亭主の寸話 69 『油の話』 

 だいぶ前のことだったが知り合いのご婦人と混みあった蕎麦屋に入ったことがある。蕎麦の注文を済ませたがしばらく食べ物は出てきそうにない。時間つぶしの雑談が始まって、どんなきっかけからだったか忘れたが油の話になった。そのご婦人も興味をそそられたらしく私の話に乗ってきてあっという間に待たされていた時間も過ぎてしまった。ご婦人は残された話に後ろ髪を引かれたのか仲間と一緒に話の続きを聞かせてもらいたいとのご注文がきた。私もとりとめもなく話していたので改めて頼まれると自分の話がどんなものであったのか振り返ってみないと心許ない思いがしてきた。そんなこともあり、ここで改めて自分の思い描いている油の話を纏めてみることにした。

そもそも油とは、あらゆる生物にとっては貴重なエネルギー源であり生命の維持に直結している物質である。動物はこれを運動のエネルギー源などにしており、植物は自分の子孫を育てるときの発芽種子の生長エネルギーとして保存している。そしてそれぞれの生体が自分の油を利用しようというときにはいろいろな酵素がこれに働きかけて複合的に活用されるようになるのである。だから貯蔵されている油は利用される環境の中で働きやすい形態で貯蔵されているのだ。寒冷な環境で生存している生物の体に貯蔵されている油は冷たい温度でも流動性が保たれており、逆に熱帯地方で生存している生物の油は暑い気候の中で流動性が調整されている。だから冷たい海水の中で生存している魚に含まれている油を体温が高い人間が取り入れるとさらに油の流動性がさらに高まり、これらの油を含んだ魚を食べると人の血液はサラサラになる。逆に気温の高い環境で育ったヤシ油などは冷たい環境に置くと結晶化して固体化する。だから熱帯で生育しているカカオ脂を原料にして作るチョコレートは温帯地域の我々には楽しめるが、カカオ豆を栽培している熱帯地方では固まらなくてチョコレートにはならないのである。体温の高い牛の体内に流れている油を肉と一緒に食べると血液がドロドロになるのも同じ理由からである。このように油は作られた環境の温度によって、その流動性は異なっている。これらの流動性を調節しているのは油の成分である脂肪酸の違いによるものだ。冷たい海水の中で生活している魚の体に流れている油は多価不飽和脂肪酸といわれるDHAEPAなどである。同じ赤身魚であっても暖流に住むカツオやアジよりも、寒流の中を泳いでいるサバの方がEPAが多く含まれている。さらにもう少し暖かい環境で育っている、例えば旧満州(中国東北部)や北海道が主産地であった大豆にはリノール酸など2価の不飽和脂肪酸(不飽和部分が2ヵ所)が多く含まれている。もう少し温暖な地方で生育している菜種油やオリーブ油にはオレイン酸など1価の不飽和脂肪酸(不飽和部分が1ヵ所)が主成分である。これに対して熱帯地方に育つヤシ油や体温の高い動物脂肪は飽和脂肪酸が主成分になっている。よく地産地消という言葉を聞くが自分が育っている環境に生育している作物を食べていると脂肪酸組成などそこに住む人の体に即した食べ物が得られ健康になるということが言えるであろう。

