2019年11月24日(日)
白市歌舞伎再復活公演 in 高屋東小学校体育館 

平成27年(2015)8月22日の開催をもってストップしてしまった白市歌舞伎。令和元年11月24日に再復活させました。再復活という言葉の意味はこういうことです。江戸時代から昭和後期にかけてこの東広島市高屋町白市という地域には「長栄座」という芝居小屋があり、芝居や歌舞伎に親しみや愛着を持つ方々が多くいらっしゃいました。昭和30年代くらいまでは上方からも歌舞伎役者を招いて上演が行われていたそうです。「長栄座」が取り壊された後も、白市地域の地蔵祭りや小学校の講堂などで村芝居は続けられていたと聞いています。それから月日が流れ平成5年(1993)、白市という場所や歴史を考えるには、芝居や歌舞伎を通して見てもらい知ってもらうのがいいのではないかと、「白市の文化を考える会」の中で地域住民が演じる「白市歌舞伎」が始まったということです。これが1回目の復活です。この「白市の文化を考える会」主催の白市歌舞伎が平成27年に止まってしまいました。
僕は高屋東小学校昭和63年度(1988)の卒業で学生の時には「白市歌舞伎」を鑑賞したことはありませんでした。しかし、大学を卒業し地元の戻り、津軽三味線の演奏活動を始めだした平成15年(2003)母校のイベントということで「白市歌舞伎」の前座で三味線を弾いています。その後役者をやっている後輩や着付けのお手伝いなどスタッフとして関わっておられる方が、三味線のお弟子さんになって行き、「白市歌舞伎」が近くなりまた僕自身「白市歌舞伎」のファンになって行ったということです。
この白市歌舞伎、平成5年の開催から毎年8月に行われています。僕が前座で三味線を弾くようになった時には、午後3時ころから小学校のグランドで「夕涼み会」というお祭りをやり、その後体育館で歌舞伎を見るという流れになっていました。夏休み小学校グランドでのイベントと体育館で行う「白市歌舞伎」が同じ日に開催されていたということです。「夕涼み会」は平成27年(2015)に「かがやく!・笑顔の!・夏祭り!」と名前と内容を変えていますが、その時の「白市歌舞伎」でストップしてしまったということになります。
僕は夏祭りや歌舞伎の前座以外にも小学校や白市地域に関係する演奏を多くやっていました。例えば、小学2年生のお茶摘み体験課外授業でお茶畑での三味線演奏。チャイルドアートというイベントでの演奏。小学校体育館で行われる敬老会、土宮神社秋祭り、大晦日の養国寺。一年を通して何かしら小学校区の人たちに会っていました。その中で多く話題になっていたのが平成27年以降の「白市歌舞伎」の動向、行く末です。話題に上りながら1年、2年、3年と行われないまま時間が経過していきました。
そんな中、5月から新元号になると発表があり、正直ここで復活させないと次の機会はないと感じていました。新しい元号のもと、何か日本的なものでお祝いし新しい時代に向かって時間も場所も人も元気にしたいと考えていました。地域のその土地の持つ力を引き出して強くする「白市歌舞伎」再復活しかないと腹をくくりました。すぐに声を掛けました。すると同じように考えている若い衆が何人かいて、再復活が始まりました。

      平成31年4月28日  ・白市歌舞伎開催を進言。その際に新組織での開催と上演日時変更を若い衆の意見として決定。
      令和元年5月7日   ・白市の文化を考える会」ならびに関係スタッフの皆様に若い衆から趣旨説明。新組織での開催、上演日の変更など承諾を頂きました。
                     ここで運営は若い衆がやることになり。今までの知識や経験は年長者の皆様に助けてもらいながら吸収していくという形になりました。
      令和元年7月7日   ・大人歌舞伎は「白浪五人男 稲生川勢揃いの場」に子供歌舞伎は「白浪五人男 浜松屋店先の場」に決まりました。

