バレンタインデー



今日は朝からやけに女子のテンションが高いなと思っていた。女ってのは何であんなにキャーキャーとどうでも良いことで騒げるんだと常々不思議に思っているが、今日は特にひどい。朝っぱらからうるさくて仕方ないと眉間に寄った皺が取れる暇がない。一体何なんだと思っていたが、朝練の後上履きに履き替えるため靴箱を開けてその理由が分かった。
靴箱の中には綺麗にラッピングされた市販のチョコが2つ。一つにはご丁寧に『影山君へ』というメッセージカードまで添えてある。すぐには分からなかったが、一緒にいた日向が「あっ、お前それチョコ!?」と無駄に騒いでやっと理解した。
今日は2月14日、バレンタインデーだ。いくら俺でもそれくらいは分かる。ミーハーな女どもが製菓会社のくだらない策略に踊らされる日だ。
「うわ、2個もあるじゃん!」
日向は手元にあるチョコをじろじろと羨ましそうに見ているが、正直俺はこんなものに興味はない。チョコレートは嫌いではないがそこまで好んでいくつも食べたいとは思わない。チョコレートを無造作に鞄に突っ込むと日向が「もっと丁寧に扱えよ!」と喚く。
「お前、むかつくな!」
どうやら日向はまだ一つも貰っていないらしい。理不尽な怒りをぶつけられ「うるせー」と頭をはたく。頭を押さえた日向が恨めしそうに見上げてくるがそんなものは無視して教室へと歩いていった。

この日もいつもと同じように授業中は睡眠時間と化していた。1限に寝始めて次に起きたときは4限の途中だった。欠伸しながら身体を起こすと、やけに腹の辺りがぼこぼこしている。何だと思って見てみると、机の中に何かがねじ込まれている。教科書の隙間を縫って入れられたそれは色鮮やかな包みで、一目見てすぐにチョコレートだと分かった。
「うわ」
思わず呟く。寝ている間に勝手に入れられたらしい。入れた奴の根性もすごいと思うが、それでも起きなかった自分もちょっとどうかと思う。全然気が付かなかった。

昼休みになりそれらのチョコレートも鞄に突っ込もうとするが意外と嵩張って入りきらない。そういえば部室に大きなビニール袋があったと思い出し、拝借しようと部室に向かう。その途中、菅原さんに会った。
「あ、影山」
俺を見つけて手を振ってくれる。3年生はもう自由登校だが、澤村さんも菅原さんも東峰さんも、出来る限り学校に来たいと言っていた。実際受験日の前後以外は学校に来ているらしく、こうやってたまに廊下で擦れ違う。懐かしい顔を見つけると嬉しくなる。こんな気持ち、中学の頃は知らなかった。
近くに来ると、菅原も小さな紙袋を持っており中にはいくつかチョコレートが入っていた。
「菅原さんも貰ったんですね」
「も、ってことはお前も貰ってるんだな」
「はい。鞄に入りきらなかったんで、部室に袋取りに行こうと思って」
「うわ、何それ嫌み?」
正直に言っただけなのに菅原さんは顔を引き攣らせた。
「や、違います!」
慌てて否定すると「これで天然だからタチが悪いよな……」と考え込まれてしまう。挙げ句に
「お前のそれは敵を作りまくる!」
とビシッと指摘されてしまった。更に「田中や西谷にそれ絶対言うなよ」と釘を刺すのも忘れない菅原さん。大人しく頷くと、満足そうに笑っていた。そして「あ」と何かに気が付いたようにカーディガンのポケットを探っている。
「影山、チョコやるよ」
「え?」
そう言って手渡されたのはチロルチョコ一つ。
「もういっぱい貰ってるみたいだけど、小さいの一個くらいいいだろ?それ俺のオススメの味なんだ。食ってみろよ」
ニッと笑うと、じゃあなと言って歩いていく。その背中に慌てて礼を叫ぶと、手をひらひらと振って応えてくれた。
手の平に乗った一つのチョコ。菅原さんに貰ったチョコ。

――ん?

急に自分の顔が熱いのに気付く。慌ててトイレで確認すると、見事に顔が赤くなっていた。
朝から直接ではないが女子から何個もチョコレートを貰った。そのときは何にも感じなかったのに、なぜ菅原さんにチョコを貰った今、こんなに顔が赤くなるのだろう。
鏡の中の自分を見つめたまま暫し考え、一つの答えが頭に浮かぶ。

――そうか、俺は菅原さんが好きなのか!

