【サンプル】 オレの理性は限界だ!



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 ふざけんな、というのが荒北の正直な感想である。目の前のカチューシャ頭を憎々しい思いで睨むが相手は気付いているのかいないのか、突き刺さる視線などお構いなしにひたすらマシンガントークを繰り出している。

 たしかにハコガクにいた頃は、なんだかんだと言いながらも一応話は聞いてやっていた。寮生活ということもあり共に過ごす時間も長く、そういう機会が多かったというのもあって、それはまあ一応納得は出来る。荒北は恋愛相談なんて柄じゃないしまっぴらだと思っていたが、東堂が一方的に己の恋愛事情を話すのを聞いていれば自然に突っ込みたくなってしまうのだ。だってあれだけモテているくせに小野田が初恋だという東堂は、なんだか全体的におかしかった。あんな調子で無事小野田とお付き合いを始めたというのだから驚きである。まさに奇跡としか言いようがない。

 しかしそれは荒北と東堂があくまで同級生、チームメイトだったから成り立っていたわけで、今はもうチームメイトでも何でもないのだから東堂の話を聞く義理など無いと思うのだ。

 そういえば少し前に荒北の通う洋南大学まで東堂がやって来たことがあった。わざわざ静岡まで来るほどだから余程大事な用事なのかと思ったのだが話を聞けばそういう訳でもなく、東堂が告げた来訪の理由は「メガネくんとケンカした」という本気でどうでもいいものだった。もう呆れるしかないだろう。しかもそのまま荒北の家に押し掛けて荒北は一晩中惚気を聞かされる羽目になったのだ。とんだ貧乏くじである。荒北はもう東堂は絶対家に泊めないと心に決めたのだった。

 結局東堂と小野田が仲直りしたのかもよく分からないまま、荒北は一通のメールを眺めていた。件名は『緊急事態だ』、差出人は東堂、本文には『大事な話があるから集合せよ』とある。当然スルーする気満々だった荒北だが、途中で考えを変えた。指定された日は練習も休みだしちょうど実家に帰る用事もあるしで都内にも行けてしまう。それに、福富と新開も来ると言っていた。そういや最近福ちゃんに会ってねえな、と思ったらもう駄目だった。別に寂しいと思うことはないが、会える機会があるならまあ会いたい。四人揃うのは久しぶりだし同窓会のようだ、と荒北も柄にもなく多少は浮かれていたのだ。


 しかし待ち合わせの場所にやって来た荒北はすぐに後悔することになった。今も酒も飲んでいないのに妙にハイになった東堂が荒北、新開、福富相手に惚気まくっている。

「それでな、メガネくんは恥ずかしがって隠れてしまったのだ。可愛いだろ!? なぁ荒北

「……帰るわ」

「まあ待て、靖友」

 学生時代のノリのままファミレスにやって来て食事を注文したあと、聞いてもいないことをぺらぺらと喋りだした東堂に嫌気がさしてまだ料理も運ばれていないというのに早々に帰ることを決めて立ち上がると、こんな場所なのにパワーバーを咥えている新開に止められた。

「まだ尽八の本題聞いてないだろ

「は コレが本題じゃねえの

 てっきりただ惚気を聞かせるためだけに招集したのかと思っていたが、どうやら本題はまた別にあるらしい。

「じゃあさっさとそれ話せよ」

 どかっともう一度腰を下ろして促すと、東堂は急に先程までの笑顔を消した。しかも目が完全に据わっている。突然の変化に片眉を上げ怪訝に思っていると、東堂が重々しく口を開いた。

「オレはこのままだとメガネくんを襲ってしまうかもしれない」

 今にも死にそうな顔でいきなりの物騒なことを言い出した東堂に向かって「ハァ」と呆れた声を上げる。隣で聞いていた福富も穏やかではない事態に思うところがあったようだ。東堂の顔を見つめて小さく呟いている。

「そいつは厄介だ

 え、金城リスペクト とか思っている場合ではないのだろう。腕を組みながら重々しく言った福富に続いて新開も言葉を投げかける。

「犯罪だけはやめとけよ」

 てっきり「このオレが犯罪に手を染めるはずが無いだろう」という言葉が返ってくるのかと思っていたが、予想に反して小さな「……うん」の一言だけだった。俯いて力なく返事をする東堂を見てこの悩み方は予想以上だと思う。これは重症だ。

「なに、襲うって、まさか暴力じゃねェよな

「暴力など論外だ

「んじゃ小野田チャン押し倒してヤっちまいたいってこと

「……まあ、そうだな」

 あっさり肯定して組んだ手の上に顎を乗せる。ちょうど料理も運ばれてきて、なんとなく気まずい空気が流れる。

料理も全て並び食べ始めながら会話を再開させるが、東堂は時折頭を抱えながら「あー」と奇声を上げている。やっぱりこれは重症だ。というか公共の場では勘弁して欲しい。

「おい東堂いい加減ウッセェっつの そんなに悩むくらいならさっさとヤっちまえば……」

 ぐるぐると悩んでは発狂する東堂がいい加減ウザくなり、深く考えずに言いかけてはたと気付いた。相手はあの小野田なのだ。あの、細くてメガネでいかにも純粋って感じの。実のところ荒北も小野田のことはわりと気に入っていて、だからその小野田が東堂に押し倒されてヤられてしまうところを想像するのはさすがに脳が拒否した。というか、単純に何か癪に障る。