8月からは高屋東地域せんたーで毎週日曜日の18:00〜20:00が基本的には歌舞伎の稽古時間になりました。子供たちに合う着物がなく、新しく仕立ててもらったり創意工夫してなんとか間に合わせることができました。下座音楽としての長唄三味線の演奏も気持ちよく師匠方々引き受けて下さいました。
令和元年11月21日 NHKのお好みワイド生出演しました。子供たちはカメラの前でもしっかり演じました。僕はその姿を近くで見ていましたが、ただただ感動しました。そして本番、朝8時半から集まり会場作りをしました。自身も捕り手として舞台に上がりました。すべての演目が終わり役者、スタッフ一同、体育館から出てくるお客さんを待っていました。暗い体育館から一斉に出てくる人の波、みんな笑顔でした。すぐに撮影会が始まりました。いい高揚感、開放感。準備した時間や我慢した自分のすべてが溶けて昇華された瞬間がありました。一人ではできない、味わえない気持ちがそこにありました。足を運んで下さってありがとうございました。みんなに感謝。
2018年9月1日(土)
越中おわら風の盆

行ってきました風の盆。曜日に問わず毎年九月一日、二日、三日の三日間で行われています。宿を取った最寄り駅速星駅から越中八尾駅へ向かいました。駅を出るとせこくないぼんぼりたちが町中の道行きをその灯りで照らしていました。

井田川という大きな川に沿うような八尾。その中に「東新町・西新町・諏訪町・上新町・鏡町・東町・西町・今町・下新町・天満町」と井田川を挟んだ対岸の「福島」を併せた11の町が会場のすべてになります。このような公民館が各町にあるようで、人の集まる場所また稽古の場所として存在しているそんな空気を感じました。個人から個人への芸の継承と町としての芸の存在価値が実践されてい場所ということになるでしょう。



越中八尾駅から大体3kmほど登ればエリアの端になると思います。町流しや踊りの事を考えてか道幅が広くとってあり、メインの通りは電柱もなく石畳で格子や白壁の建物が多く、この町の自然や建物、それにアミューズメントパークのような地形や路地裏、雪流しの為のエンナカと呼ばれる側溝を流れる水の音、見るのも、聞くもの、すべてがおわらの情緒を支えているそうな風に思いました。
 
楽器や唄を担当する地方(ジカタ)の方々は編み笠は付けません。 踊り手たちは皆編み笠を深くかぶり踊っています。編み笠を使用することや、各町の浴衣の柄や、踊りのフォーメーションや、すべてのことが個人ではないものに向かっていることが分かります。手拍子をしたり(拍手はありますが)リズムに乗って楽しむそんな音楽ではありません。心の深いところをこのおわら節を通して繋いで行くそんな気持ちで見ていました。300年ほどの歴史があると言います、変わったところも多くあるでしょうが、目指したものは変わらないで今に続いているように感じました。


町流しを散策しながら楽しむという方法と、演舞場でのステージ鑑賞という方法があるという事で、八尾小学校グランド内おわら演舞場にも行ってきました。小学校のグランドが広いし、ステージがでかい。提灯灯りの照明に、上手に地方、下手には花道があり、25分の持ち時間の中で、その町の踊り手たちが趣向を凝らした表現でお客さんを魅了していました。ゆったりとしたおわら節の中で静的な抑制された動きの中で、日本庭園に並べられた石の配置や日本人形の持つラインの美しさ、非線形なものと線型的の組み合わせで、今まで見たことのない感じたことのないステージ表現がありました。

どの支部もプロ並みの演奏能力を持っているように感じました。どこにも隙がなく、迷いもない。練習量の多さと、指導者への信頼。自分たちの役目と町の在り方。そういったものを小さなころから心に入れてきた、そんな人たちがいるのが、この八尾なのではないでしょうか。
 
どんどん画一化されていくような今の時代に、八尾だけは別の心臓が搭載されていて、本人が気付こうが気付くまいが、心と体がこの町が受け継いできた美しいものの中で育てられ、そして一員になって行く。外から来た人、僕なんかは天女の国なんかに来たのかと思ってしまうぐらい、別次元・別空間に足を踏み入れた気分になり、感動を隠し切れなくなっていました。