そうすれば菅原さんに貰ったときだけこんなになってしまうことにも説明が付く。もともと菅原さんは好きな先輩だったし、その『好き』の意味が実は少し違っていたというだけだ。こんな数十円のチョコ一個で自分の気持ちに気付くなんて予想外だったが、まあそういうこともあるだろう。
影山は一人納得すると、貰ったチロルチョコを大事に上着のポケットに入れた。

気持ちを自覚すると早速伝えなければと思う。本来ならバレンタインデーの返事はホワイトデーに、という流れが一般的だろうがそんな悠長なことは言っていられない。3月になったら菅原さんは卒業してしまうのだ。そもそも、待つなど自分の性格には合っていないように思う。
とりあえず、放課後3年生の教室へ特攻することにした。

放課後になるまでに更に貰ったチョコレートが増え、ビニール袋に詰め込まれたそれらを持って3年4組の前に来ると、ちょうど菅原さんが教室から出てくるところだった。澤村さんと一緒にいて、俺を見つけると目を丸くする。
「あれ?影山」
「どうしたんだ、こんな所まで」
澤村さんも驚いているが「菅原さんに話があって」と言うと気を遣ってくれたのか「部室で待ってる」と言い残し歩き出した。

「話って?」
「ここじゃちょっと……」
さすがに人目があるところではと思い躊躇うと、「じゃあこっち」と屋上へ続く階段前の踊り場に連れてこられた。ここなら今の時間あまり人が通らないし、わざわざここまで来る人間もいないだろう。
「ここなら人も来ないだろ。どうした、何か悩みとか?」
先輩として何でも答えちゃる、と年上らしい大らかさを見せる菅原さんをまっすぐ見つめて自分の気持ちを伝える。
「菅原さん、好きです」
「え?」
突然の告白に菅原さんがぽかんと口を開ける。理解するまでに数秒かかったようで、理解した後もう一度「え?」と聞き返される。
「俺は菅原さんが好きなんです。さっきチョコを貰って気付きました」
もう一度繰り返すと、菅原さんは漸く冷静になったのか真顔に戻った後眉を吊り上げた。
「あのな、お前俺をからかってんの?」
「違います」
どうしてそういうことになるのか分からない。驚いて答えると困ったように溜息を吐かれる。
「どういうつもりでお前がこんな事言ってるのかわからないけどな、俺は男だぞ?」
「知ってます」
答えると菅原さんは怪訝そうに見つめてきた。
「お前、男が好きなの?」
「人を好きになったのが初めてなんで、今まで考えたことがありませんでした」
「なんだよそれ……」
呆れたような、怒っているような不思議な表情をしている。
「……俺半月後には卒業するんだぞ」
「知ってます。だから今言いました」
「じゃなくて」
頭が痛いというように額に手を当てて呻く。眉間にはくっきり皺が寄っていた。目だけこちらに向けると、本気で心配するような声で言われた。
「お前、もっと頭使って色々考えた方が良いよ」
「?考えましたよ」
「だから!」
相変わらず何故か怒ったように不機嫌な菅原さんに、少しでも自分の想いを分かってもらおうと必死に口を開く。
「だって、好きっていう気持ちが一番大事なんじゃないですか」
好きだから告白する。それのどこがおかしいのだろう。
「それだって今日気付いたんだろ」
眉を寄せながら問われ素直に頷く。
「でも、だからって否定しないでください」
たしかに気付いたのは今日だが、気持ち自体は今までずっと持っていたのだ。ずっと菅原さんが好きで、やっと今日それに気付けた。好きという気持ちに嘘はない。
想いを伝えるためにじっと見つめる。菅原さんは怒ったような表情から少しずつ困ったような表情に変わっていって、耐えきれないように目を瞑ると一拍の間の後叫んだ。
「保留!」
「は?」
「とりあえず、影山の気持ちは分かった。でも、俺の方が気持ちの整理がつかないから、保留」
「なんですか、それ」
あんまり自分勝手な言い分にムッと唇を尖らせてしまう。でも、あっさりと断られてしまうよりはいいのかもしれない。
前向きに解釈して、ビニール袋の一番上にあるチョコレートを掴む。そのまま菅原さんに差し出した。
「じゃあ、これ」
「なに?」
「さっき急いで買ってきました」
「チョコ?」
昼休み、残り僅かな時間を使って坂ノ下までダッシュして買ってきた。好きだと気付いて、だったら自分もチョコレートを渡した方が良いんじゃないかと思ったのだ。坂ノ下にそんな洒落たものが売っている筈もなくただの板チョコだがあげないよりはマシじゃないだろうか。烏養さんに自分のためのチョコを自分で買うと勘違いされて爆笑されたあと憐れまれたのには腹が立ったが、まあ練習の時にでも誤解は解けるはずだ。プレゼントなのにそのまま渡すのもどうかと思い、とりあえずパッケージにペンで『菅原さんへ』と書いておいた。
「ホワイトデーに返事聞かせてください」
保留、と言われてもいつまで待てばいいのか分からない。本当は卒業までにハッキリさせてほしいが、あまり急かすのも悪いしせめてイベントに便乗して1ヶ月の間に返事を聞かせて欲しい。
菅原さんはチョコレートを見て目を丸くすると、顔をみるみる赤く染めていった。
「参った」
そうして呟く。さっきから表情をコロコロ変えていて、なんだか菅原さんの考えていることが分からない。
眉を寄せて見つめていると、赤い顔のままの菅原さんに睨まれる。
「ホワイトデー覚悟してろよ?」
精一杯怖い顔をしているが、真っ赤な顔で言われても説得力がないと思う。というか、可愛いだけだ。
しかしそれを口に出すときっと怒られるので、心の中にしまっておく。菅原さんの言うとおり、1ヶ月後を楽しみにしていようと思った。





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