第四十回:レギュラー・グリップと私


レギュラー・グリップという言葉を御存知だろうか。

ドラムのスティックを握る方法の一種である。 右手はまぁ普通に握るのだけれど、左手が変わっている。 親指と人差し指の股でスティックを挟み、人差し指と中指をスティックの上側に かぶせ、薬指、小指はスティックの下側に添える。言葉で説明するのは難しい。 強いて言えば、お箸を持っている様に似ていなくもない。 まぁ何も知らない人に「ちょっとこの棒を握ってごらん」とお願いした時に 絶対そうは握らないだろう、という持ち方である。 逆に、いきなりそう持つヤツがいたらそれは変わり者なので 近づかない方がよろしい。

この珍妙なフォームの、いったいどこがレギュラーなのだ。

元々は行進しながら小太鼓を叩くために編み出された奏法である。 小太鼓を身体の正面に構えると、足が当たって歩きにくい。そこで身体の左脇に 構えることにした。さてそれを、普通にスティックを持った左手で 叩こうとすると、極端にひじを曲げたような不自然な腕の形になってしまう。 そこでこの珍妙な握り方が開発された、という経緯である。

という経緯であるから、歩くわけでもなければスネアを左脇に抱えるわけでもない ドラムセットに向かう際にはレギュラー・グリップなんて使う必要はないはず である。腕の構造を考えても通常の握り方(左右素直に同じ握り方をするやり方を マッチド・グリップという)の方が合理的だし、リーチも稼げる。なのであるが、 どっこいレギュラーは生き残っている。例えばジャズ・ドラマーの多くは 今でもこのグリップを愛用している。つまりジャズ・ドラマーには変わり者が多い。

というわけではなくて、いや待てよ、ひょっとしたら多いかもしれないが 取り敢えずそれは置いておいて、モノの本を紐解いてみると、

左右違う握り方をすることによって、左右のコントラストを活かしたフレージングが 可能になる、とか
左右が違うので脳の使い方が変わり、それがフレーズに影響する、とか
ロールなど細かい表現はレギュラーの方が得意、とか
前後の移動に強い、とか

まぁいろんな理屈があるようである。 だがしかし。私の考えるレギュラー・グリップのメリットとは、 ずばり

かっちょいい

こと。これに尽きる。ミュージシャンはかっちょよくなきゃいけません。 この握り方、なんというか、こう、如何にも「ちょっとドラムにはうるさいぜ」 という雰囲気を醸し出しますね。ああ、画面の前で皆さんがうなずいているところが 私には見えます。そうでしょうそうでしょうかっちょいいでしょう。

想像してみて欲しい。あなたがドラムの初心者だとする。あなたには大好きな 女の子がいるとする。女の子は音楽が好きで、ミュージシャンが好きで、 ドラマーだなんて言った日にゃメロメロである、とする。

いや仮定ですから「そんなことありえない」なんて突っ込まないでください。 わかってますから。そんなこと現実にはありません。ええ。身を持って知ってます。 知ってますとも。 ドラムはもてません。そうです。ライブの後。ヴォーカリストの 「今日はありがとう!」。観客の歓声。手を振るギタリスト。 花束を受け取るベーシスト。その影でドラマーは バスドラの向こうにしゃがみこんでせっせとペダル外したりしてるんですから。 とほほ。

閑話休題、 そしてそこになぜか存在する一台のドラムセット。スネアドラムの上には スティックが。あなたはここで男を上げねばならない。スティックを 手に取るほかないのです。ただ手に取っただけでは素人だとバレてしまうし、 かといってスティック二本を右手に持って「菜箸」とか、そういう低級な、 ギャグとも認められない虚しい所業は絶対に避けねばなりません。

そんなあなたに、レギュラー・グリップ。

その独特なフォームで握ったスティックをスネアの上でタララッと転がし、 「ああ、木の音だね」などと謎の言葉を残して立ち上がる。 どこから見ても玄人である。ごらんなさい。彼女はメロメロ。 えっ、「ねぇそれってどういうこと?」などと突っ込まれたらどうするのか、って? それはその、なんだ、「木製シェルのドラムには、金属製とは違う独特の柔らかさと いうのかな、暖かみのある音がするんだ。ところで昨日のヤクルト-巨人戦だけど」 という感じで躱せば良いんじゃないでしょうか。

多少レギュラー・グリップへの思い入れに奇妙なバイアスがかかっているような気が しないでもないが、こうなってしまったのには訳がある。それは「刷り込み」 だろうと思う。ドラムこそ我が青春、だった頃に多くのドラマーに出会ったけれど、 その中でも印象深いのがデイヴ・ウェックル、東原力哉、 スチュワート・コープランドの三人。 幸か不幸か全員がレギュラー・グリップの使い手である。

