亭主の寸話60 『讃岐うどん』 

 

 江戸の街に華ひらかせた蕎麦について一通り見てきたところで、我が郷里の近くで今を盛りに力強い人気を発揮している「讃岐うどん」について書いておかないと片手落ちということになってしまう。今では讃岐うどんを食べるのにわざわざ香川県まで出掛けなくとも都内にいくらでも出店しており、安直に本場讃岐うどんの気分を味わえるのがうれしい。

「うどん」と「そば」は「そうめん」を介してまるでいとこ同士の関係と見ることも出来よう。庶民の食べ物としては、共に長い歴史をもっている。そして「そば」については前回までに、現代の食の洋風化の中でその地位を失いつつあることを述べてきたが、今回の「讃岐うどん」については少し様子が違っている。それは少しずつ姿を変えながら現代の若者たちに受け入れられている、ある種の社会現象を巻き起こしているように思われるからである。

 私は今から60年ほど前(昭和30年代前半)に関西うどん文化圏の一部である徳島県で少年時代を過ごしていたが、このころから隣の県にある讃岐うどんはある種のブランド力を発揮していたように思う。この頃はもちろん本州と四国の間には橋もなく、どこにでも見られる片田舎の食べ物に過ぎなかったのだが、今では休日には関西ナンバーの車が押し寄せるちょっとしたブームに様変わりしている。四国をつなぐ本四架橋が出来上がる前までは高松から連絡船に乗り岡山廻りで東京を往復していたものでした。この宇高連絡船の後ろデッキに売店があって、そこで遠ざかる四国の山並みを眺めながら食べていた「讃岐うどん」の味が今も忘れられない。このときの食感が今も私の「讃岐うどん」の基本となって生き続けているように思う。その頃の讃岐うどんを思い出すと、今の讃岐うどんはやや軟らかくなっているように感じているが、横に並べて比較できないので断言はできない。しかし、食べものは全般的に昔に比べて柔らかくなっている傾向にあるので、讃岐うどんもその流れに歩調を合わせたのかもしれない。最近のうどんにはタピオカ澱粉が少し混ぜられていると聞く。そうすることによってうどんにもちもち感が出たり、茹でた後の劣化が防止出来るからである。ちょうど蕎麦に小麦粉を入れて滑らかさや結着力を高めているのと同じといえる。所詮は消費者の好みに合わせた処置と言うことができるだろう。

 

 私は学校を卒業して某食品会社に就職したが、その会社は香川県坂出市に工場を持っており、仕事を通じてよく出掛けていたので讃岐うどんは長年食べ続いていたことになる。しかし、工場幹部に案内されるうどん屋は立派な店構えをした処ばかりであり。その頃は最近ブームになっている「セルフ」店には入ったことがなかった。最近の讃岐うどんブームはこれら「セルフ」店の発展に支えられているように思われる。現在、香川県には「讃岐うどん」専門店は700店舗ほどあるといわれている。これに一般食堂のうどんメニューを加えればこの倍ほどの店が「讃岐うどん」を扱っていることになる。香川県は喫茶店でもうどんを食べさせるというところだ。まさに最も人口の少ない県に、日本一多いうどん店がひしめいている、といえるだろう。しかも朝食から夕食までいつでも食べられるところだ。うどん店を県民の世帯数で割ったら100世帯に1店舗位の密度でうどん屋が並んでいるのではないだろうか。

 

 讃岐うどんは大きく分けて3つのタイプがある。私のような初心者がまず入っていくのが有名店のうどん屋である。ここではカウンターで注文しておけばお茶やお水を運んでくれ、食べ終わると食器を片付けてくれる「フルサービス」のうどん屋ということになる。第2の「セルフ店」では、店に入るとまずダシをかけたうどんを店員から受け取り、後は自分で好みの、たとえば天ぷらなどのトッピングを乗せてカウンターで料金を支払う。あとは店でサービスに出している刻みネギや天かすなどを好きなだけ掛けて食べる。食べた後の食器片付けも自分でやるというのが一般的なスタイルだ。第3は地元の人やマニアが集まる「製麺所スタイル」だ。もともとうどん麺を作る所だが、ここで地元の人たちへのサービスで茹で上がったうどんをどんぶりに入れておく。ここへ食べにきた客はそのどんぶりにサービスの刻みネギを入れ、醤油などを掛けて食べる。料金は箱の中に入れておくだけで、食器も自分で洗って帰る、というものである。料金も1100円ほどとお手軽だ。これら3つのスタイルのどれをとっても美味さと楽しさが満ち溢れている。特に第2のセルフスタイルが人気の中心であり、東京・大阪で展開されている「讃岐うどん」の多くはこのタイプである。

 

 四国の片田舎の田んぼの中のうどん屋に関西方面の若者が高速道路を使って12~300円ほどのうどんを、何軒もハシゴをしながら食べにくるという人気はどこにあるのだろうか。こう言っては悪いがどう見ても時代のスピードから立ち遅れた片田舎のうどん屋を車のナビを使って探しながら集まってくるという集客エネルギーは一体どこに潜んでいるのだろうか。私は現代の都会に充満する近代化の波と旧態依然とした片田舎のうどん屋の落差の大きさが魅力の源泉になっているように思っている。両者の落差が大きくなればなるほど、物理でいう「位置のエネルギー」に相当する魅力エネルギーが高まっていくのではないだろうか。先端技術を駆使したカーナビで田舎のうどん屋を探すというゲーム感覚が現代の若者に受け入れられているのだろう。讃岐うどんのセルフサービスに対する人気は、街のハンバーガーショップや珈琲ショップと同じような「速い、安い、うまい」という現代の都会の若者ニーズに合致したところにあるように思われる。

 

 ただ、気がかりなこともある。うどんは精白米と同じように血糖値を上げやすい食べ物でもある。血糖値の上がりやすさの指標となっているGI値(グリセミックインデックス)は85とインスリンを急激に分泌させる食べ物に属している。しかもうどんは口の中で長い時間噛んだりせず、早食いをするのが一般的である。徳島県が糖尿病についてワーストワンを続けているのにはこの「うどんの早食い」が影響しているのではないかと思っている。同じ早食いでも「そば」はGI55と、米でいえば玄米並でありインスリンを酷使しないのとは対照的である。これからはうどんを食べる前に「わかめ」や「野菜」「とろろ」など体内で緩やかに消化されるように、体に優しい付け合わせと共に食べるように工夫するのも必要なことだと思っている。甘い食べ物が氾濫している現代で、昔と同じように「釜揚げうどん」を腹に流し込んでいたら糖尿病に向かって一直線になってしまうと思っているのだが如何でしょうか。

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