亭主の寸話73 『日本人の味覚を支えた大豆油』 

 人類が植物油を調理に利用するようになるのは世界的にもせいぜい千年程度の歴史しかありません。昔は、油はぜいたく品であり、ごく一部の特権階級の人たちに限られていました。しかもそれは食用としてではなくもっぱら灯りの原料として使われていました。一般庶民が油料理を食べられるようになるのは日本では江戸時代半ば以降です。それは植物から油を取り出すことが難しかったことが大きな理由です。だから油は、庶民では手が届かない高価なものだったのです。江戸文明年間になってもナタネ油の価格は、米1升が100文に対してナタネ油1升は400文と高価だったのです。その限られた油を使用するのはもっぱら自分たちが心の支えとしている神様や仏様を照らす燈明として使われてきました。このことは洋の東西を問いません。一般庶民は植物から油をわざわざ取り出さなくても、植物や動物を食べれば人の体に必要な油を摂取することが出来たから私たちの体が要求をしなかったのだと思われます。だから油はもっぱら自分たちを守ってくれる神様や仏さまを崇める儀式に使われていたのです。初めは油分を多く含んだ松の根などを燃やして松明にすることから始まっていましたが、煙や煤に悩まされ徐々に煙の少ない木を選んでいたが、だんだんと油を絞り、煙や煤が少ない灯油へと移っていったものと思われます。こうして油が取り出されるようになると次にはそれらを燈明以外に利用する工夫が生まれてきます。その一つが油を調理に応用するということです。その場面はやはり身近に油が置かれていた寺院から起こっています。寺院ではいろいろな油が燈明に利用されていましたがそれらの中で口に入れても違和感の少ない油で調理するように進んでいったのだと思われます。我が国では、戦国時代に南蛮人が渡来するようになり彼らが持ち込んだ南蛮料理が始まりだとされています。この頃に使われていた油はゴマ油、カヤの油、ナタネ油や綿実油と思われます。現代では世界的に食用植物油として用いられているのはパーム油、大豆油、菜種油、ひまわり油、綿実油、落花生油、オリーブ油、ヤシ油、コーン油、ゴマ油、ヒマシ油、亜麻仁油などが主なものです。そして今やパーム油・大豆油・ナタネ油が最も使われている食用植物油と言えます。

 

 これらの油を食用油として利用する時には油に含まれる不純物を取り除くために油の精製をしています。そしてこの精製工程では油に含まれている臭い物質や葉緑素など油以外の者は取り除くようにしています。だから単純に考えたら精製工程を経て出てきた油は純粋の油と考えられますが、食用油脂の専門家はそれらを口に含むとそれぞれの油の味の差を言い当てることが出来るのです。それらの風味を彼らはこのように表現しています。

『パーム油は淡白でカラッとしている。大豆油は独特の旨味とコクがある。ナタネ油は比較的あっさりしている。焙煎ゴマ油には強烈な香ばしさがある』と。

こうしてパーム、大豆、菜種から搾られた油が主に利用されていますが、このうち大豆だけは食用としても昔から食べられてきました。

 では古代の日本人はどんな植物から油脂を摂取していたのでしょうか。縄文時代中期の遺跡からの出土品から想像すると、それはドングリやトチの実や大豆でした。縄文時代後期になるとアズキやリョクトウなどの豆類も現れてきますが、大豆が縄文時代中期から食べられ、すでに5,000年の歴史があることが分かっています。これらの植物の中で油分が多く最も当時の人たちの健康を支えていたと思われるのはやはり大豆でしょう。当時の大豆にどの程度の油分が含まれていたのかはわかりませんが、人の健康になくてはならない必須脂肪酸を含む大豆油は私達の祖先の健康を支えていたことは確かです。しかし、当時の人たちは大豆を意識して食べても油脂を食べているとは気が付いていません。それは現代の私たちも同じです。

 

 大豆を原料にした豆腐を食べていますが、この中に豊富な大豆油が入っていることを意識していますか?大豆の中には約20%の油脂が入っていますが、豆腐の製造過程でこれらが流失することはありません。豆腐屋さんの排水溝の中に油が浮かんでいたなんて記憶はないでしょう。大豆の中の20%の大豆油はすべて豆腐に入っているのです。しかし、この油を豆腐の大豆タンパクが包み込んでいるので私たちは油が含まれていることを感じません。「冷奴はさっぱりして美味しい」と皆さん夏場の冷たい豆腐を楽しんでいます。もちろん豆腐には多くの水分が含まれているのでタンパク質も油脂も薄められていますが使われた大豆の成分はオカラにくっついて失われた成分以外はすべて含まれているのです。

 

 以前にリポキシゲナーゼ失活大豆というものを我が国が開発したことがありました。これは大豆に含まれる油分を分解する酵素で、この酵素が無い大豆が見つかったのです。この酵素がなければ生大豆を噛んでも酵素が働かないので生大豆の生臭みが発生しません。欧米人が苦手とする大豆臭が無くなるのです。多くの可能性を期待してこの大豆で豆腐を作って食べたところ豆腐の味がしない、という思いがけないことがあったのです。さらに研究を進めていって分かったことは、いままで豆腐の味わいとして我々が感じていたのは、実は豆腐に含まれている大豆油の味だったのです。またこんなこともありました。豆腐用大豆が逼迫していた戦後の一時期に大豆油を絞った残りの低温脱脂大豆を使って豆腐を作っていたことがありました。この豆腐には大豆油が含まれていませんでしたが、大豆タンパクは豊富で見た目にも安価で立派に豆腐が出来たのです。しかしこの豆腐を食べた人たちは豆腐の味がしないと不評を買いやがて店頭から消えて行ってしまいました。豆腐には大豆油の味と香りが必要だったのです。このことは何も豆腐だけのことではありません。同じことが全ての大豆加工食品についても言えます。私たちは大豆食品を味わうときには無意識のうちに大豆油の味も味わっているのです。大豆食品の美味さには大豆油の旨さも加味されているのです。こうして私たち日本人の味覚には長い年月をかけて無意識のうちに大豆油を加味した味覚に慣らされてきたところもあるのです。

 私たち日本人は縄文時代中期から5千年間大豆を食べ続けています。それは同時に大豆油を味わい続けてきたということでもあるのです。このことに私たちはほとんど気が付いていません。それはナタネ油でもオリーブ油でもないのです。日本人がナタネ油を利用し始めたのはせいぜい200年の歴史であり、オリーブ油の利用はさらに短いのです。

 和食にはその食材として、あるいは調味料として多くの大豆が使われています。日本人が和食に美味しさと親しみを感じる根底には大豆油の旨味に対する郷愁が呼応しているのかもしれませんね。

 

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