初めてテレビを通して見たチック・コリア・エレクトリック・バンドのライブ。 ウェックルの演奏は人間業とは思えない素晴らしいものであった。 その頃の私には複雑すぎて細かいことは全然わからなかったのだが、 凄さだけは衝撃的に体感した。

東原力哉氏は先輩ドラマー数人がファンだった影響で「力哉コピー合戦」に 巻き込まれ、いつしか自分も気に入って聴くようになったのだった。

そしてコープランド。The Police のコピーバンドをやったおかげで 随分コピーしたものだ。8 ビートにおいてハイハットを素直に 8 つ叩かず、 細かいオカズで彩りを付けていくプレイには影響されたものだ。

そんなわけで、レギュラーグリップというのはかっちょいいのであった。 私にとって。だから私はそれをマスターしてかっちょいいヒトに ならねばならなかったのであった。

上述のように、一風変わった「普通そうは握らないでしょう」的な握り方であるから、 最初はまともに使えない。小技が得意、なんて教則本に書いてあるけれど とんでもない。マッチド・グリップなら簡単に出来そうなことが全然出来ない。 大きい音も出ない。リム・ショット(打面の中ほどと枠の部分を同時に叩いて ヌケの良い大きな音を出すテクニック)もなかなか決まらず、決まると今度は 親指が痺れてきたりする。何をやってもしっくり来ない。

なら止めれば良いのに、嗚呼馬鹿な私は「かっちょいい」という信念だけで レギュラー・グリップを使い続けたのだ。馬鹿の一念は岩をも砕くという。 数ヶ月後、ついに私はレギュラー・グリップをごく自然に使えるようになったのだ。

どのくらい自然かというと、洋食屋でナイフとフォークが出てくると、 つい無意識のうちにフォークをレギュラー・グリップで握ってしまい、 それなんか変だよと一緒に食事をしているヤツに指摘され、 そのまま持ち換えるのも悔しいので グリップに関する蘊蓄を食事の間中語り続け、それだけでは飽き足らず「僕と 一緒にレギュラーグリップしてみないか。愛の証の為に」などと誘ったりして 二度と食事に誘われなくなるぐらいである。 ところで、結構最近、マニアックな話は時と場合と相手を選ばなければいけないと 思うようになりました。もう少し早く気付くべきだったのかもしれません。

今思うと、なんというか、かわいい痩せ我慢だったと思う。 一時期は半ば無理矢理、ロック、ジャズ問わず 七割方レギュラー・グリップを使っていた。 残念ながら最近は寄る年波に勝てず、いや年は関係ないんだけど、 強烈なバックビートを叩きつづける場合に手への負担が軽いのはマッチドなので、 レギュラーの割合もずいぶん減っていた。 レギュラーならではの位置に出来ていた豆もいつしかほとんど消えていた。

そこへ、Police セッションのお誘い。Police と言えば上述のスチュワート・ コープランド。彼を降臨させる機会が再びやってきたのだ。 コープランドと言えば学食の昼飯(*1)。じゃなくて、もちろん一も二も無く レギュラー・グリップである。 レギュラー・グリップじゃなきゃ降臨しないのである。

そんなわけでレギュラーで、喜び勇んで激しい曲をずがんずがん叩いていたら あっという間に水脹れが。 でもやっぱりこの握り方じゃなきゃ気分出ないもんね、と痩せ我慢して 叩き続けていたら、つぶれてべろんと皮がむけた。 痛いよう(*2)。って馬鹿である。

セッションの後は当然ウチアゲであるが、好物の唐揚げを注文し、 運ばれてきた美味そうな御姿と香しい芳香に我を忘れ、 一気呵成に激しくレモンを絞ったらレモン汁がつぶれた豆を直撃し、 痛さのあまり「ぅおぉをーぅいぃぃ」("を"から"い"までの四文字分はファルセット) という奇怪な声を上げつつのた打ち回るという悲劇に襲われた。 喜劇だったらしいが。

まったく、痩せ我慢なんて一つも良いことはないのだ。

考えてみれば、いや考えてみるまでも無く、別に全然もてなかったしさ。


(*1) その頃都立大の学食には「A ランチ」「B ランチ」「コープランチ」という セットメニューがあった…って説明の必要なボケを書いてすみません。もうしません。

(*2) レギュラーで激しく叩くことで手が受けるダメージの大きさは、コープランド 本人が左手をぐるぐる巻きにテーピングしながら叩いていることでも良く分かる。 このシーンは名作ビデオ「THE POLICE SYNCHRONICITY CONCERT」で確認することが 出来る。


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