ところがせっかく生活環境に即した油が周囲で得られているのにそれをあたかも熱帯の油のように固体にしてしまう人たちがいる。サラサラの大豆油や菜種油を加工してマーガリンやショートニングにしてあたかもバターやヤシ油かのようなものにして使おうというものである。その方が使い勝手がいいからというのがその理由であろう。これらはパン、クッキー、スナックなどに練り込まれており私たちは無意識のうちに口にしている。この油の固形化の工程では水素添加という油脂加工の技術が使われている。これによって固型脂の使い勝手はよくなるかもしれないがこの加工によってトランス脂肪酸という心臓病疾患を引き起こす物質を生んでしまうことになる。世界保健機関(FDA)は消費者の注意を喚起するために2006年から加工食品に含まれているトランス脂肪酸含有量の表示を義務づけている。アメリカも州法で表示を義務付けているしトランス脂肪酸の使用を禁止している州もある。我が国ではトランス脂肪酸含量はWHOの目標を下回っているとして現時点では表示などの規制はしていない。実は我が国でこの調査をしたときに加工油脂メーカーによってトランス酸の含有量にバラつきが出たことがわかっている。しかしトランス酸含有量の高かったメーカー名を公表することなく一様に安全とくくってしまったのだ。海外の動向から考えてもここは現状を明らかにして消費者の前で各社の安全に対する技術競争をしてほしかったと思っている。さらに別の視点から、せっかくの不飽和脂肪酸を加工して飽和脂肪酸にするというメーカーの思惑に疑問の声も多い。温帯地方に育つ大豆油、菜種油、オリーブ油は人間の体温と調和しており、体に優しい性質を兼ね備えている。これを熱帯油や動物脂かのように加工してしまうことは人の健康にはプラスにならないだろう。むしろ油の状態を熱帯地方にシフトするよりも冷たい処に生きる魚油に近づける方が望ましいのではないだろうか。冷たい環境の魚油は人の体に入るとサラサラに流動性が高まるからである。しかし我々は知らないうちに多くの熱帯産ヤシ油を口にしているのだ。ヤシ油は飽和脂肪酸が多く含まれているために酸化安定性に優れており、これらで調理しておいた油料理は長時間店頭に並べておいても、フライ加工した食材にダレが表れないためいつまでもピンと張った形を保っていて見栄えがいいのだ。店頭やショウケースの中で強い照明に照らされたり、長時間空気にさらされていても新鮮そうに見えるからである。それはヤシ油が常温では固まりやすい性質を持っていることに依拠している。ヤシ油はこれら店頭に並ぶ調理食材だけでなく、インスタントラーメンやポテトチップなどにも使われている。消費者の健康よりも製品の見栄えを優先した営業方針が明らかだ。日本に輸入されているヤシ油は2014年現在、年間61万トンに達しており2000年時点の36万トンの実に7割増の伸びであり、今後さらに伸びていく様相を呈している。今では各家庭で液状油を鍋に入れてフライを揚げることは、自宅の調理場を油煙で汚すとして少なくなった。自分たちの調理の場を他人にゆだねているといつの間にか予想もしていない材料が使われていることになる。最近、認知症を予防する働きがあるとしてココナッツ油が話題になっている。この油を構成している脂肪酸は中鎖脂肪酸と言われ、一般的な食用油脂の脂肪酸に比べて半分の長さであり、体内での消化吸収が早いことが特徴である。この油を摂取していれば認知症にならないのかどうかは私には断言できないが、この油も常温では結晶化する熱帯油脂であり、体内に取り込まれると血液の流動性を下げる飽和脂肪酸で出来ていることを念頭に置いておく必要がある。

以上のように人の健康を基準に油を考えるとオリーブ油、菜種油、大豆油、魚油という、ある程度不飽和脂肪酸が多い油が望ましいということが言える。しかし物事は一面から見ただけでは落とし穴が潜んでいるのだ。魚油は冷たい環境の中で流動性を高めるために油の脂肪酸の不飽和度が高いが、不飽和度が高いということは逆に、酸素によって酸化されやすいことを示している。人は絶えず酸素を吸って呼吸しており、体の中では反応性の高い活性酸素が絶えず作られている。だからDHAEPAなど酸化されやすい高度不飽和脂肪酸を体に取り込むと油は活性酸素によって酸化されて過酸化脂質に変化して病気の原因を作ってしまうことになる。ではどうするか? 私達は活性酸素に対する防御として毎日の食事の中で十分に抗酸化物質を体に取り入れておくことが重要になる。食べ物として体内に取り込んだ抗酸化物質が体の各部で働いている油分の酸化を防いでくれるのだ。それら抗酸化物質は野菜や果物に含まれているために野菜、果物を日常的に食べておくことの大切さがここにある。