特にこの踊り、男女でみせるこ混合はゾックときました。踊りは25歳までと決められているようで、みな若者といことなのですが、人間の若さを使ってもっと奥にあるものを表現している、そんな風に見えたのです。一個人の芸では到底ここにはこれないでしょう。身につける以上のものをおわらでは感じました。風の盆、良かったです。自分が目指す場所に進む為の、心の応援となりました。
2018年8月9日(木)
小林秀雄 『考えるヒント』 〜井伏君の「貸間あり」〜より

 “先日、街を散歩していたら、映画館で、井伏鱒二君の「貸間あり」を上映していたのではいってみた。無論、映画は、原作に忠実に作られる必要もないし、又、そんな事は出来ない相談でもあろうが、商売第一とは言え、これほど程度を下げて制作しなければならぬものか、と訝った。”と始まる文章。小林秀雄が映画化された井伏鱒二の「貸間あり」を見て、井伏鱒二の密室という能力をテーマに現代の映画や小説、作家のありかたについて展開する批評に、初代高橋竹山の演奏に対する私の思いが置き換えられると感じ、以下小林の文章を引用しながら説明してみようと思う。

     実世間(現生活) 井伏鱒二(作家−文章) 小林秀雄(受け手) 実世間(現生活)
     実世間(現生活) 高橋竹山(奏者−音楽) 田岡隷山(受け手) 実世間(現生活)

 小林はこう言う、“明らかに、これは、作家が、言葉だけで、綿密に創り上げた世界であり、文章の構造の魅力を辿らなければ、這入って行けない世界である。作者は、尋常な言葉に内在する力をよく見抜き、その組合せに工夫すれば、何が得られるかをよく知ってる。彼は、そういう配慮に十分自信を持っているから、音楽からも絵からも、何にも盗んで来る必要を認めていない。敢えて言えば、この小説家は、文章の面白味を創り出しているので、アパートの描写などという詰らぬ事を決して目がけてはいない。”折角映画にしたのにこの言いよう。小林は原作を忠実に映像化しただけでは井伏君の小説の世界を表現できていないと言う。分かる気がする。そうではなくて井伏鱒二がこの作品に使った言葉がなぜその言葉だったのか、これを映画化せよと言っているのだろう。これは簡単なことではないし、エンターテインメントにならないように思う。つまり人を選ぶ。エンターテインメントとは人の行動を見ることで、これは自分の行動を行動しながら自分では見れないことに起因していると書かれていた。これではない何かをを井伏鱒二の小説は要求してくるということである。場面場面を眺めることと井伏鱒二の言葉の配慮の感覚を覗き込む事のここに違いがある。竹山について合わせると、竹山の演奏は、音だけで、綿密に創り上げた世界であり三味の音の構造の魅力を辿らなければ、這入って行けない世界である。何にも盗んで来る必要を認めていない。竹山が自信を持っていたであろう音の組合せにおける配慮に僕は魅力を感じ再構築したいのである。

 では、映画ではなく井伏君の小説自体の面白さとは何か小林は言う。“この作品には、私に、面白い小説と言わせるより、純粋な散文と言わせるような或る力がある。私は、この或る力を、作者の制作の密室の方へ私を向き直させる或る力を感じているのである。”竹山の音色の良さを小林の文章に置き換えるなら、面白い楽曲と言わせるより、純粋な音と言わせるような或る力がある。となり、その或る力は、作者(竹山)の制作の密室の方へ私を向き直させる或る力を感じているのである。まさに私はそう感じている。三味線奏者でいうところの淡々と弾くというとろろであろうか。過剰なフレーズ表現に感情的なものを動かそうとする作意のようなものを感じたり、大きく鳴らすことや見た目的なパフォーマンスがあまりにもきつかったり、自分では違和感を感じるものの、今はそれらが津軽三味線の演奏のスタンダードになりつつあるように思います。もちろん音楽やいろいろなものは好き好きなので、僕はそう思っているという事です。純粋な音色、作者の密室、これらを兼ね備えた奏者になりたいのです。

   @小説<散文 楽曲<音そのもの 
        (曲のフレーズや盛り上がりよりも、小気味よく聞こえてくる音色そのものに力を感じる)
   A作者の密室へ向かわせる
        (曲の一体感、満足感よりも奏者個人に引き込まれる)       

