甘えんぼ(菅影Ver.)



熱気の立ち籠める体育館の中で、いつも通りの練習が行われている。しかし、主将である澤村はその光景に小さな違和感を覚えていた。その原因を探るため左右に目を走らせていると、後ろから肩を叩かれる。
「なぁ、大地」
振り向くと、肩を叩いたのは同級生でバレー部の副主将である菅原だった。眉を寄せて深刻そうな表情をしている。
「影山、おかしくないか?」
「影山?」
その名前の主に目を遣るが、影山は普段通りに練習しているように見えた。しかしよくよく見てみると、たしかにいつもに比べて動きが少し鈍いような気がする。だるそうというか、重い体を必死に動かしているような感じとでも云うのだろうか。
「……たしかに、いつもより動きが悪いな」
「だろ? ちょっと俺声かけてくる」
そう言って菅原が影山の元に向かう。澤村はそれを見守っていたが、菅原は影山と何やら話をしたり体を触ったりしたあと慌てたようにこちらへ戻ってきた。
「大地、影山熱ある!」
「え?」
熱? と驚いていると、菅原の後を影山が追いかけてきた。
「大丈夫です!」
「いや大丈夫じゃないから! ちょっと大地、影山のおでこ触ってみ」
「影山、そんなに熱が高いのか?」
こちらに来る足取りもしっかりしていたし菅原が大袈裟なんじゃないかと思っていたのだが、触れた額は驚くほど熱かった。
「うわ、熱っ!」
「だろ?」
菅原が眉を寄せている。
「これ、まずいよなぁ。俺保健室連れて行ってくる」
「おお、頼んだ」
「大丈夫です、やれます!」
「いやいや、無理だろ!」
影山のバレーに対する執念には感服する。しかし、さすがに今影山に必要なのは練習ではなく休養だ。ギラギラと目を輝かせている影山を菅原が引き摺るように連れて行く。
「馬鹿も風邪引くんだ……」
近くで一部始終を見ていた縁下がぽつりと呟いた。


養護教諭は影山の熱を計ると目を丸くした。
「わ、すごい熱! 今まで練習していたの? この熱で? 体は辛くなかったの?」
「平気でした」
「まぁ」
口に手を当てて大袈裟に驚いている。
しかし菅原が見るところ、影山の調子は先程よりも悪化しているようだ。顔も赤く、息も荒くなっている。どうやら自分の体温を知ったことで体調の悪さをじわじわ自覚してきたようだ。
いつか、馬鹿は自分が風邪をひいていることに気付かないという話を聞いたが、多分いま影山はそれを地でいっている。
「でも、この熱じゃすぐに帰って休まないとね。一人だと厳しいかしら」
「あ、俺送っていきます」
「そうね、その方がいいわね」
「菅原さん、俺一人でも大丈夫です」
「ばか、病人を一人で帰せるわけないだろ。今荷物持ってくるから大人しく待ってろよー」

影山を保健室のベッドに寝かせて一旦体育館に戻る。影山と自分の早退を告げると澤村は心配そうに表情を曇らせた。
「あの影山が熱なぁ……心配だよな」
「まぁ、とりあえず送ってくわ。多分今日はそのまま帰ることになると思う」
「ああ、時間も時間だしな。スガ、悪い。影山のこと頼むな」
「おう」
ニッと笑ってみせる。影山のことは心配だが、今日はコーチも不在だし主将である澤村がこの場を離れるわけにはいかないだろう。今のような時のために副主将である自分がいるのだ。部活全体と、部員一人一人、そのどちらともに気を配るのが自分達の役目である。

部室で着替えてから荷物を持って保健室に戻ると、たった十数分のことなのに影山は先刻よりさらに悪化しているようだった。顔が真っ赤になっている。
「影山、立てる?」
「はい」
返事をして足を下ろすが、ベッドから立ち上がる瞬間にふらりとよろける。咄嗟に支え、影山自身も足を踏ん張ったため転ぶことはなかったが驚いた。
「すみません!」
「いや、いいけど……大丈夫か?」
「はい」
 返事はいいが、自分の体調にも気付かない奴だ。心配である。
「んじゃ帰るか」
「気をつけてね。帰ったら暖かくしてすぐ休むのよ」
「はい」
親切な養護教諭にぺこりと頭を下げると保健室を出る。
「あ、荷物……」
「いいって、病人に持たせるわけにはいかないだろ。それよりも無事に家まで辿り着くことが大事だって」
「……すみません、ありがとうございます」
どうも調子が狂う。いつも堂々としている影山がしょんぼりしている姿を見るのはなんだか胸がモヤモヤした。影山は熱の所為で気持ちまで弱っているのかもしれない。