どうしてこんな面倒なことになったのだろうか。そもそも地球上に生命が誕生したのは今から約40億年前の海の中だったとされている。その後生物の祖先は長い間海の中で過ごしていたが、今から4-5億年前に海から陸上へ生活の場を移動するものが現れた。それはまず植物が陸上に移動し、それに続いて動物の祖先が陸上に上がってきた。ここで陸上に移動した植物も動物も地上の過酷な環境に初めて気が付いたのだ。太陽から降り注いでいる光の中に強い紫外線が含まれており、それが体内の油を酸化させてしまい死滅につながる危険性があったのだ。今まで海の中で生活をしていたときには太陽からの紫外線は海水に吸収されていたので紫外線から身を守る必要性を感じていなかった。陸上に移動した生物は急いで紫外線対策に取り組んだのだろう。あるいは紫外線を防ぐ物質を体内に持っていた生物だけが陸上で生き残ったのかも知れない。さらに地球には太陽の光を活用して葉緑素が光合成をすることにより各種有機物を作り出すことで豊かな環境が作り出されていったが、この時に生まれる酸素が紫外線と同じように生物の体内にある油を酸化してしまうことになる。こうして紫外線と酸素の中で生きていくために地球上の多くの生物は抗酸化機能を備えることが必須の条件となった。動物たちは体内の油分の酸化を防がなければならないし、植物は種子に貯めた油分を保護しなければならなくなった。紫外線の強い所に生えている高山植物や熱帯地方の草花がひときわ色鮮やかなことはよく知られているが、これは強い紫外線から自分の体を守るために強い抗酸化物質で身を守っているからなのだ。ちょうど人間が日傘をさしているのと同じことである。赤い色はアントシアニンという物質であり、黄色の色はカロテノイドであり、いずれも強い抗酸化効果を持っている。ブドーやナスの紫色もアントシアニンであり、これらも太陽の光を強く受けるとさらに濃い色に変化して自分や自分の体内にある種子を守っているのだ。このほかにも大豆に含まれるイソフラボンや緑茶のカテキン、ゴマのセサミン、ブロッコリーのスルフォラファンなどそれぞれに特有の抗酸化物質を備えている。そして多くの植物にはビタミンCEなどが含まれており、これらが強力な抗酸化効果を発揮している。これらを含んでいる植物を我々が食べるとこれら抗酸化物質は我々の体の中で酸化反応を防いでくれ、老化や病気の原因になる過酸化脂質の発生を抑えてくれる。これらを十分に体に取り入れることなく酸化されやすい魚油などを食べてしまうと、まるで戸締りのない家のようなもので何時活性酸素に襲われてもおかしくない不安定な状態にあるといえる。

人の寿命は何によって強く影響を受けているのか、一体どうすれば長生きできるのか、長年多くの研究者たちが追い求めてきたがその仮説は二転三転して未だ確証は得られていない。しかし、現在最も多くの研究者に支持されている長寿仮説は「活性酸素による酸化ストレス説」である。人の体はいろいろな部位で油成分が機能している。これらを活性酸素の被害から守ることこそ長寿の重要メカニズムである、とされているのだ。

このほかにも油についてはω-3(オメガ3)脂肪酸が話題に上ることがある。これは不飽和脂肪酸の不飽和を起こしている位置によって健康効果が異なることを強調する人たちである。それを裏付けるデータもあるが無理をしてまでこだわる必要もないだろう。ω-3の油として「えごま油」が話題になっている。この油にはω-3とされるα-リノレン酸の脂肪酸が豊富に含まれている。この脂肪酸は体内でDHAやEPAなど魚油に含まれている脂肪酸に変換される。このように魚油もω-3系統の油であり大豆油、菜種油はω-6系統の油である。魚料理も含めた普通の食生活をしていれば大きな問題にはならない。「えごま油」は希少なシソ科の植物であり、ここから取り出した油はスーパーマーケットで100g、約1,000円で売られている。600g、約200円で売られている菜種油を中心とした調合油とは価格差が大きい。菜種油にもえごま油に次ぐほどのα-リノレン酸が含まれているのだ。目くじらを立てるほどのことではないと思っている。ただ一つだけ最後に付け加えておきたいのは、油は体に入るといろいろな場所に分散されていろいろな働きをしている。各種ホルモン類の原料にもなっている。そのために片寄った油だけにこだわって摂取し続けるのは体にとっていいことではない。それぞれの脂肪酸から各種機能が生まれているのも事実である。そのことだけは頭の片隅に置いておいてもらいたい。

