第五十回:ハードロックと私


私の家から一番近い駅は結構大きくて、 駅のそばにはちょっとした広場があったりして、 そこにはいろんなミュージシャンが出没する。そりゃもういろんなヤツがいて、 すっげー上手いレゲエバンドからすっげーヘタなフォーク・デュオまで、 いろんな音楽を聞かせてくれる。

その日現れたのは、ハードロックバンドであった。まだ演奏が始まっていなかった けれど、私はハードロックバンドであると確信した。髪の毛が金色だったし、 尖がったヘンな格好のギターを抱えていたし、ドラムは 2 バスだったし、 全員痩せていた。見まごう事無きハードロックバンドである。

ストリートにしてはかなり大掛かりな機材で、ミキサー卓などセットしてあり、 それを操作する専任者までいた。スタッフは揃いの T シャツを着用している。 なんだかすごいぞ。見物人も随分集まっている。待てよ、ひょっとして実は大物か? 有名人が来たりするのか? ヒロミ・ゴー・ゲリラ・ライブの向こうを張って、 GORO こと野口五郎辺りが有力なセンか?

演奏が始まってみれば、結局当初の予想通りハードロックであった。 ここで「愛がメラメラ」でも始まれば私の評価も違ったであろう。しかし。

ドラマー。なってない。そこへ座れっ。座ってるか。

音が負けている。ハードロックドラマーたるもの、つまみをちょいと捻れば 簡単に大音量の出せる電気楽器に囲まれた過酷な環境の中で、 そいつらに負けない、いや圧倒せんとする音を絞り出さねばならんのではないのか。

オープン・リム・ショットという奏法がある。スネアドラムのリム(外側の縁だ)と ヘッドを同時に叩くことで、非常に輪郭のはっきりした、よく通る音を出せるのだが、 彼のセッティングを見るとスネアが随分低くセットされ、 リムショットを決めるためには手首を不必要に深く曲げなければいけなくなっている。 さらにチューニングもやけに低く、音が抜けてこない。ああいう「ばすっ」という ロー・チューニングをマイキングなしで上手く聞かせるのは難しい。 叩くフォームも、かなり派手に踊るように叩いており、派手なのはよいのだが、 それで下半身が今一つ不安定なのはいただけない。

と、私は自分の心の中に持つ広い広い棚に己をどっかと載せながら、勝手なことを 考えていたのだけれど、ふと我を省みて思うに、 何故私は見知らぬストリートミュージシャン相手に熱くなっているのだろう。 普段はもっと素直に楽しんだり、つまらなければあっさり無視しているはずだ。

私がハードロックに厳しい理由、 それは多分、私がハードロッカーだったから、である。 上述の「音が負けている」という話、あれは自分が高校生だった頃の 大きな課題でもあった。どうやったら 負けない音が出るか。音が遠くへ届くか。埋もれない音が出るか。目立つか。 結果がどうだったかはさて置いて、そんなことを真剣に考えていたあの頃。

もちろん、過去形だ。今や私の評価といえば「おしゃれなフュージョン・ドラマー」 とか「グルーヴィなファンク・ドラマー」、ひょっとすると「渋いジャズ・ドラマー」 辺りであるはずで「音量だけのハードロック・ドラマー」などとは 全く思われていないはずである。 はずだよなっ。そうだと言って。ねえみんな。嘘でもいいから。よよよ。

昔演ってたからってそんなに熱くなることないじゃんよー、とぶつぶつ自分に 文句を言いつつ、その「昔」を思い出していた。本格的にバンドでドラムを 叩き始めたのが高校一年生の頃。 そして高校二年の頃から大学に足を突っ込むぐらいまでの時期、 一番傾倒していたのはハードロックだった。ちょっとフュージョンやフォーク、 ポップスなどのバンドも手伝いながら、メインのバンドはいつもハードロック。 ドラムもさることながら、ギターが好きだった。

ハードロックというと、一般の方には「なんかうるさい音楽」とか、その他 「たくさん金属のついた重そうな衣装」「叫ぶ」「生きた鶏を食う」「火を吐く」 「ギターを壊す」「どくろ」「悪魔」「恐い」など、 ちょっと如何なものかと思われる誤っ…誤ってはいないかもしれないが 偏った印象で語られてしまうことも多い。

