第十七回:ジャズドラムと私


困った。ジャズが叩けない。

ジャズといっても広い。ここで私がいうジャズは極めて狭義な ジャズである。いわゆるハードバップという枠組みで良いだろうか。 こんなものを「ジャズ」という言葉で括ってしまうと マイルスに喝を入れられそうだが彼は死んだので構わず行くことにする。

ある人曰く

「ジャズのリズムは『食い』である」

と。「食い」だ。美味いのか。ってそうじゃなくて、 シンコペーションあるいはアンティシペーションの話である。 お前、ドラムソロの直後、アタマにシンバル入れるだろ、アレは 食ってないわけだよ、と説明されてははぁと思う。 またある人曰く、

「ジャズのリズムは『揺らぎ』である」

と。なるほどテンポの違いによって裏の三連 (「ちーん・ちっき・ちーん・ちっき」の「き」のこと)は 八分に近くなったり(ちんちきちんちき)十六分に近くなったり (ちーーん・ちっっき・ちーーん・ちっっき)するな。 またある人曰く、

「ジャズのドラムはベースの刻む四分音符の上に自由に舞い踊るのである」

と。舞い踊るかどうかは知らぬが、確かにベースの上に乗っかってるイメージは あるな。逆にロックなどではドラムが下にいるイメージがある。 音符もロックより自由に散らされている感じはするな。

で、何を叩けば良いのだ? お説ごもっとも。だったらてめーが 叩いてみろっ! 泣きながら地団太踏んじゃうぞっ。

ところで地団太ってなに? 辞書によると「くやしくて、足を強くふみならすこと」 と書いてあるな。ということは「地団太を踏む」というのは…

いやそんなことはどうでもよくて、

とはいえこれでも昔に比べれば随分ジャズっぽくなったのだ。って一部には 大笑いされそうですがホントなんですよ。とほほ。

初めてまともにジャズを演奏したのはついこの間の大学四年の時だ。 その時の戸惑いは今も思い出すことが出来る。

なにしろ、何というか、さっぱり分からないのだ。

それまでに関わってきた音楽、ロックやフュージョンでは、 いくら難しかろうが「何を叩けば良いか」という手本、雛形、 ガイドがあったのだ。パターン。そして「二拍四拍」。 オリジナル曲を演る時も、例えば 16 ビートね、と言われた時に、 まずこれを叩いておけば曲になる、細かいことは後から考えればいいや、 というパターンがその時点で既知だった音楽にはだいたい存在していた ものだが、そもそもこの「パターン」がないようなものだ。

どうしろってんだ。ちきしょうめ。

雑誌には「このフレーズはジャズ演奏に役立つ」なんてパターンの 紹介があって、それを練習してみたりもしたが、 はて、それをどこで使うのかわからない。 パターンとしてそれを叩き続ければ音楽として変なのは ジャズ初心者の私の耳にも明らかであった。

そのころの私の頭の中では「リズム・パターン」と「フィル・イン」が カッキリ線引きされ、その二つでドラム演奏が出来上がってるという 認識しかなかった。

つまりワタシの取った道は「パターンぢゃないならオカズだ」である。

曲中を自分の知る古今東西のオカズ、スティーブ・ガッドからイアン・ ペイスまで、東原力哉からコージー・パウエルまで、で埋め尽くし、 オカズとオカズの間にちんちきちんちきという 4 ビートっぽいレガート をお情け程度に入れる、というものだ。

この頃の自分の演奏は、喜ばしいことに、いや残念ながら残っていないが、 さぞや華やかだったであろう。 なにしろピアノトリオ。レパートリーはスタンダード。 “いつか王子様が”の中にボンゾのオカズ。隣に部室のあるジャズ研の 人が覗きに来てあきれて帰ったその気持ちも今は分かる気がする。

いや、そういうレベルからはいくらなんでも多少進歩したけどさ。
つーか、したと思いますよ。
と言いますか、したと言えなくもないと申しましょうか。
換言致しますと、していないとは言えない、という表現も出来ましょうか…
…ああっ俺はダメだぁダメなやつだぁ(ぽかぽか)。

当たり前なんだけど、結局、聞かなきゃわからない。 演らなきゃわからない。 まずはジャズにかけてる時間の絶対量が足りないんだろうな。

某 A 氏「百枚を一回聴くより一枚を百回聴くべし」
某 B 氏「笑止。百枚を百回じゃい」

というやり取りをどこかで見かけた記憶もあるが…

楽器で会話、なんて良く聞くフレーズであるが、 もう少しジャズ語が上達すると楽しいのかなと思ったりする。 英会話みたいなもので、「勉強して」「実際に使えば」 段々ものになるのかしら。だと嬉しいのだが。

ってその前に俺、英会話全然ダメなんだけどさ。


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