亭主の寸話72 『声は体を表し、書は態を表す』 

この表題は、その人の声は自分の体のいろいろな情報を伝えており、その人の手書きの文字は心の有様を示しているということを示しています。

まず声について考えてみましょう。あなたも無意識のうちに体験していることでしょうが、知人と電話で話したときにその人が今どんな状態であるかを言葉で説明されなくても声でわかることがありますね。電話で話している相手が風邪をひいているのか、酔っぱらっているのか、喜んでいるのか、気分的に落ち込んでいるのか、あるいは場合によってはその人が太っている人か痩せている人か、若い人か年寄か、体の大きな人か子供なのかなど、姿を見なくても想像することが出来ます。声を聞くだけでなぜこんなに見えない相手の姿が想像できるのだろうか、それは声というものがその人の体全体を使って発せられているからなんです。声の音はまず喉の声帯で起こりますが、その音を体全体を使って増幅させて声にしているのです。そして我々は経験から声の聞こえ方とその声を発した人物の体調や体型の関係を脳が記憶しているのです。私たちの脳はそれらの微妙な違いを読み取ることが出来るのです。だから相手が笑いをこらえながら話しているのか、不機嫌な気分で話しているのか、あるいはそわそわして落ち着かない状態か焦っているのかなどの心理状態まで声から感知してしまうのです。

私は仕事をリタイアーして以来漢詩を楽しむために仲間と一緒に詩吟を吟じています。そしていつまでも張りのある声を維持するために「声」についていろいろと勉強するようになりました。そこで声の不思議さとその訓練法を知ることが出来ました。そのいくつかを紹介してみたいと思います。それは詩吟をしていない人にも、声をいつまでも若々しく保つためのヒントとなることでしょう。

まず正しい発声をするためには呼吸を整えることが大切です。一回の呼吸で長く唄い続けられたり、力強い声を出すためには腹式呼吸が大切になってきます。この腹式呼吸をすることによって深く大きな呼吸をすることが出来るようになります。一般的に1分間の呼吸数が1220回が正常とされています。これよりも呼吸数が多い人は呼吸が浅くなっており肺に十分な空気が入っておらず、また充分に息を吐ききれていない人といえます。横隔膜を押し下げて肺に十分な空気を蓄えることが息の長い、力強い声を作ります。その息を使って正しい口の形を作れば美しい声になるのです。もちろん繰り返しの訓練が必要です。

ではどのようにすれば腹式呼吸が出来るのだろうか。それにはまず腹式呼吸を体験してみることが大切です。まず普通の呼吸を四~五回繰り返した後、吐く息を少しずつ長くしていきます。このとき、下腹部(胆田)を膨らませるようにして息を長く保つようにするといいでしょう。息の吐き方は、昔の「火吹竹」の要領です。いったん吸い込んだ空気を胆田に貯える保息法と蓄えた息をすべて声に使う発声法が大切です。こうすることによって力強い声が出るようになります。

もう一つ元気な声を維持するために大切なことは普段から声を出し続けることです。それはなにも詩吟を吟じることだけでなく、カラオケでもいいし仲間とのお喋りでもいいのです。絶えず声帯を使っていることが大切なのです。私たちの声帯はいくつかの筋肉で構成されています。筋肉は使うことで鍛えられますが、使わなければ衰えていきます。一人で部屋に閉じこもり声を出さないでいると自分の声帯を支える筋肉は衰えるばかりです。高齢になると多くの人は声帯の働きが衰えて音域が低くなりかすれて老人声になります。そうならないためにはカラオケでもいいので少し高いキーでも唄うように心掛けることが必要です。自分の歌いやすい低いキーだけで唄い続けていると声の幅が低く狭いままになってしまい若さがなくなります。テレビから流れてくる歌手の声に合わせて高い音域にも挑戦してみましょう。きっと自分でも気が付かないうちに若々しい声に変わっていくことと思います。

こうして呼吸筋を鍛えるとそれは自分の健康に結びついていきます。70歳台以上の人の肺炎の7割は誤嚥性肺炎だと言われています。呼吸筋が弱まると咽頭の動きが鈍くなり、喉の交通整理が出来なくなります。その結果、食事中にむせるようになり誤って食べ物が肺に入ったり、入った食べ物を吐き出せなくなります。

また喉を鍛えることは若々しい声を維持するだけでなく正しい呼吸から自律神経を正常な状態に保ち自らの健康を守ることにつながります。私たちの体は深い呼吸をすることによって肺の中に酸素を多く取り込み、その酸素を使って体の新陳代謝を活発化し、免疫力を強くし病気抵抗性を高めるとされています。また私たちの脳は体内に取り入れた酸素の25%を消費しており、酸欠に弱い器官のようです。浅い呼吸を続けているとまず肺が酸欠状態に陥り、それに続いて多くの酸素を必要とする脳が酸欠となり、セロトニンなどの分泌が減少する弊害を引き起こすといわれています。

