眠り姫(荒坂)



 小野田チャンを寮に呼んだのに深い意味はない。
 たまたまこの近くに来る用事があると言うから「だったら寄ってけばァ?」と誘うのは普通のことだろう。あまり歓迎されることではないが、寮生以外の人間が寮に遊びに来ることはそう珍しくない。さすがに泊まりとなると規則も厳しいが、日中少し部屋に立ち寄るくらいならそんなに細かく言われることもないのだ。

 まァオレとしてはまさか小野田チャンが「いいんですか!?」なんて目を輝かせて簡単に頷くとは思わなかったけどネ。オレを見て「食べられそう」とか言っといて、ソイツの懐に自分から飛び込んでくるとかなァ。ま、だから目が離せないんだけどォ。

 あっさりと寮に来た小野田チャンを自分の部屋に通す。東堂や新開が外出していて本当によかった。

「お邪魔します」
「あー悪ィ、散らかってっけど適当に座ってくンねェ?」
「い、いえ! すごくキレイなお部屋で驚きました!」
 わぁぁと物珍しげに部屋を眺める小野田チャンを見ていると、昨夜必死に片付けた甲斐があったなと思う。もともとスゲー散らかってるワケじゃねェケド、好きなコを部屋に呼べるかもしれないっつったらそりゃイイトコロを見せたいっつーか? ああクソ、だからヤなンだよこういうの。ガラじゃねェっつの。

「そんで、せっかく来てもらって悪いンだけど、どうしても明日までに終わらせなきゃなんねェ課題があンだよネ」
「あ、はい! それはモチロン、ぜひ課題を終わらせてください!」
「ほんとゴメンネ。そこにある雑誌とか適当に見てていいから」
「は、はい。ボクはボクで勝手にやっているので、荒北さんはどうぞお気になさらず!」

 小野田チャンはそう言ってくれるが、せっかくここまで来てくれたのだ。オレだって早く小野田チャンと遊びたい。だから部屋に呼んだのだ。よりによって今日、進学に直接響くらしいこの課題が出されたことを恨む。タイミングが悪すぎるダロ!
 とにかく早くやっつけてしまおうとワークシートを広げながらチラリと小野田チャンに目を遣ると、床に詰んであった雑誌に遠慮がちに手を伸ばしている。その内ちょこんとベッドにもたれ掛かりながらパラパラとページを捲り始めた。
「ベッドに座っていーヨ」
 声をかけるとこくんと頷いておずおずとベッドに上がる。しばらく雑誌を捲る音とペンが紙の上を走る音だけが静かな部屋に響いていた。

 
 ようやく終わったとペンを放り出し、いつの間にか凝り固まっていた肩をほぐすように動かしていると、ふと室内に何の音もしないことに気づく。妙に静かすぎることを不審に思い小野田チャンを見ると、先ほどまで体育座りをしながら雑誌を見ていた小野田チャンがベッドの上で丸くなっていた。近づいて上からのぞき込むと静かに寝息を立てている。
「小野田チャン? 寝てンの?」
 小声で話しかけ軽く肩を揺さぶると「んぅ」と口元をむにゃむにゃ動かしながら仰向けになる。規則正しい寝息はいかにも気持ちよさそうだ。
「小野田チャン?」
 呼びかけても瞼がぴくりと動くだけで起きる気配はない。相変わらずすやすやと幸せそうに瞼を閉じたままだ。

 滅多に見ることのできない小野田チャンの寝顔を見ていると、突然腹の底から衝動が湧き上がった。こんな自分の前で無防備に寝顔を晒すなんて、食ってくれと言っているようなものではないか。
 
 相変わらず眠ったままの小野田チャンを見下ろしながら囁くように呟いた。
「襲っちゃうけど、イイ?」
 返事がないと分かっていながら問いかけるのはきっと卑怯なことだろう。だって自分は否定の言葉など聞く気はない。

 一瞬だけ触れた唇が離れる。そっと顔をのぞき込むと小野田チャンと目が合った。思わず息を呑む。
「起きてたの?」
 ぎょっとして問うとみるみるうちに小野田チャンの顔があかく染まっていく。答えなんて明らかだった。
「い、今のって……」
 真っ赤になって見上げる小野田チャンの表情には戸惑いや困惑だけじゃなく、明らかに甘く熱っぽいものが混じっている。これは、もしかしたら――

「なァ小野田チャン。その反応、期待しちゃうけどイイの?」
 逃げるなら今だと言った言葉にも小野田チャンは動かない。惑うように瞳を揺らしたあと、目を合わせてこくりと小さくうなずく。バァカ、可愛いんだよ、クソ!

 どうやらオレは、今まで眠ったままの小さな恋心を起こすことに成功したらしい。

 首筋に鼻先を寄せると甘ったるく頭の芯が痺れるような匂いがした。

 ――ヤベェ、好き。
 
 思わずクラクラとしながら、もっと他のモノも目覚めさせてしまいたいと、柔らかな唇にもう一度口づけた。






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