第二十八回:オーディオと私


CD プレイヤーが壊れた。

CD を入れても「NO DISK」とつれない返事を返してくる。 入れ直しても駄目。レンズのクリーニングも効果なし。 しかしプレイヤー本体の横面を殴ると渋々読み始める、という 実に人間的な壊れ方である。

長年(と言っても七〜八年か)連れ添った愛機である。そうそう簡単にあきらめて 新機種の導入を決定しても良いものだろうか。良いのだ。今回の私はまったく 迷わなかった。

前回の私はどうだったか。
前回はアンプとカセットデッキが昇天なされたのであった。ちょうど一年ほど前 だっただろうか。

アンプという機械は、例えば一部で真空管がもてはやされたり、ヴィンテージ市場が 形成されたりしていて、必ずしも「新しいほど良い」という製品ではないように 思う。

また、カセットデッキに関しては、いまさらカセットでもないだろう、 金を掛けるのも惜しい、もうしばらくがんばってくれ、といういささかみみっちい 思いもなかったわけではないのだが、いや実はかなり強く思っていたのだが、 カセットデッキというマシンに対する思い入れも深いものがあったのだ。

その昔、中学生の頃。私的第一次オーディオブーム。いや、今に比べれば 世間でもオーディオは十分人気のある趣味だったのだが、 私の最大の興味の対象はなぜかカセットデッキであった。 一番「機械」を感じさせたからかもしれない。 アンプやスピーカはモータがくるくる回ったりしないし ドアが開いたりもしない。メンテナンスが必要な部分もあまりない。 録音ボリュームを調整したり、はたまたハデなメータが ぴくぴく動いたり、そんな七面倒なカセットデッキに私は惹かれた。

カセットデッキのカタログというのがまた幼心の興味をそそった。 各社が謳いあげる最新技術はどれも素晴らしく見えたものだ。 私はこの手の技術的なカタログやマニュアルに、やけに弱い。 熱心にカタログを読みながらコンソメ味のポテトチップスを食らい、 カルピスを飲む、というのが当時の私の至上の喜びであった。 いや、読む対象にバリエーションの増加は見られるものの、 ポテチとカルピスが至上の喜びであることは今も全く変わらない のであるがそれはさておき、どのくらい熱心だったかというと、 当時発売されていた各社各種カセットデッキのワウ・フラッターやヘッドの材質を ソラで言えた。ってただの変な少年ではないか。

しかしこのカタログ傾倒主義は我ながら馬鹿だったと、今しみじみ思う。 実際に音を聞く事もなく、とにかくカタログスペックが良いものが良いのだと 思い込んでいた。例えばスピーカだったら、周波数特性 20Hz 〜 20,000Hz よりも 20Hz 〜 22,000Hz の方が偉いと思っていた。アンプだったら最新のサーキットを 搭載して出力は大きく、歪みがとにかく小さいものが凄いと思っていた。 まず「聴く事」ありきという当たり前すぎる事実を悟ったのはずっと 後年のことである。

ちなみにこのカタログ、マニュアル好きという性質は 既に幼少の頃萌芽していたらしく、「ビオフェルミンの効能書を読みながら 飯を食っていた」という家族の証言も得られている。ってただの変な餓鬼ではないか。

そんなこんなでお金を貯めたり親のスネを骨が出るまでかじったりして 入手したアンプとデッキであったので、ぽいと捨てるのも気が引ける。 修理を依頼するべくメーカに電話をしてみたのだが、購入したのが 16 年前。 古すぎて修理不能という回答で泣く泣く手放したのであった。

前回と今回の違いは、対象が「ここ数年で格段の進歩を遂げているデジタル機器」 であったことだろう。新しければ良いはずだ、と。さらにこの一年の間にアンプ、 スピーカを新調したので、CD プレイヤーも、という思いもあり、全く迷いが 無かったのだ。こいつはサブのシステムに組み込んで、引き続き殴ってやろう。

というわけで、横浜某店にて厳格な試聴の結果、新顔がやってきた。 結局それまで持っていたプレイヤーの同ラインナップ、同ランク (もちろん何世代も新しいのだが)のモデルになったのだが。

果たして音は違うのか。実は、そんなに大きな期待は持っていなかったのだ。やはり音を決めるのはスピーカだ、それ以外のコンポーネントの変更が劇的に効くとは思えない。 ましてや同じメーカ、同じランクの製品だ… ところが変わったのだ。確かに同傾向の音だが、一番大きく変ったのは定位。 一つ一つの音像のピントがぐっとシャープになり、定位する位置も安定した。 なんともめでたい。思わずいろいろな CD をとっかえひっかえ聴く単純な私であった。

オーディオとは何であろうか。

音楽を聴く手段であり、道具である、というのがかなり一般的な見方か。 特に楽器演奏者は、音にはうるさいはずだが、 「本物の音は出ない。生演奏の完全な再現は不可能」と割り切り、そこそこの レベルで折り合いを付けてオーディオと付き合っている向きも多いと思う。 多分私もそういう一派であると思う。

しかし、本当の意味で「オーディオが趣味」であるということはちょっと 違うのではないか。ホンモノのオーディオファイル、マニアたるもの、 アンプ、スピーカ等オーディオ機器はもちろん、ケーブルにもメートル十万単位の 金をかけ、買う CD は優秀録音盤のみ、愛聴盤は「日本の自衛隊」や 「爆走!SL機関車」などでなければならぬ。 目標は原音を凌駕する、原音より魅力的な再生音、といったところか。 オーディオが「音楽再生を目的とする手段」という立場から独り立ちし、 オーディオそのものが目的である人たち。

それはそれで、面白い世界だとは思うのだ。 実は、上記の CD プレイヤーで弾みがついて、アンプとプレイヤーを接続する ケーブルに、普段の私では考えられない額(と言っても数千円なのだが)を 投資してしまったのだが、わずかながらもその効果が分かった瞬間、何やら 違う世界に足を踏み出そうとしている自分に気付いてしまったのだ。

でも自分はきっとそちらへ歩いていくことはないだろうと、なんとなく思う。 技術の粋を尽くしたシステムから出る、魅惑的に味付けされた ハイ・ハット・シンバルの音も悪くないかもしれない。 けれど自分が愛しているのはやはり、自分の左足の微かな力加減で くるくると表情を変えるハイ・ハット・シンバルなのだ。

…などとかっこいいことを言っているが、まずその前に金がない。とほほ。


▲ 音楽と私 に戻る

▲ INDEX Page に戻る