「息」という漢字は、「自らの」「心」と書くように、心と呼吸は深い関係にあります。呼吸は生命を維持する基本であり、生きていることの証でもあるのです。気分を変えたいときは「深い呼吸」と覚えておきましょう。働いている日の呼吸は、休みの日よりも多くなりやすいのです。それはストレスを受けると呼吸数が多くなるからです。もし1分間に20回を超えているなら、かなりのストレスがあると考え、自分で呼吸を整えるように心掛けましょう。自律神経をコントロール出来るのは唯一呼吸だけなのです。腹式呼吸による深い呼吸によって交感神経と副交感神経とを切り替えられるからです。

声はその人の状態を示しています。たまには自分の声を録音して聞いてみることも必要ですね。

 

では次の話題に切り替えましょう。もう一つ自分をさらけ出しているのに自分の手書きの文字があります。私は毎年多くの友人から年賀状を頂きますが、今ではそのほとんどがプリントしてある決まり文句の年賀葉書になっています。このような年賀状からはその人の情報はほとんど伝わってきません。私は以前から年賀状を出す人には表書きも裏の文面も自分の手で書くようにしています。それは上手下手に関係なく自分の気持ちを示すためにも必要だと思っているからです。ある友人は私に、自分が受け取っている年賀状で手書きの年賀状は君だけだと言われたことがありました。確かにビジネスで取引先への挨拶など300枚、500枚と出さなければならない人には手書きの年賀状は無理でしょう。でもビジネスを離れた仲間にはより気持ちが伝わりやすい手書き葉書がいいと思っています。

手書き文字には親近感が漂っています。また、長年の繰り返しの中でその人なりのある種のクセ字が出ています。そのクセ字を見ていると書いた人の個性がにじんで垣間見えてきます。のびのびとした字を書く人、小さな字で丁寧に書く人、字が躍っている人、躍動感を感じさせる人、右上がりの字、左上がりの字、丸文字など眺めているだけで楽しくなり、また書いた人を想像できる楽しみがあります。特に最近のデジタル時代にあってあらゆる文章が機械文字になってしまっている中にあって手書きの価値はより高まっているように感じられます。

先の3.11東日本大震災の時に地元では電気が遮断されてテレビやラジオからの情報が得られなくなった時に、地元の新聞社が手書きの壁新聞を避難所に張り出したというニュースを見ました。避難所に居る人からは大災害の直後の不安の中で手書きの文字に触れただけで、何とも言えない安らぎを感じたという感想を言っておられました。手書きの壁新聞には印刷した機械文字にない安心感が得られるように感じられます。このように手書き文字には人から人へ気持ちを伝える力があると思います。居酒屋の壁に貼られるメニューには手書きの文字がふさわしいでしょう。それはお店の主人の温かい気持ちが伝わりやすいからでしょう。美しい字でなくてもいいのです。その人なりの雰囲気が漂う文字にはそれだけでその人の人間味が溢れているのです。

 私の身近にも寸詰まりなクセ字を書く人がいました。そしていかにもその人らしさの溢れるその字に親近感を持っていました。その人があるときから筆を持って書道を始めました。始めのうちはその人を励ますために書いている字をほめていましたが、5年を過ぎるあたりから本当に上手な字を書くようになりました。大きな書道の紙に伸び伸びと書かれた墨跡を見ると見事というほかありませんでした。ところがある時にその人からハガキをもらいました。そこに架かれている字は以前のままの寸詰まりのクセ字でした。その両者の落差に私は唖然としてしまいました。どうしてあの見事な書道の文字を書く人が葉書には昔からの字に戻ってしまうのだろうか?そして私は知りました。その人の書道はお手本を見てのマネ字だったのです。お手本とそっくりな字をマネしていたのだが、その人の身についた字には変化がなかったのだと気が付きました。その人の身についた字はその人の性格や心のありように基づいた字であり続けていたのです。そう気が付いて私は今回のコラムの表題に書いた心境に至りました。やはりマネ字である書道の字よりも日常書いているクセ字はごまかしのないその人の心のあり様、つまり「態」を如実に示していたのです。だから寸詰まりな書体を変えようと思えば自分の態度、つまりコセコセした態度や細かなことにこだわる心情を変えて気持ちを伸び伸びさせるように自分を変えていくことが必要なのではないだろうか、と感じました。
 

現代のデジタル全盛時代にあって手書きの文字に今まで以上の価値や情報伝達力が生まれているように思うのですが、皆さんはどう思われますか。

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