【サンプル】 世界一いとしい君の愛し方



【愛を確かめる話】

 家に帰ると出迎えた坂道がやけに真面目な顔をしているので東堂は思わず背筋を伸ばしてしまった。
「あの、ボク凄いことに気付いたんですけど」
 頬を紅潮させながらあまりに真剣な顔で言うものだから、何事かと思った東堂が思わず身構える。坂道が突然突拍子もないことを言い出すのはいつものことだが、その度にドキッとさせられてしまうのは何とかしてほしい。蓋を開けてみれば大抵は肩透かしを食らうような内容なのだが、勿体ぶった言い方をされるとこちらも無駄に緊張してしまうのだ。今回もきっとそう深刻な内容ではないのだろうと思ってはいたが、実際坂道の口から出たのがとても平和な話題だったのでほっと息を吐く。だがそれは東堂が坂道に内緒で進めている計画の中心にも触れるような内容だったから、表面上は平静を装いつつも東堂は内心焦ってしまった。
「今年って、東堂さんとお付き合いを始めて十回目のクリスマスなんですよ」
 キラキラと目を輝かせながら坂道は嬉しそうに笑っている。その様子は微笑ましいし可愛いと思うが、実はそのことに気付いたのは東堂の方がずっと先だった。坂道には内緒で何ヶ月も前から、その十回目のクリスマスのために準備をしていたのだ。せっかくのサプライズ、出来れば当日まで秘密にしておきたかったから素知らぬ顔をしてこたえる。
「そうか! もう十回目なんだな!」
「十年ですよ。早いですよねぇ」
 感慨深い面持ちでしみじみ呟く坂道を見て東堂がふっと微笑む。あっという間だった気もするが、やはり重ねてきた年月というのは重い。この十年、色々なことがあった。そのどれもが今の二人を形作っているのだ。
「あの、東堂さんの今年のクリスマスの予定って……」
 遠慮がちに問われ東堂が唇の端を上げる。今年のクリスマスだけは何が何でも予定を空けようと苦心した甲斐あって、無事休みをもぎ取れたのだ。
「坂道と過ごす」
 きっぱり答えるとふにゃりと坂道の表情がほころぶ。安心したようにほっと息を吐き出した。
「よかった。えっと、ボクも今年はクリスマスの予定空けたんです」
 にっこりと笑う坂道を見て東堂は満足そうに微笑み、知ってる、と心の中で呟いた。今月の坂道のスケジュールは把握済みだ。というかクリスマスに予定を空けられるよう寒咲兄妹に頼み込んだのは東堂だった。快く頼みを聞いてくれた二人には感謝しかない。
 昨年の冬は東堂も海外でのトレーニングがありそもそも日本にいなかったし、坂道も店の方が忙しく、またちょうどバイトが辞めてしまって人手不足だったため年末はほぼ休み無しで働き通しだったのだ。当然クリスマスを祝うような余裕など無く、普段と変わらない一日を過ごした記憶しかない。
 そのぶん、今年は気合いを入れて祝おうと思っている。東堂はクリスチャンではないし、老舗旅館の息子だけあってどちらかといえば神道、仏教の方が馴染みが深い。家でも盛大なクリスマスパーティーというのはほとんど記憶になかった。
 坂道と付き合い始めるようになってようやく、クリスマスというのは恋人同士の一大イベントだと意識するようになったのだ。坂道もイベントには疎い方で特別クリスマスを意識するような人間ではなかったが、クリスマスを感じる季節になるとわくわくすると言っていたから興味がないわけでもないのだろう。
 まだ坂道が学生だった頃のことだ。イルミネーションを観に来たはいいが、クリスマスイブの街というのは本当にカップルばかりだった。男同士というのは悪い意味で目立っているように思えて最初は居心地悪そうに周囲を気にしていた坂道だが、夜も更けてくるとだんだんムードに呑まれていったようだ。周りのカップルにあてられたのか、いつもより積極的な坂道が見られたのはきっと日頃の行いが良い東堂へのクリスマスプレゼントだったのだろう。
「あの、て、手をつないでもいいですか?」
 普段なら外では絶対に聞けない言葉だ。東堂も別に人前でベタベタすることを好むわけではなかったが、可愛い恋人が甘えてくれるのは嬉しかった。周囲は暗く、周りのカップルもみんな上を向いてキラキラと輝くイルミネーションに夢中である。この人混みの中で他人を気にする余裕なんて無いはずだ。今なら気付かれないだろう。
そっと坂道の小さな手を取る。冷え切ってしまっているその手を包みこむようにして重ね指を絡めると、坂道が控えめに体を擦り寄せてきた。
「……不思議ですね。クリスマスって、なんだか特別な感じがします」
 そう言って笑う坂道の顔を今でも覚えている。色とりどりの光に照らされた坂道はその場で一番輝いて見えたからだ。
 クリスマスを特別な一日だと意識しているわけではない。だが、恋人だったら甘い一日を期待してしまっても仕方ないだろう。


