第二十回:血液型と私


私は天才である。 で、血液型は信じていない。

いや、だって、とあるバンドでご一緒しているパーカッショニストの O 君が酒の席で こう言うのだ。りおさん、自分のこと天才だと思ってるでしょ。

いや、んなこたー思ってないよー、と返すと、今否定するまでにちょっと間があいた。 言いよどむということはやっぱり思ってるんだよ、とくる。で、極めつけがこれだ。

りおさん、B 型でしょ。

なんでそこで血液型なんだよ〜。他人の血液型を決め付けるんじゃないっ。

ところで、B 型というのは妙に変わり者扱いされている気がするのだけれど、 気のせいだろうか。「マイペース」「わがまま」「気分屋」「感情表現素直」 「好きなことしかやらない」なんて辺りは良く聞くところ。ちょっと人と変わった 行動を取るとひょっとして B 型? なんて聞かれたりして、それが本当に B 型 だったりした場合あーやっぱり〜そうなんだよねーうんうんって納得するなよ。 ほんと、B 型の人は可哀相である。同情を禁じ得ない。

だまされてはいけない。どんな人間だってわがままな瞬間はあるし、 ぽろりと感情がこぼれることもあるではないか。うむ。そうだ。 実際俺の周りにも黒塗りアフロが趣味という A 型の人間がいっぱいいるし。 まったく占いというものは。あは。あは。

なんか笑いに力がないな。

さて、私は天才であるかという問題だが、天才というか、俺ってやるぢゃんと 思ってしまう時はあるんだよな。ああ恥ずかしい。

もうはっきりしてるけれど、私は天才ではない。だから、俺ってやるぢゃんと 思った次の週にはセッションでどえらく上手い人に出くわしたり、 ものすごい CD 聴いちゃったりして鼻をへし折られてぷしゅーとツブれていたり するわけである。自分のドラムをやるぢゃん!と気に入っている時間はぷしゅーの 1/10 ぐらいだろうか。いや計ったことはないけどさ。

しかし、世の中ってなんでこんなにドラムの上手いやつがいるんだろう。 多分アメリカ辺りにはドラム虎の穴があってドラマーが量産されているんだろうと 睨んでいる今日このごろ。ぐあー、すげーヤツが出てきたなー、なになに、 デニス・チェンバースだ? なんて言ってる舌の根も乾かぬうちに、今度は デニチェンを笑顔で完全コピーしつつ自らのテイストをプラスしちゃったような ヤツが現れて来る。頼むから 3 年ほど進歩止まってくれないかな。 ドラムのテクニック。

1/10 っていうのが良いバランスかどうかは良く分からないんだけれど、 「自分のプレイを気に入ってやること」と「自分のプレイを客観的に見て、ダメな 部分をダメと認めること」ってのは双方重要なことだと思うわけです。 かーっ気持ちいーなー、サイコー! と感じることが全然なくて、 完全に卑下しちゃってる状態では演奏してて楽しくないだろうし、 俺って天才だよなーと思い続けるなどという幸せは真の天才にしか許されていなくて、 凡才がそれをやれば周りに人がいなくなるだけである。

なんてまとまったことをのうのうと書けるほどずうずうしくなったわけですが。 最近は。年食ったんでしょうか。

昔は、というと思ってました。俺は天才だと。とほほ。高校の頃はそんなに練習 しなくても 8 ビートぐらいは叩けたし、ギターも、エレキを持って半年ぐらいで 人前で演奏したし、これを天才と言わずして何と言おう、と。お前は天災だっつーの。

まぁ、今「俺ってやるじゃん」と思う瞬間というのも、このとほほな高校生時代と 根は同じなのかもしれんと思うと、進歩のなさにがっかりという側面もある。 調子に乗りやすいという部分は何も変わっていないということだ。

けれど、 音楽演ってて「決まったぜっ!」と思える瞬間はやっぱり嬉しいし、大事にしたいと 思う。今は綻びだらけのこの自分の演奏が、素直に自分で好きだと思えるようになる ということは、私の夢の一つなのだ。

「調子に乗る」→「ぷしゅー」→「ちょっと奮起」→「ちょっと克服」 →「調子に乗る」…というサイクルはまぁみんな似たようなものだと思うんだけど 違うのかなぁ。三歩進んで二歩下がるというか。最近は二歩下がったところで 倒れてしまい、倒れたついでにお茶など飲んでいる時間が長いような気もするが 忘れよう。

てなことを 3 秒ぐらいの間にくるくると考えてたから言いよどんじゃったんだよ、 O 君。分かって。

あ、ところで私、B 型です。


▲ 音楽と私 に戻る

▲ INDEX Page に戻る