 この人がこの文を書き、この人がこの音を奏でる。この人ということ。そして続ける。“私が、「貸間あり」が純粋な散文だというのは、その散文としての無言の形を言う。何が書いてあるなどという事は問題ではない、とでも言いたげな、その姿なのである。” 純粋な音色と作者の密室から導き出されるものが、無言の形と問題にしないその姿だと言っていいでしょう。私が竹山の演奏に感じる大きなところであり、目標・目的としているところです。ここまで来ると次のようなことが起こるのだと小林は言う。“この作品は、勿論、実世間をモデルとして描かれたのだが、作者の密室で文が整えられ、作の形が完了すると、このモデルとの関係が、言わば逆の相を呈する。作品の無言の形が直覚されるところでは、むしろ実世間の方が作品をモデルとしていると言った方がよい。”作品が実世間のモデルとなる。言葉では良くわからないものの、作品は我々よりも長く生きます。このことを一つの条件にもっと深く考えて自分なりに言葉にして行くのがこれからの自分のテーマだと思っています。

   @純粋な音 A作者の密室 B無言の形 Cおもねらない姿、この4要素の追及が竹山探求そのものになるでしょう。

 しかし、そこに向かうには困難はあるよと、小林は言う “だが、小説の映画化が盛んな現代には、意外に強い通念がある。それは、小説家の視力をそのまま延長し、誇張し、これに強いアクセントを持たせれば、映画の像が出来上るという通念であり、作家が、これに抗し、作家には作品の密室があると信ずる事が、なかなか難しい事になっている。井伏君が言葉の力によって抑制しようと努めたのは、外から目に飛び込んでくる、あの誰でも知っている現実感に他ならない。”これはどのジャンルの表現活動にも言えることだと思います。通念とされる或る種の分かりやすさ、向き直すまで行かずとも刺激的な現実感、これらが鑑賞のメインになって作者の抑制は吹き飛ばされるのです。こうなると4要素は消えてしまいます。“生まの感覚や知覚に訴えて来るような言葉づかいは極力避けられている。”通念に逆らうということになるのでしょう。” “カメラの視覚は外を向いているが、作者の視覚は全く逆に内を向いていると言ってもよい。”これでは行為を見ることが出来ないのでエンターテインメントにならない。これらをわかっていながら創作活動を進める覚悟が必要だという事です。なので小林はこう続けます、“作家は、観照の世界という全く不自然な心的態度のうちに棲むものだ。この世界に居ると、実生活は、狂態で充満していると見えるのが当たり前な事なのである。この言わば視覚の或は知覚の危機を経験してないような者は作家ではない。彼はひたすら言葉の工夫によって、この危機を切り抜ける。どんな工夫が行われるのか。誰も作家の個性的な密室の言葉の作業を覗き込む事は出来ない。”実世間を参照し言葉や音色は作られる、しかし実世間のあるがままの姿を反映することはない。4要素について考えながら竹山を目印に自分の感覚を信じ弾ける曲を増やしている、これが実世間であり僕のモデル。つまりここから実世間が自分の作品をモデルとするような作品を作る。これが井伏鱒二から高橋竹山、小林秀雄から田岡隷山への置き換えという事になります。

                     

2017年11月4日(土)
東城まちなみぶらり散歩ギャラリー
       
 
2016年6月26日(日)
第2回 紅茶で茶摘み体験しよう会 in 山本さんちのお屋敷茶園
 

 白市の紅茶ですが、山本さんには、是非頑張って頂きたいと思っています。茶摘みあるところに、茶摘み唄あり。1年に1度のお茶摘み体験会、広く知ってもらえるように、我々も協力させて下さい。

 観光と体験と音楽、これらをその地域独自のやり方でつなげていくことが、僕の挑戦の一つでもあります。演奏会やコンサートもいいですが、手を動かし、汗を流しながら、風とともに耳にする三味の音色は、また違った聞こえ方をするように思います。