幸い影山はふらつくことなく歩いていて、俺は内心で安堵した。実はこっそり、もし影山が倒れるようなことになったら自分では支えきれないだろうと不安に思っていたのだ。東峰のようなでかい奴が付いてきた方が良かったんじゃないかと、かなり本気で考えていた。
家の前まで来ると影山は鞄から鍵を取り出していたので、家の人はと尋ねると、今日は親戚の家に出かけていて夜まで帰らないということだった。
「じゃあ、ちょっと上がらせてもらっていいか?」
「いいですけど……いいんですか?」
「いやーこのままハイじゃあな、っていうのも薄情だろ」
家の人がいるなら勿論そのまま帰るつもりだったが、このまま一人きりで残していくのは心配だ。影山は風邪をひくことに慣れていないようなので、なおさら。

「お邪魔します」
影山の部屋に行き荷物を置く。ベッドに腰掛けた影山は、学校で見たときよりも具合が悪そうに見えた。自宅に戻ってきて安心して一気に体調が悪くなったのかもしれない。
「とりあえず横になった方がいいよな」
「うー」
影山は練習着のままベッドに倒れ込む。息が荒く、本当に苦しそうだ。しかし汗で濡れたこの格好のまま寝たのでは更に悪化させてしまいそうだった。
「影山、辛いとは思うけど着替えなきゃ。汗で濡れてるだろ。脱げるか?」
「んー……」
もぞもぞと一応動こうとはしているが、一度横になってしまうと起き上がるだけの元気が出ないらしい。自力で着替えさせることは早々に諦めた。
「着替えってこのクローゼットの中? 開けていい?」
「はい……」
こちらに顔も向けずに返事をする影山を横目にクローゼットを開けさせてもらう。適当に洋服を見繕い影山の元に戻ると、もう半分うとうとしているらしい影山の頬を軽く叩く。
「影山ぁ、もうちょっとだけがんばれー。ほら、着替えるぞ。ばんざーい」
幼児を相手にするように両手を上げさせる。体から力が抜けてしまっている影山はされるがままだ。なんとなくイケナイ気分になりそうなのを必死に抑え素数を数えながら服を脱がせると、熱のせいか肌が汗ばんでいるのに気が付いた。このまま服を着せるのはマズイと思い、先ほど抽斗で見つけたタオルを借りて影山の体を軽く拭いてやる。その間影山は俺の肩にくったりと頭を預けていた。今はそんな場合じゃないと自分に言い聞かせてはいるが、どうしても速くなる鼓動を静めることは難しかった。だって、目の前に裸の影山だ、無理だって。
「じゃあ今度は着るぞー。ほら、頭出して」
なんとかシャツを着せ終わる頃にはこちらの額にまで汗が滲んでいた。下はどうしようかと一瞬悩んだが、力の抜けた相手に着替えさせる苦労を思うと今のジャージのままでいいかと結論付ける。それに、下まで着替えさせるなんてことになったらいよいよ理性を保てる自信がない。

横になった影山に布団を掛けてやる。先程から目を瞑ったままの影山の額に触れると、その熱さに眉を寄せた。
「かなり高いな。薬とか飲んだ方がいいよな……冷却ジェルシートとかもあった方がいいだろうし」
影山に顔を寄せて耳元で聞いた。
「な、影山。薬とかってある?」
「……多分、居間の棚の上に薬箱が……」
掠れた声で苦しそうな呼吸の合間に答える。礼を言うと居間に向かった。薬箱はすぐに見つかり、風邪薬の市販薬を拝借することにした。

ついでに台所を覗くと、影山の家族が夕飯用に用意していったのかラップをかけたご飯やおかずがテーブルに並べてあった。コンロにある鍋も覗くと美味しそうなポタージュが入っている。
そういえば薬を飲む前には何か腹に入れないといけないんだよなと思い出し、一番食べやすそうなスープを持っていくことにした。温めて器によそい影山の部屋に戻る。そっとドアを開けると、音か気配を感じたのか影山は薄く目を開けてこちらを見た。幸いまだ眠っていなかったらしい。
「影山、薬飲む前に何か食べた方がいいから。これ台所にあったスープ。悪い、勝手に持ってきたけど……食べられる?」
こくりと頷くのを確認して、影山の傍へお盆を持っていく。上半身を起こした影山がじっとスープを見つめていた。
「……食べさせてやろうか?」
あまり食欲がないかもしれないが、温かいものを腹に入れておいた方がいいだろう。影山が何も言わないので菅原はスプーンを手に取ると、ひとさじ掬ってふうふうと息を吹きかけた。
「はい、あーん」
影山は素直に口を開ける。スプーンを突っ込むともごもごと口を動かした。その妙に幼い仕草が、こんな時なのに可愛くてたまらない。ごくんと喉が上下したのを確認してもう一度スープを掬う。何度か繰り返し結局影山はスープを全て飲み干した。

