恋文



 彼がどんなつもりで抵抗も制止もしなかったのかハボックには判らなかった。一時の激情が過ぎるとやけに不安になった。尋ねてもどうせはぐらかされるだけで、彼は答えはしないだろうとも思った。
 なので替わりに何度もキスをして、何度も好きだと彼に告げる。彼が少なくともその意図を取り違えはしないように。

 痛みがそこにあることに焦がれる。まっさらで傷のひとつもないなんて、そんな歪な潔白さは信じられない。皮肉気な冷笑や鋭利に眇められる眦や、ふとどこか遠くを眺めやるような視線。それらの奥にあるものを、ずっとハボックは知りたかったのだ。
「好きです。……好きだ」
「───…うる、さい」
 シャツを肩まで引きずり下ろされ、艶のある黒髪を絨毯の上に乱され、こんな状態になってから初めて彼は口を開いた。互いの熱のボルテージと反比例するように、最初の言葉が叱責であったのでハボックは苦笑する。
「いい…加減にしろ、少、尉」
「何がですか」
「うんざり、だ。…もう聞き、あき…」
「足りない、全然足りてないですよ。それとも言われ慣れてるのかな、あんただったらありそうすね。好きだとか、愛してるとか、腐るほど言われて慣れすぎちまってそうだね」
 下肢をさぐる指に力を入れると、ひくりと彼の喉が仰け反った。なんて綺麗なラインだろう、とハボックは半ば見とれる。無意識の内に親指で顎から喉の窪みまでをゆっくりとなぞり、舌でまた確認するようにその線を舐め上げる。
「ア、…あ」
 既に彼は二度、ハボックは一度、それぞれの熱を放っていた。だがまだ、ハボックは彼を最後まで暴き立ててはいなかった。そうするにはあまりに彼は清冽であるように見えたからだ。
 自分でもこの考えは陳腐で笑えた。怖気づいた男の言い訳だと言われても仕方がない。
 普段の上官に対して、これほどセクシャルな意味合いの気持ちを持ってはいなかった。まったく男って生き物は。おそろしく即物的で単純に出来ている。
「大佐、…ねえ大佐」
「…、……」
「好きだ。どうしよう。…あんたの事しか考えられない」
 膝の裏に腕を差し入れ、大きく身体を割り開く。耐え切れないように彼が横に顔を伏せた。目尻が潤んでいるのは焦らされ続けた生理的なもののせいだろうが、ハボックはその初めて見る彼の姿にうっとりと見愡れる。
 恋だなんて。
 思ったことはなかった。
 ただ、自分の過去も未来も、全てが見えざる手に鷲掴まれ、自分が思う以上に意味がないと知らされただけだった。彼がいなければ。世界に、この男がいなければ。
 あれは恋だったんだろうか。あの瞬間に、自分は恋なんてものに陥っていたんだろうか?
 それとも単にこの欲望に、キレイな言い訳が欲しいだけなんだろうか。
「大佐……」
「──だから、いい加減にしろ…ッ なんだって、お前はベラベラ、喋ってないと気が済まないんだ…!」
「知ってて欲しいから。大佐が、こんなことしてる相手が俺だって。ねえ、この指が」
「…ン、ぅあ」
「俺の指だって、…ちゃんと判ってる?」
 奥に潜り込ませた指を、ほんの少しズラして揺さぶる。立てさせた彼の膝が震えた。毛足の長い絨毯の上で、逃げるように腰が動く。
「ダメですよ、もうダメだ。ここまできて逃げるなんてなしだ」
「ひ、う…!」
 三本目の指をぐいと突き入れる。もう片方の腕で腰を抱き寄せて動きを封じる。思いの他にそれは苦しかったらしい、彼の腕が上がってハボックの胸を押した。拒絶というほどではない、とっさの衝動のようだった。
 慣れて、ないのかな。
 少し不思議な気持ちでハボックは思う。口では横柄なくせに、彼の反応はいたいけな小娘みたいで、ある種の嗜虐心をそそられた。痴態は痛々しささえ感じさせて、なのに憐憫は湧かなかった。オスの本能に火をつける仕種だった。
「……しょう、い」
 苦し気な声。でも、
「痛い? 痛くはないよね、だって」
 ここはこんなだ。ハボックは彼の欲望の徴に触り、それから自分の欲望も彼の太腿にすり付けた。俺だって余裕がないのだと教えたくて。余裕があるから口が動くんじゃない。照れて口が勝手に喋りまくってるんでもない。
 無いからだよ、余裕が。傷つけてでも殺しそうになっても、止められそうになくて自分が怖い。
 横向きの角度で、彼の頬や額に髪が幾筋が汗で張り付く。半開きの唇の中で舌が泳いだ。誘われた気がして、ハボックは伸び上がってその舌に自分の舌を触れ合わせた。
 一瞬だけ逃げて、次に互いに絡んで、今日何度目かの熱い抱擁。
「ふ、…」
 国軍一の女タラシの評判は伊達じゃない。この男のキスは巧みだった。それだけで持って行かれそうになる。腰の疼きが限界を感じてこっちまで震えそうに。
 熱さに、神経が焼き切れる。理性を焔で塗りつぶされる。
 ハボックは指を引き抜き、乱暴に彼の腰を両手で捉えた。その豹変とも言える動きの変化に、反射で彼の身体がまた逃げかけた。引きずり戻して、身体ごと動きを封じて、ハボックは自分の熱を彼の奥にねじ込んだ。
「───あっ、アー…」
 悲鳴とも嬌声ともつかない声が尾を引いた。痛みだけではない衝撃に濡れた声。目眩に似たものを感じながら、ハボックは彼の湿った肌を抱き締める。
「ウッソ、だろ…」
「も、しょうい…うごく、な…っ」
「ムリ…凄ぇ、気持ちイイ…」
「ンッ、あ、あ」
 ようやく繋がることの出来た彼の腰を抱き上げ、無茶な姿勢をさせているのも承知で揺さぶる。イヤだ、とこぼれる声を聞いたかもしれない。やめろと、制止の言葉を聞いたかもしれない。
 無理だ、そんなのこんな快感の前で聞けるわけがない。ここまできてダメだなんて。
 気付くと、ついに本当に彼の頬が涙で濡れていた。律動につられて、鼻梁や唇にまで伝い落ちる。その唇は噛み締められ、それから堪え切れずに喘ぎを漏らし、また強く前歯で噛み締められた。
 もし、今本気で彼が自分を殺そうとするのなら。
 簡単だ、あの白い手袋がなくても燃え盛る暖炉がすぐ側にある。指を噛み切ってでも彼は練成陣を描くだろう。
 泣きむせびながら、いたいけな虐げられるだけの獲物のようでありながら。これはだから、彼の意志であるはずだ。
 快楽に振り回され、荒い自分の息を耳にしながら、あんたはずるい、とハボックはまた繰り返し思っていた。でも好きだ。タチが悪くてずるくて、身の内の痛みに喘ぐあんたが俺はきっと好きなんだ。
 自分でもどうしようもない。こんな衝動、恋だなんて思えないけれど。
 そう、喩えるなら劣情とでも。

 ───うごめく肢体に自分の劣情でサインを記して、誰に届ける気もない身勝手な恋文。
 



- end -

初稿 2004-10
改稿 2009-11



初出・[葬送]オマケペーパー