 外に対して、アピールできるものを、多少作って行きましょう。小さく小さく、丁寧に作っていけば、きっといいものが出来ると思います。

 さまざまな昆虫たちと出会い、いい気分で茶摘みも演奏もできました。いいヒントを頂いた、そんな一日でした。みなさまお疲れ様でした。また来年、茶畑で会いましょう。
2015年12月27日(日)
第2弾 音楽朗読劇 『半日村/花さき山』
2015年12月27日(日)
第2弾 音楽朗読劇 『半日村/花さき山』
2015年10月1日(木)
第四回特別公演 『津軽三味線』
   
2015年8月14日(金)
東広島市安芸津町盆踊りいろいろ
蓮光寺

大イチョウを囲む木造の櫓。
23時頃まで踊られてました。

ひとつ拍子・帰村節にも若者たちは
挑戦していました。

風早小学校

雰囲気のある盆踊り。ゆったりとしたひとつ拍子を聞けました。。

大人と一緒に子どもも
太鼓を打っていました。
小松原小学校

ここは2階建ての櫓。安芸津音頭が響いていました。

太鼓が海にも山にも
響いてました。


185号沿いを走っていたら目に入った。港の会場。

ここは太鼓打ちが2人。
華やか。若く元気な会場。


口説節を求めて今回初めて安芸津町の盆踊り会場を巡りました。踊りもなのですが、会場作りや、櫓の組み方、音響、会の流れなど勉強させてもらいました。変なのが行って申し訳ありません。その中で特に印象的だったのは『ひとつ拍子』綺麗な旋律と踊りでしたテープ音源を使うところが多くなっていく中、何とか口説き節を継承してもらいたいと思っています。口説き節はとても日本的で、美しい音楽だと考えています。
   
2015年5月4日(月)
田岡隷山 SHAMISEN Live Party 
来月27日 カフェ・サルデーニャリゾート
チケット2,000円
ワッフルケーキ・ソフトドリンク付き
  
   
2015年1月19日(月)
竹原町並み保存地区『憧憬の路』町流しに向けて
2014年10月26日。
江戸風情の残る町並みを竹灯籠でライトアップさせる、幻想的なお祭りです。そこで我々隷山会は弾き流しをしました。この時は僕のオリジナル曲、四つ竹を使う@『憧憬の路』と、コキリコを使うA『二チク盆唄』の2曲だけでした。

今年2015年は、さらにB『青森のねぶた囃子』、C岐阜の郡上春駒、D『富山の越中おわら節』、E竹原甚句(僕のオリジナル曲)、の4曲を加え、計6曲で踊りと共に町流しに挑戦しようと考えています。

今から行われる演奏会などで、踊り方も含めこれらの曲を少しずつ紹介していきます。10月になるべくたくさんの人達と踊れるように・・・これが僕の今の夢です。

   
2014年10月31日(金)
『四つ竹』 
  『四つ竹』 このような形で販売しています。我々の手作り。
 竹原町並み保存地区、旧笠井邸にて1組1000円で発売中。

 『憧憬の路・踊り方』のイラストも入れてあります。
 数はあまりないので、欲しい方はお早めにお願いします。

   
2014年10月22日(水)
『憧憬の路・踊り方』
 
 
 
   
2014年9月13日(土)
初披露『二チク盆唄』

二地区メンバーでの披露は、
今回が初めてになります。

竹原は磯宮、
秋のお祭り前夜祭のステージでした。

唄に踊り、太鼓に三味線と頑張りました。

あと、篠笛と胡弓を加えれば、
僕の音源と
同じようになる。

時間をかけて、
いいものにして行きましょう。
   
2014年8月8日(金)
憧憬の路(総踊りバージョン)踊り方


この写真をイラストにして、
コメントを付け、
踊り方のプリントを作り、

みなの手元に届けしたいと、
考えています。



10月の末、
披露します。
きっと・・・


   
2014年6月12日  
『四つ竹』  
琉球舞踊などで使われている『四つ竹』という楽器を、自分たちで量産できないかと思案しています。

竹は真竹と孟宗竹を地元の方に頼んで、切ってもらっています。紐とゴムと金糸は手芸屋さん。ペンキとニスでカラーリング。

『リリヤン』という紐を見つけました。

初めの一つを今月中には作りたい。
 
   
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