開催報告・・・政令指定都市(さいたま市)にて |
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土壌浄化法「地域研修会」開く! |
全国市町村土壌浄化法連絡協議会
事務局長 稲垣 茂 |
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鎌田浩氏 |
全国市町村土壌浄化法連絡協議会は、下水道事業に求められる効率的で合理的な事業の推進をすべく、何と首都圏において開催を試みたのです。土壌浄化法という汚水処理方法は、小規模下水道事業に最適なものとして最近各方面で話題となり、注目され始めたばかりなのに・・・何故大都市で?そこには、土壌浄化法を今もって愛する一人の人物がいたのです。その人の名は、鎌田 浩さん、元大宮市(現さいたま市)の下水道業務の係長時代に福島県南会津町(旧舘岩村)に建設された「大宮市(現さいたま市)少年自然の家」に土壌浄化法を採用された方であります。
昭和56年のことでした。まだ地方には下水道事業は無理だと考えられていた時代に、土壌浄化法という特異な汚水処理方式の情報を一早くキャッチし、土壌浄化法の利点である維持管理が容易で、しかも安価な処理方式に着目、土壌動物や土壌微生物と発生汚泥等の因果関係を実証されたのであります。現在ある公共下水道事業及び農業集落排水事業等の全国各地の実施例は、この「自然の家」の施設を見聞するところからスタートしたといっても過言ではありません。
(福島県会津坂下町等まさにその代表格)。
いま、我が国はあの夢のような高度成長期には考えられなかった、全く想定外の出来事が起きております。下水道の分野についても“大きいことは良いことだ”のムードに乗せられ、国からの縦割補助金行政の弊害ともいうべき無用の副産物的汚水処理場が全国各地に散見することができます。あの時、もっと早く、土壌浄化法に出会っていればこんな失敗は無かったのにとの言葉が、私達土壌浄化法に携わる者が、全国各地の自治体で耳にするのです。“失敗は成功のもと”の諺のとおり、身の丈に合わせた住民のために相応しい下水道事業の展開を今こそ強く求められているのではないでしょか。
今回の地域研修会の会場となったさいたま市でさえ、まだまだ解決すべき問題がたくさんあることが分かりました。それは、市街化区域の未普及地域の解消及び市全体の普及率アップを図る施策の必要性について、一日も早い解決が待ち望まれていることを知ることができました。
国が大きく動き出しました。新しい時代に入り、下水道のあり方が問われてきたのです。中央も地方も厳しい財政事情の中で、下水道の分野に打って出た策は、下水道未普及地域解消に向けたクイックプロジェクトの具現化に力を入れ始めたのです。今こそ、このビッグチャンスを逃してはなりません。都会と地方の格差、昔も今も便所のスタイルの違いから、都会と農村の若者の交流が途絶えていることに気づかなければいけません。下水道の格差社会を無くしてこそ、本当の先進国として堂々と胸を張ることができるのです。大切なことは、地方に住む下水道事業に関係する人たちの自由な発想と豊富なヒントに真剣に耳を傾け、真の下水道新時代を築かなければならないのです。
最後になりましたが、年度末という極めてお忙しい中、万障お繰り合せ、この地域研修会に住民サイドに立ち御講義を賜りました本田康秀氏、新見伸二氏、竹内昰俊氏、赤池義明氏に、改めて心から敬意と感謝を申し上げます。
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田中義郎氏 |
特筆
昭和48年当時、農林水産省の役人で農業集落排水事業に土壌浄化法の提案を受け(故 新見正氏から)、実際に実現にこぎつけた田中義朗氏が会場にお見えになり、国土交通省からお越しいただいた本田康秀氏のお話を聞き、その柔軟な発想(当時は絶対に考えられなかった)による具体的な国の施策に対し、大きな驚きと感激ひとしおのお姿を見ることができました。記念すべき、そしてすばらしく感動的な研修会の幕は静かに下りたのであります。
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開会のあいさつ |
「自由な発想を!クイックプロジェクト」 |
長野県小川村 大日方茂木村長 |
国土交通省 都市・地域整備局 |
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下水道部下水道事業課 本田康秀課長補佐 |
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「埼玉県の下水道」 |
「ばんげ方式で豊かな生活を!」 |
埼玉県都市整備部下水道課 |
全国市町村土壌浄化法連絡協議会 |
企画調査担当 新見伸二主幹 |
竹内昰俊会長(福島県会津坂下町長) |
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「住民の望む下水道をつくろう! |
「土壌浄化法の原点に立って」 |
~環境施策と下水道~」 |
土壌浄化システム開発者 木村弘子氏 |
山梨県身延町環境下水道課 赤池義明課長 |
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