亭主の寸話79 「声」の不思議な力
私は今、皆さんと一緒に詩吟を楽しんでいます。詩吟をしているとどうしても声について考えることが多くなります。どうしたら良い声になるだろうか、どうしたら大きな声を出すことが出来るだろうか、など気になることが次々と浮かんできます。
声は喉の奥にある2㎝ほどの「声帯」の振動で出来ていると思っていました。しかし、そこで作られるのは「音」であって、いろいろな言葉を伝える「声」ではなかったのです。声帯で作られた音は、丁度弦楽器の弦をはじいただけの音であり、それを声にする仕組みがないと声にはなっていかないのです。はじかれた弦にバイオリンの箱を添えると高いバイオリンの音色になり、コントラバスの箱を添えると低音の音に代わるのです。このことは人の声にも同じことが言えるのです。
人の声には声帯で作られた音を増幅させる仕組みが必要です。まず、声帯の音を捉える口の形が大切です。口の形にしたがって声帯の音は響きを変えて増幅されます。だから美しい声を作るには口の形をしっかりさせることが必要なのです。「あお」と発音しようとすると、まず「あ」の時は息を吐き出すのと同時に口は大きく開けられます。次に「う」と発音する口の準備に移ります。これら一連の作業は聴覚をはじめとする脳が司令を発して行います。さらにその時の声帯の振動数を調整して260ヘルツ、つまり声帯を260回振動させます。私たちはなんとなく声を出していますが、そこには脳と聴覚と発声の驚異的な連携プレイが成り立っているのです。
しかし音は口の形だけでは決まりません。その人の体全体が声を作る楽器の働きをしているのです。声は体のいろんな機能を利用し、全身を共鳴させて出すものだから、体調に不備があるとそれが声に現れるようになります。
一般に、その人の身長が高いと声帯も若干長くなり、声を共鳴させる「声道」という部分も長くなるので声は低くなります。このことは人だけではなく、犬も大型犬は鳴き声が低く、小型犬は高い声で啼きます。産経新聞の「朝の詩」にこんな詩が載せられていました。『木は 木全体が楽器です 吹く風に体を任せて 音を奏でます 小さな風には 木の葉や枝を 小さく震わせて 大きな風には 幹を大きく揺らせて 音を奏でます 木は 幅広い音域をもった バリエーションに富んだ楽器です』(足達三好)
私たちは電話で話しながら、相手の状況を声から判断することができます。電話の相手が子供であるか老人であるか。太っている人か痩せている人か。風邪をひいているのか、元気で生き生きしているか。笑いをかみしめて喋っているのか。顔をしかめて不機嫌に喋っているのか。落ち着いた堂々とした姿の人か、猫背で自信なさそうな人なのか、など私たちは電話の声から自然に推測しているのです。これも脳の記憶に基づいた働きによるものです。女性は妊娠すると声の変化として現れると言われています。アメリカで行われた実験では女性は排卵期になると声が変化すると指摘されています。それはホルモンの影響で基礎体温が上昇するという変化が起こるからだとされています。このように声は生命活動に必要な器官を使って発声し、共鳴させているので臓器や骨、筋肉やホルモンに到るまでが声に影響を及ぼしているのです。
もっと広く考えれば、声でその人の病気を知ることも出来ると言われています。中国では昔から声でその人の性格や体質、生い立ちから既往症まで、さらには親や兄弟の体格、性格まで読み取る「声相」という易学があるようです。
私たちは「声」だけの器官というものは持っていないのです。口は息を吸い、食べ物を取り込む器官であり、声の元になる呼気は肺で体内の酸素と炭酸ガスを置き換えて吐き出すための捨てる空気を利用しているのです。その空気を吸い、吐き出す胸や腹の筋肉も声だけに使うわけではないのです。だからよい声を出そうとすれば正しい姿勢、正しい口の形、全身を共鳴させる胸・腹の筋肉の働かせ方など全身を使った発声方法が大切になってきます。
また、私たちは自分の声が正しく発声されていると錯覚する仕組みも備わっていることを知っておく必要があります。自分の声は口から発した声と骨伝導で脳に直接伝わる音の両方を電気信号として聴覚野で受け取り音を認識します。ここで聴覚は「ちゃんと発声できた」と自分で補正して取り込む仕組みが働きます。不正確な発声でも自分の脳で決めていた声で発声できているかのように脳が修正するのです。だから自分の声を確認しようとすれば声を録音して、骨伝導を介さない、音波だけによる耳からの音として聞き直してみる必要があります。そこには自分で想像していなかった声が現れてきます。多くの人は自分の声をテープで聞くことを嫌います。それは自分で想像していなかった声が現れるからです。しかし、その声が周りの皆に聞こえている自分の本当の声なのです。だから、自分の声を確認しようと思ったら一度録音して聞いてみることが必要なのです。
多くの人は自分の声を知りません。空気を通した自分の声が人にどのように聞こえているのか知らないのです。自分が知っている自分の声は骨伝導で脳に伝わってきた音であり、周りの皆が聞いている空気の振動によって伝わってきた音とは違っているのです。皆が聞いている自分の声を知りたければスマホやICレコーダーなどの録音機能を使って自分の声を確認してみるしかないのです。ほとんどの人は録音機で自分の声を聴いて、「自分はこんな声じゃない」と叫びたくなると思います。そこには自分が認識している声と大きな違いがあるのです。しかし、こうして録音した声を聞かないと自分の本当の声に気づくことは出来ません。
そして録音して聞いた自分の声を、自分が望ましいと考えている声までに修正する努力をしてはじめて、自分が思っていた自分らしい声に近づくことが出来るのです。現在の自分の声は脳が記憶している過去の習慣に基づいて自動的な発声作業が行われているので、新しい自分の声を作るには新たな習慣を繰り返し脳に記憶させる作業が必要になります。正しい声を録音機で確認しながら繰り返すことによって脳はその発声作業を覚え込み、正しい声を自動的に出すようになっていくのです。つまり自分が望ましいと思う声に修正するには、自分の声を確認しながら発声練習を繰り返すしかないのです。声はいくら考えても変わりません。声を出し続けることによって、声・聴覚・脳は三位一体となって心身に働きかけ、その人のもっとも良い状態を維持する方向へと導いてくれるのです。
私たちの体は小宇宙にたとえられるほど複雑で神秘に充ちています。学問的に声の仕組みが分かっとはいえ、生きている状態で体に起こる反応は、脳を始めとしてまだまだ謎に包まれている部分が多いのです。私たちは体温など自律神経によって支配されているところは自分の意志では変えられません。自分の体にもかかわらず主導権は別の何かが握っているのです。そして自分の意識を超えて調整してくれているお蔭で我々は生きているのです。私たちの声も複雑な仕組みの上に成り立っています。発声に影響する呼吸と姿勢を整えながら健康と好ましい声を作り上げたいものです。