 荒北のそんな微妙な心情には気付かない新開は、チーズの入ったハンバーグを口いっぱいに詰め込みながら感想を漏らした。

「へえ、まだ手を出してないのか。尽八は紳士だな」

「ああ、そうだ

 東堂が胸を張って肯定するが、すぐに険しい表情を浮かべた。

「だがオレは今なら野獣になれる気がする」

 どうやら相当溜まっているらしい。何がって、ナニが。

 その後も食事を続けながら東堂の話を聞いていたが、結局話題は延々ループするばかりだ。出口の見えない会話にいい加減嫌気がさしてきた頃、新開が付け合わせのポテトを頬張りながら口を開く。

「なあ尽八、純粋な疑問なんだけど」




(中略)




  


 小野田が卒業するまで手は出さない――東堂はそう己に誓いを立てている。付き合い始めたのがまだ東堂が高校三年生の頃だから、かれこれ丸二年は我慢してきたことになるのか。たしかに会える機会自体少なかったとはいえ、まあよく耐えたと自分でも思う。最後の方はかなり危なくなっていて常に己の理性との戦いだったが、きちんと自制心が働いてくれて安心した。さすがオレ と己を誉め称えてやりたい。

 そして、ようやくその日は訪れた。



 小野田が高校を卒業してから初めてのデートの日。東堂は自信に満ち溢れた顔で改札前の広場に仁王立ちしていた。今日この日をどれだけ待ち侘びていたことか キラキラ……いや、ギラギラとしながらも晴れやかな表情で空を見上げる。幸いなことに天気も良い。絶好のデート日和だ。

 今日のために練りに練ったプランも完璧だった。有名テーマパークでデートをし一日楽しく過ごす。日が落ちたらムードのあるレストランで食事をし、夜のパレードを見ればきっと小野田は喜ぶはずだ。そのまま園内を散歩して、良い雰囲気になったところで併設されているホテルに泊まり、二人は初めて結ばれる――

 うむ、やはり完璧だ。東堂は腕組みをして満足そうに頷いた。


 一応、今日は小野田の卒業祝いという名目でデートに誘った。だから今回は小野田をめいっぱい甘やかしてやろうと思っている。小野田の望むアトラクションに乗り、食べたいものを食べさせてやろう。考えるだけでワクワクするではないか。

 ホテルの予約を取るのは大変だったが、小野田の予定を聞いて数ヶ月前から準備してきた。小野田のためと思えばそれくらい何でもない。もちろん下心もあるが、それ以上に純粋に小野田を喜ばせたいと思っていた。

 年が明けてからひたすら楽しみにしてきた卒業デートだ。今日の東堂の浮かれ具合は半端ではない。

 ――それなのに。

 楽しみすぎて約束の時間よりだいぶ早く到着した東堂が多くの人でごった返す駅前で小野田を待っていると、人混みの中から聞き慣れた声が飛び込んできた。何度聞いても飽きることのない、嬉しそうに自分の名を呼ぶ声。

「東堂さん

 愛しい恋人が満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってきて、東堂も笑顔で恋人を迎える。しかし次の瞬間、輝くようだった東堂の表情が凍った。

「よォ東堂」

「東堂さん、おはようございます」

 恋人の後ろにはよく知る姿が二つ。よく知っているが、今ここにいるはずのない人物――

「なんでここにいる!?

 行儀悪く二人に向かって指を指しながら叫ぶ。東堂は混乱の真っ只中にいた。なぜ巻島と真波がここにいる!? これは夢か 夢なのか!?

 混乱のあまり現実逃避しそうになっている東堂に向かって、小野田が申し訳なさそうに口を開いた。

「あの、この前巻島さんとお話ししたときに今度東堂さんとネズミーに行くって話をしたら、巻島さんがそれなら真波くんも誘って四人で行こうって……」

「ちょうどチケット四枚持ってたんだわ」

 ニッと笑って巻島がチケットを見せる。くっそ巻ちゃん、最初から全部わかって…… さすが自分のライバルだと思うが、なにもこんなところでライバル力を発揮しなくてもいいだろう。意地が悪すぎる。

「あの、巻島さんに、サプライズで驚かせたいから東堂さんには言うなって言われてて……あの、すいません

 ぺこりと頭を下げて謝られてしまった。東堂が不機嫌になったことを察したのだろう。まったく、こんな申し訳なさそうにされたら怒るに怒れないではないか。そもそも小野田が悪いわけではないのだ。

「いや、ちょっと驚いただけだ。メガネくんは気にしないでくれ」

「は、はい」

「わーオレ、ネズミーとか超久々 楽しみだね、坂道くん

 真波が無邪気に小野田に抱きつく。これは分かってやっているのだろうか、だとしたら相当タチが悪い。小野田は東堂を気にしながらも「うん」とにこやかに笑いかけていた。どうやら巻島も真波も全力で東堂の邪魔をする気らしい。

 ――くそ、必死に立てたデートプランが……

 東堂が呆然と突っ立っているとポンと肩を叩かれた。暗い表情で振り返れば巻島が楽しそうな笑みを浮かべている。

「せっかく日本に帰ってきたからな、たまにはこういう場所もいいかと思って」

 ニヤニヤと笑いながらもっともらしいことを言ってみせる。巻島は小野田達の卒業に合わせて帰国していて、もうすぐイギリスに戻ってしまうのだ。たしかに今回のこれは思い出作りにはもってこいだと思う。たまに帰ってきたときくらい巻島には思いきり日本を満喫してほしいと、東堂もそう願っている。

 だが、それとこれとは話が別だ。とりあえず今の東堂の本音は『二人が邪魔』である。以前にも真波を使って小野田とのデートを尾行されたことがあったが、今回は隠れる気すらなく堂々と邪魔しに来たらしい。なんかもう、作戦が雑だ。

 面白くないというのが表情に出ていたのか、東堂の様子に気付いた巻島が目を細めた。




(後略)







  (本文より一部抜粋)