ赤になってしまった。こんなことなら最初から、ふっくらうるおう、 もちろん落ちない資生堂ピエヌでも塗っておけば良かったのでしょうか梅宮さん。

観に来てくれた友達何人かに後から話を聞いたところ、取り敢えず客席にも 聞こえてはいたらしい。心配した音量の点は大丈夫だったようだ。

上記文章を読み返してみると、

気付いてなかったけどオレの口笛って実はすごいんだぜ これからは口笛のプロと呼んでくれ

とでも言わんばかりのナニヤラ思い上がった文章に見えなくもないんだけど、 幸い、なのか残念ながら、なのか、とにかく私にとって口笛は相変わらず 自分のための、肩肘張らない、無責任な鼻歌だ。 上手いわけじゃないけど、別にいい。

今日も暖かくて良い天気で、昼休みに会社の近所を散歩しながら サイモン・アンド・ガーファンクルの Feelin' Groovy を口笛で吹いていたら、 乳母車を押したお母さんとすれ違った。その時、あ、その曲知ってるわ、 という顔でお母さんがにっこりした。 そんな瞬間には、人に聞かせる鼻歌ってのも悪くないと思いますけどね。はい。


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