薬を飲み再び横になった影山の額に冷却シートを貼ってやる。
「じゃあ、ゆっくり寝るんだぞ」
「菅原さん、帰るんですか?」
薄く目を開き掠れた声で尋ねる。
「うん。あ、鍵どうすればいい?」
影山は暫く黙ったままだったが、目をぱっちりと開き菅原を見つめると小さく言った。
「あの」
「ん?」
熱のせいか、目の表面に薄く涙の膜が張っていて潤んでいるように見える。上気した頬に、汗の伝う首筋。正直、目の毒だ。今までは影山は病人だから、あくまで今は普通の先輩として接しようと心がけていた。しかし情けないがこれ以上ここにいて自分を抑えきれる自信がない。だってこんなに無防備で色っぽい影山、普段はなかなか拝めない。
しかし影山はそんな自分の決意など簡単に崩してしまうのだ。
「もう少し、傍にいてもらえませんか」
「え」

たしかに体調が悪いときは人恋しくなるものだ。一人になりたくないという気持ちもよく分かる。
だが影山には、なんとなくそんな印象はなかったのだ。風邪をひいても一人でなんとかして治してしまうようなイメージがあった。しかしそれは自分の勝手な思いこみに過ぎず、考えてみれば影山もまだただの高校一年生、自分より二つも年下の可愛い後輩なのだ。
「うん、わかった」
答えてから気が付いた。いつのまにか、自分の制服の裾を影山の手がぎゅっと握っている。まるで幼い子どもがするように、行かないでと懇願するように。
その手に気付いた瞬間、愛しさで胸がいっぱいになり影山の手を両手で包み込んだ。そのまま自分の頬に持っていく。
「大丈夫、俺が傍にいるから」
指先に口付けると、影山は安心したように目を細めた。影山の手のひらをぎゅっと握ると、その熱さを分け合うように自分の手の温度もどんどん上がっていく。熱に浮かされたように影山に顔を寄せると唇にキスを落とす。
「早く治るように、おまじない」
優しく笑むと、影山はもう半分夢の中に落ちているのか目を薄く閉じたままふっと口元を緩めた。
「影山、早く良くなってな」
それで、またいっしょにバレーをしよう。
しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてくる。若干眉を寄せてはいるが、こうしてゆっくり眠ればきっとすぐに良くなるだろう。
手のひらはぎゅっと握られたままだ。手を繋いだまま、もう一度想いを込めて影山の唇にキスをした。


次の日、菅原が朝練の時間に体育館に行くと、いつものように日向と影山が既に汗だくになって練習を行っていた。
「おー影山、もう平気なのか?」
「あ、菅原さん!」
影山は菅原を見つけるとパッと寄ってくる。
「昨日はすみませんでした! もう大丈夫です」
たしかに昨日の様子が嘘のようにピンピンしている。この回復力の高さも影山らしい気がして思わず苦笑する。
「よかったな」
「はい! 色々ありがとうございました」
頭を下げる影山に「いいって」と笑って顔を上げさせる。
「な、効いたろ? 俺の『おまじない』」
ニッと悪戯っぽく笑うと、目を丸くした影山が一拍置いて顔を赤く染めた。
「あ、あの……」
「あれは影山限定の特別だからな」
ぽんぽんと頭を叩くと影山が唇を尖らせて小さく呟いた。
「すごくよく効きました」
「だろ? なんたって俺の愛が籠もってるからなー」
冗談で誤魔化して、でもその内に本気の思いを隠して言うと影山は照れたように目線を彷徨わせた。
「それに、甘える影山って新鮮で可愛かったな」
もっと普段から甘えてもいいのに、と言うと影山は真面目な顔をして言った。
「俺はどっちかというと菅原さんに甘えてほしいです」
「んー? なんだ、生意気な!」
馬鹿だな、影山。俺はもう結構お前に甘えてるんだけど。


続々と部員が揃ってきてもうすぐ大地から集合の合図が掛かるだろう。その時影山が腕を引いてきた。
「あの、菅原さん」
「なに?」
「昨日の『おまじない』ですけど」
真剣な顔でまっすぐに見つめて言い放つ。
「やるのは俺だけにしてくださいね」


――やられた。

思わず顔を手で覆う。なんだこいつ、可愛い、可愛い!
「約束する」
多分いま自分の顔は真っ赤だ。不意打ちのヤキモチにこちらの方が照れてしまい、真っ直ぐ影山を見ることが出来ない。照れ隠しに小指を出すと、影山の小指と絡めた。
俺はもうこの後輩が可愛くて堪らなくて、今すぐ抱き締めたいのを必死に我慢した。






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