(中略)


最初は控えめに合わせるだけだったキスを徐々に深いものにしていく。吸い付くように合わせると柔らかな感触が気持ち良く角度を変えて何度も重ねる。坂道の唇は甘く、ただ重ねるだけで胸がいっぱいになった。薄い皮膚を通して坂道の唇に確かに通っている熱い血を感じ愛しさが込み上げる。ふわふわとした弾力、温かさが伝わってきて、敏感になった唇の先がビリビリと甘く痺れた。
「っふ、あ……」
息継ぎの合間に坂道が鼻から抜けるような声を漏らす。その吐息ごと呑み込むように唇を強く合わせ、僅かな隙間に舌を差し込んだ。奥に逃げてしまっている舌を誘い出すと舌先をつつくようにして絡める。ぴちゃりと濡れた音が響き、触れた箇所から坂道の体温が上がっていくような気がした。ぬるりとした感触を味わうようにして咥内を貪ると首に回された坂道の手に力が籠もる。
まるで丸ごと喰らおうとするかのような舌の動きに翻弄され坂道が切なげに眉を寄せる。息継ぎをする暇も無い、すべてを奪うような口づけの合間を縫って控えめな抗議の声を上げた。
「と、うどうさっ……ちょっ、ま、って……」
酸素を欲するように荒い息を吐きながら懇願する。しかし東堂は坂道の言葉を無視してぐいぐいと唇を押し付けてくるので、仕方なく東堂の頬を軽く抓る。これくらいのことをしないと今の東堂には通じないと思ったのだ。
「……も、苦し……」
「がっつくぞ、と言ったぞオレは」
東堂も荒い息と共に言い訳のように吐き出す。その声がどこか切羽詰まった響きを孕みひどく艶っぽく耳に届いたので、坂道の心臓はドキドキと跳ねた。最初の宣言通り今日の東堂は我慢をする気がないらしい。いや、我慢がきかない、といった方が正しいか。


(中略)


