茶話会を開いている手前、肝心のお茶について話題にしておかなければならないだろう。
かといって多くの研究者によって解明されている茶道について、いまさら私が話したところでなんの意味もない。もう少し視野を広く、茶の世界を眺めてみたいと思っています。
そもそも茶葉を煎じて飲むというのはどのように始まったのでしょうか。中国の史書「三国志」によると、中国の三国時代(228〜279)に呉の国の人が焚き火をして湯を沸かしていたところ、薪に使っていた茶の樹の葉が湯の中に落ちてしまった。ところが、この湯を飲んだところ気分が爽快になり、以降、人々は茶の葉を煎じて飲むようになったというのです。このような茶葉の使い方は、私たちの子供の頃の山仕事では日常茶飯事であり、懐かしい思いがします。それから1800年の間に茶は世界に広がり、いろいろな茶の楽しみ方が生まれ、私たちにとってなくてはならないものとなっているのです。
まず、茶の呼び方ですが、世界には大きく分けて「チャ」と「テー」の2つの呼び方があります。
ご存知のように茶は中国の雲南地方が原産とされていますが、ここから陸路で伝わったり、海路で早い時期に持ち込まれた地域では広東語の「チャ」が使われているようです。日本語、朝鮮語、ロシア語、東南アジアなど中国の周辺の国々、さらにポルトガルが輸入して広めた地域であるポルトガル語、トルコ語、ギリシャ語、アラビア語なども「チャ」を語源としているのです。
一方、いわゆる大航海時代になってオランダが中国の福建省アモイから茶を輸入してヨーロッパに広めた地域ではアモイ地方の方言である「テー」が使われています。それはオランダ語、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、北欧諸国などです。海外旅行をしていてもお茶を注文するのに不思議なほど簡単に通ずるのはこのためです。
ただし、「チャ」や「テー」といって出てくるお茶が緑茶や煎茶とは限りません。その国の茶の文化によって異なってくるのは当然のことです。
わが国の茶の歴史を簡単に眺めると、わが国に最初に茶が中国から持ち込まれたのは奈良時代ともいわれています。平安時代の空海も唐から茶の実を持ち帰って栽培したのではないかと想像されています。いずれにしても初期の茶は僧侶との結びつきが強く、茶の持つ薬理効果、たとえば催眠防止、神経興奮などに注目した使われ方であったようです。宋の時代になって中国にわたった臨済宗の栄西も、茶の薬理効果に注目し、茶の普及に力を注いだ一人です。
ところで、元祖中国には、茶の種類を当てる闘茶という遊びがあり、これを平安貴族たちがまねたことから茶はサロンとしての茶会の楽しみという側面を持つようになったようです。「茶の湯」が、その後、戦国武将の嗜みとなり千利休などを生み出していったことはご承知の通りです。テレビドラマなどでは茶の湯の場面がさかんに出てきますが、庶民がお茶を楽しむようになるのは江戸時代も中ごろからといわれています。家元制度が確立して茶の湯の文化が隆盛を極めるのですが、明治維新という社会の大きな変革に、茶の湯の世界にも新しい波が押し寄せてくるのです。それまで抹茶に押されて細々と伝えられていた煎茶が時代の変化と共に登場してきたのもこの頃です。江戸時代の大名を中心とした茶の湯の文化は維新の変革で崩れ去り、新しく明治の新興資本家によって取って代わられていくことになるのです。
そのような中で1857年(江戸時代末期)に長崎からアメリカに向けて茶を輸出した大浦慶(おおうら けい)という29歳の女性実業家がいました。これはわが国の開港前年のことであり、このこと自体も画期的であったのですが、日本の茶を海外に目を向けさせたことで大きな流れを作ることになったのです。
この頃の海外の茶の様子はどうだったのだろうか。すでに書いたように、ヨーロッパには16世紀に茶が伝えられており、18世紀には紅茶の文化が定着していたようです。特にイギリスでは午後の紅茶の習慣が出来上がり、さらにイギリスは、植民地であったアメリカに対して紅茶を輸出して大きな利益を得ていました。当時のアメリカはまだフランスとイギリスで植民地の獲得戦争を繰り広げていた時代でした。フランス・インディアン連合軍を破ったイギリスは、その戦争で生じた費用の一部を植民地アメリカに負担させようとして、いろいろな税金を作ったのです。アメリカ人はこれに強く反発したのでイギリスは少しずつ譲歩していったが、最後に残ったのが「茶税」でした。この茶税を巡って起きたのが「ボストン茶会事件」といわれるもので、これがアメリカ独立戦争のきっかけとなったのです。このようにアメリカ人にとって紅茶には屈辱的なイメージが伴ったために、紅茶を離れコーヒーを飲む習慣になったといわれています。
茶の需要が海外に大きいことを知ったわが国の製茶業界は国を挙げての茶の輸出に向かって進んでいくことになります。それまで各地で作られていたいろいろな地方の特徴ある茶は急速に姿を消していったのもこの頃です。海外では紅茶が好まれるとして紅茶生産にも力を注ぎ、昭和30年には国内の紅茶生産量が8千トンを越えるところまで伸びたのですが、その後の国際競争の中で力を失い、今ではほとんど生産されていない状態です。