最後に現代の世界の油事情について述べておく。第2次世界大戦後世界の食糧事情は大きく変化し肉料理とともに油の消費量が大きく伸びている。それを支えているのが大豆油とパーム油である。大豆は従来の東南アジアでの零細作物からスタートし、戦後はアメリカに主産地が移り我が国も長年アメリカ大豆に頼ってきていた。しかし世界の油脂の需要は更に膨らんでいったために南米のブラジル、アルゼンチンへと大豆栽培は拡大し、今ではこの3か国の大豆生産に世界が依存している。かつての大豆王国だった中国は今や世界最大の大豆の輸入国になっている。かつては涼しい地方で栽培されていた大豆が熱帯のブラジルで栽培されるようになった陰には遺伝子組み換え技術が大きく寄与している。この技術が生まれていなければ現代の我々は満足な大豆油料理が食べられなかったことであろう。我が国は現在、毎年300万トンの遺伝子組み換え大豆を輸入して大豆油を作っている。そのお蔭で我々は豊かな食生活が続けられているのだ。

一方、大豆油を上回る消費量が世界的に続いているのがパーム油である。温暖地帯に生まれた我々には大豆油、菜種油が絶えず目の前にあったために液状油での調理は普通の光景であったが、ヨーロッパなど涼しい地域ではバターなど動物脂料理が普段の家庭の光景だったことであろう。彼らにとっては液状油よりもパーム油や液状油を固めたマーガリンやショートニングの方が親しみやすかったのかも知れない。これらの原料として広がっていったパーム油は、かつての彼らの植民地であったマレーシアやインドネシアを主産地として栽培されている。今やパーム油が大豆油の消費量を抜いて世界の油料理の主役となっているのだ。前述したようにこの流れは我が国にも波及しており私たちの身の回りの食材にも沢山使われるようになってきている。ちょうど大豆油の生産を支えるために遺伝子組み換え技術が貢献したようにパーム油生産を陰から支えているのは熱帯地方の森林伐採によるプランテーション農業である。熱帯林を焼きはらい、その後をパーム栽培にあてるこれらの農業は地球環境を破壊し、地球温暖化を推し進める原因になると世論が声を揚げてはいるが、しかしそれを叫んでいる彼らも毎日の食事ではパーム油で調理した食事を食べているのだからまるで森林伐採を応援しているようなものである。せめて周りに液状油が豊富にある我々だけでも踏みとどまる必要があるのではないだろうか。

ところが数年前からこれら油事情に新たな状況が生まれてきた。それは中近東を中心とした石油産油国に生命線を握られたくない先進国が考え出したのが大豆油やパーム油を原料としたバイオディーゼルの利用である。アメリカは自国の大豆油を原料とし、ヨーロッパなどではパーム油を原料にしたバイオディーゼルで自動車を走らせるという政策を強烈に推し進めている。かれらは植物の光合成で炭酸ガスを原料にして作られた植物油を燃料にすれば地球上で循環しているのだから排気ガスによる炭酸ガスの増加にはならない、と自己弁護しているが果たしてそうだろうか。油を食料として消費しているうちは人間の胃袋の数によって消費量が決まってくるので穏やかな拡大で推移するが、油で自動車を走らせるということになると事情は一変してくる。大豆が増産できる畑の広さには限界がある。今後さらに無理して農地を拡大しようとすると、再びブラジルのアマゾン川流域の熱帯林の伐採に手を染めるということになり地球環境の破壊が拡大していく。一方それをパーム油に頼るとインドネシア、マレーシアの熱帯雨林はさらに伐採され続けることになるだろう。人口の増加も止まらないし食生活の維持向上は人類の望みである。唯一の道は交通システムなど各種インフラを整備して資源の浪費を止めるしかない。今は、自国の農産物を原料にした燃料を開発すると自国の石油輸入額が減り、燃料に向けたことによる品薄によって農産物価格も跳ね上がるので自国の経済にとって好都合だということのようだ。どうも自国だけがうまくやればいいとの思惑で各国の政治が進んでいるように感じてならない。しかしいまのところこの流れを止める動きは出ていない。

バイオディーゼルにとどまらず、さらにアメリカは自国のトーモロコシを原料にしたバイオエタノールをガソリンに混ぜて車の燃料にしており、その政策を補助金で強く推し進めている。ブラジルも自国のサトウキビを原料にしたバイオエタノール産業を保護し、世界に向かって輸出している。食糧問題が世界の懸念材料となっている現代にあって、限られた農地で生産された農産物を燃料にしてしまう行為は果たして世論が納得してくれるだろうか。

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