【惚気の話】

 師走というのは本当に慌しく忙しいものだ、と心の底から実感するようになったのは社会人になってからだ。その忙しさの合間を縫って忘年会をしようというメールが届いたのは十二月に入ってすぐのことだった。言い出したのは鳴子と泉田で、鳴子からメールをもらった小野田は『総北・箱学合同忘年会』という響きに胸を高鳴らせた。
 鳴子と泉田という組み合わせは意外に思えるが、高校時代はそうでもなくても、むしろ卒業してから親しくしている二人である。特に気の合うタイプには見えなかったのだが、いつの間にかメル友となり何だかんだと連絡を取り合っているらしい。二人とも方向性は多少違えどマメなタイプだったのだろう。
 そんな二人が声をかけて、この年末に総北と箱学で集まることになったのだ。今までも学年ごとや学校ごとの括りで集まることはあったが、こういった学校合同飲み会というのはずいぶん久しぶりだった。仲の良い者同士が個人的に集まり飲むことはあっても、こうして一堂に会するのは珍しい。小野田は鳴子に話を聞いた時からずっとこの飲み会を楽しみにしていたのだ。
 この年末の飲み会は都内の大衆居酒屋で行われた。なんとか皆が都合のつく日程を調整し、約束の時間の十分前になると皆続々と集まってきた。今店にいるメンバーは鳴子、金城、田所、巻島、東堂、新開、泉田である。今泉と小野田、福富と荒北は遅れて来ると連絡があった。真波は連絡がつかず出欠不明だが九十九パーセント欠席だろうと皆了解していた。そもそもいま日本にいるかすら分からない。真波の飲み会参加率はぶっちぎりの最下位である。
 久しぶりに集まったということもあり場は盛り上がっていた。巻島は当然のように隣に陣取った東堂を見て眉を寄せる。
「巻ちゃん! 飲んでるか?」
「……飲んでるっショ」
 うわ、うるさいのが来たという内心を隠そうともせずに巻島が露骨に嫌そうな顔をする。そんな態度にもめげることはない東堂は、巻島の肩に腕を回しながら馴れ馴れしく言った。
「ん? なんだなんだ、テンションが低いな?」
「おまえが隣にいるからナ」
 東堂と巻島は高校の時からしょっちゅう連絡を取り合っていたが、その関係は巻島がイギリスに行ってからも主に東堂からの働きかけによって続いていた。それは十年経った今も変わらず、巻島はもしかしたら自分が今日ここに集まるメンバーの中で一番頻繁に会っているのは東堂かもしれないと思い戦慄した。しかし、やはりこの年になるとお互い仕事が忙しくなってきてなかなか会える機会も減ってくる。それでも会えばすぐに当時の空気に戻れるのが学生時代の友人の良さだと、最近巻島は実感するようになっていた。歳だろうか、なんて言ったらだいぶ怒られそうだが。


(中略)


【付き合いの長さを確かめる話】

 付き合いが長くなるというのは、相手のことをよく知るということだ。数年付き合っただけではわからない、相手が自分でも意識していない一面というものを知ることもある。
 その一つ、実は東堂は一つのことに集中すると他が見えなくなる。普通に付き合っているだけなら、東堂は一見八方美人でマルチタスクも得意なように見える。しかし東堂は心底集中する場面になると、途端にその他のことをおざなりにしてしまうのだ。
 この性格は昔からそうだったわけではなく、確か東堂がプロのロードレーサーになってから、試合のたびに連絡が途絶える東堂を見て小野田が気付いたことだ。巻島にそれを言うと驚かれたが、しばらく考えて「もしかしたらそうかもしれないっショ」と納得してくれた。
 そんな東堂の性格を、小野田はわかったつもりでいた。そうではないと気付いたのは、東堂から来たあるメールを見た時のことだった。
『年明けに大事な試合がある。それまで連絡できない』
 謝罪の一言もなく、ただ事実だけを述べた簡潔なメール。仕事を終えて一息吐いた時に見たそのメールを、小野田は最初理解していなかった。むしろいつも試合前は連絡を控えるのに、どうしてこんなことを言ってきたのだろうと思ったぐらいだ。
 ふとカレンダーを見て、東堂がわざわざそう言った意味を悟った。今は十二月初旬。年明けまであとひと月。その間にはもちろん年末があり、そしてその前にクリスマスがあった。
 つまり、今年は東堂とクリスマスも年末年始も離れ離れということだ。
 理解した瞬間、小野田は頭の奥がすぅっと冷えるような、不思議な感覚に陥った。しばらくして、その感覚が寂しさの極致なのだと悟る。
 小野田も寒咲自転車店二号店で働く身だ。ロードレーサーとしての東堂の動向は知っている。東堂のいう年明けのレースがどれだけ大事なのかもわかっていた。
 それでも、今までずっとクリスマスは一緒に祝ってきたのだ。当日は小野田の仕事や東堂の練習で一緒にいられなくとも、その前後には必ず会ってプレゼントを交換して、互いに愛を確かめ合った。年末年始はお互い、実家に帰ることにしているが、それでも連絡は取り合っていた。
 それが、今年はできない。それだけのことに、小野田はただ茫然とすることしかできなかった。


(後略)





  (本文より一部抜粋)