思えば大学一年生、軽音楽サークルに入部し、サークル会員名簿が配られ、 その中には各人の住所氏名に加えて、好きな、あるいは嫌いな音楽ジャンル等に ついて一言述べる欄もあり、現嫁の一言は 「へびめたはちょっとぉ」(原文のママ) であった。失礼な。ちなみに私は 長髪+ジーンズ(もちろん超スリム)+T シャツ(もちろん黒、ヘビーメタルバンドの ロゴ入り)というファッションを未だ引きずっていた頃である。人生摩訶不思議。

でもね、結構メロディックだったり泣きが入ってたりもして、 「R&B はクールよね」とか言いながら酔っ払うとついカラオケで「天城越え」を 歌っちゃう日本人 OL の心を捉えかねない部分もあると思うんですよ。 ハードロックには。

実際、こんな体験がある。

高校生の頃、元々は American Top 40 にチャートインするようなポップスを レパートリーとするバンドを演ってたことがあって、私はそこでギターを 弾いてて、私以外はみんな女性だったのだけれど、 その割にはあまりウハウハな状況にはならなかったんだけど、 うーんなんでならなかったんだろう、不甲斐ない、不甲斐ないぞっ、高校生の俺っ、 って今そんなことに怒ってもしょうがないんで置いておいて、 三年生になるころには レパートリーがマイケル・シェンカー・グループとかになっていた。 元はといえば多分それを持ち込んだ私が悪いんだろうけれど、バンドメンバーからは 「より強い刺激をカラダが求めた結果こうなってしまった」という生々しい証言も 得られている。特にそのバンドのヴォーカリスト嬢、最後には別のバンドで レインボーとかクイーンズライチとか歌うまでに成長したのだ。 それを成長と呼ぶかどうかは別として。

傾倒した原因はなんだったのか。その謎を解くべく、その頃愛聴していたバンドの CD を二枚ほど買い直してみた。 レインボーとオジー・オズボーンのベスト盤。 上記「一般人の印象」の言葉を借りれば、 ギターを壊す人のバンドと生きた鶏を食う人のバンドである。ってこういう書き方を するからますます印象が歪むのか。

まぁ大した期待もせずに、レインボーを CD プレイヤーに放り込み、 そばにあったギターを抱えながらぼんやりと耳を傾ける。 Man on the Silver Mountain。Stargazer。懐かしい曲が流れてくる。 まずいなぁ。実にまずい。ロニー・ジェイムズ・ディオのパワフルなヴォーカルが 心に響いてしまう。スティーヴィー・ワンダーとか、ソウル系の上手い人たちには 本当に感激するけれど、それとは違う何かがある。なんだろう。

そして Kill The King。

なんでそんなん覚えてんの。 思わず関西弁で自分の指にツッコんじゃいましたよ。あたしゃ。 リフとリフの間に挟まる細かいオブリガードまでが勝手に自動演奏されておる。 いや演奏しているのは自分なんだけど、次はどういう展開だっけ、フレットは どこだっけ、とか思い出す前に勝手に指がそこへ行っている。

次のオジーがまた。低音弦をミュートした「ごんごん」という単音+中高音弦の 「ぎゃっ」という和音の組み合わせという、ハードロックの王道ともいうべき ギター・リフに心が躍ってしまうのである。何故だ。Shot in the dark を、 Over the mountain を聞きながら動いてしまうこの首と顎はなんなのだ。 Bark at the Moon に合わせてドラムを嬉々として叩くこの俺の顔はなんなのだっ。 うわっ、ブレイクでスティックを回すなーっ。 いや私じゃないんですこの腕が。その勝手に。あああ。

いったいこの私の何処に、ハードロックに反応するという 不可思議な習性が刷り込まれているのか。全ては謎に包まれている。

最近、人間の設計図とも言える遺伝子情報をすべて解読するという壮大なプロジェクト 「ヒトゲノム計画」において、22番染色体に含まれる遺伝子暗号配列の解読が 完了した、というニュースがあったけれど、私のヒトゲノムを解読すると 例えば「リッチー・ブラックモア」なんてのが入っているのではないか。 そして「生きた鶏を食う」が入っていないことをただ祈るばかりである。

嗚呼、渋いジャズドラマーへの道は、果てしなく遠い。


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