明治維新以後、茶は生糸と並んで重要な輸出産品として生産が急速に拡大していきました。明治25年のわが国の茶生産面積はその後でも突破できない、わが国最高の茶の生産記録として今も残っているほどです。この時代には私の住んでいる世田谷区の下北沢も輸出用の茶を盛んに生産していたという記録が残っています。駿府にいた幕末の浪人たちの雇用対策として行った静岡県牧之原台地の茶畑開墾は現代の茶の一大産地の基盤を作ることにもなり、静岡県は今もわが国最大の荒茶生産県となっています。わが国の製茶産業は近代に入ってもいくつかの波を受けるのですが、昭和40年代の高度経済成長の波を受けて国内消費が伸び、これをまかなうために茶葉も輸入に頼るようになるのです。現在では国内で生産される荒茶9万トンに対して、輸入茶は6万トンというところまでになっているのです。これは茶生産地が山間の傾斜地が多く機械化の導入が困難なところが敬遠されていることや後継者不足など、日本農業が抱える課題がここにも影響しているようです。
わが国では、茶というと蒸製の緑茶を想像するのですが、世界を眺めるとむしろ緑茶は少数派に属しているということになります。最も緑茶を好む国は日本で、国内生産の全てを緑茶生産に当てており、9万トン弱の緑茶を生産しています。次に好む国は本場中国で、約75%にあたる48万トンを緑茶生産に当てています。中国と匹敵する茶の生産地インドでは緑茶の生産比率はたったの1%しかなく、紅茶生産が主体となっています。世界全体で見ても緑茶の生産比率は22%程度ですが、その内の大部分を占める中国の緑茶は日本と違い、「釜炒製緑茶」といわれるものであり、わが国の「蒸製緑茶」は他の地域にはない、日本独特のお茶といえるでしょう。
珍しいところでは、お茶の葉を煎じて飲むのではなく食べるお茶が世界にはあるのです。東南アジアの一部や中国の奥地には茶の葉を野菜や魚と同漬物にして食べているところがあるのです。考えてみれば茶の栄養成分を効果的に摂取しようとすれば茶葉を丸ごと食べるのが最も良い方法でしょう。その意味ではわが国の抹茶も茶葉の多くの部分を利用していることから効果的な利用法のひとつといえます。
東南アジアのミャンマーには茶葉を漬物にして食べるラペソーという茶があるそうです。ところが不思議なことに、このミャンマーから遥か離れた四国徳島の山間部に同じ漬物茶が生き残っているのです。阿波晩茶と呼ばれるものです。これは茶葉を7月まで刈り取らずに育て、その一番茶を蒸して茶葉の酵素を失活させた後、漬物樽に敷き詰めて乳酸発酵させたもので、さわやかな香と味が特徴です。さらに同じような漬物茶が高知県の山間部に碁石茶として伝わっています。四国の山間部を除いて、このような茶が存在していたという記録もありません。また、ミャンマーと中国奥地の山間部を除いて、他にはこのような茶葉の形跡もありません。謎の茶のルートと言われているところです。今回はこの阿波晩茶を皆んなで味わってみたいと思い用意しました。
ところで、わが国でこれほど茶の消費が伸びている背景の一つとして、茶の持つ健康機能が上げられます。茶に含まれる代表的な成分は、カテキン類、テアニンなどのアミノ酸類それとカフェインです。ビタミン類では油溶性ビタミンに属するビタミンA,E、水溶性ビタミンのビタミンCが含まれていますが、お茶として飲むときには油溶性ビタミン類は湯に溶け出さずに茶殻の中に残ってしまいます。抹茶のように茶葉を粉末にして全部を利用する飲み方のメリットはここにあります。
このように、お茶を飲んだときの健康成分は、前記のカテキン類、テアニン、カフェインが中心です。
まず、お茶を代表する成分カテキンには、多くの健康機能が指摘されています。抗酸化、抗癌、血中コレステロール低下、血圧上昇抑制、血糖上昇抑制、血小板凝集抑制、抗菌、抗ウイルス、虫歯予防、抗腫瘍、抗アレルギー、腸内フローラ改善、消臭などが明らかになっています。私は45年前の大学での卒業論文研究として、このカテキンの分子構造の解明に参加していた経験があります。そのときの思い出としてカテキンの結晶がろ紙の上で金色に輝いていたことを覚えています。紅茶の赤い色は、このカテキンが酵素によって酸化重合して作られるものです。
次にカフェインもお茶の特徴的機能です。その働きは、中枢神経興奮、睡眠防止、強心、利尿、抗喘息、代謝亢進などです。お茶を最初に採り上げた仏教界では、これらカフェインの働きを評価してのことであったのでした。
最後に茶に特有のアミノ酸であるテアニンの健康機能について見てみると、いくつかの効果が指摘されています。それらは、神経リラックス、アルツハイマー病予防、抗癌剤の作用増強などがあります。また、テアニンはお茶のうま味成分としても重要な成分で、茶葉を栽培しているときに覆いをかけてテアニン成分を増やすようにしているところもあります。
このほかにも、疫学調査で、緑茶を1日5杯以上飲む人は、1杯以下の人に比べて脳梗塞などの循環器疾患による死亡率が顕著に低く長寿であった、との報告もあります。また、老化防止や風邪の予防なども指摘されており、日本人の長寿の一因とも言われています。
これら茶の健康機能と裏腹に、茶に含まれる農薬問題と茶畑の環境問題が指摘されています。2005年にはEUから茶の残留農薬で厳しい基準を設定され、中国・日本ともにEU諸国への輸入が困難な状況になっています。茶葉は収穫後、水洗いせずにそのまま製茶工程に入っていくだけに、農薬の問題には消費者の強い関心が集まっているところです。一方、茶の旨味を高めて良質の茶を生産しようとすると、どうしても窒素肥料を多量に施肥しがちになるのです。植物が吸収しきれなかった窒素肥料は地下水に溶け込み河川を汚染し、また大気中に飛散して地球温暖化の要因にもなっています。今後も安心して茶を楽しむためにも、残留農薬の基準をクリアーし、環境にやさしい栽培技術が待たれるところです。
現代の子供たちのお茶離れが指摘されています。その背景には、家庭で茶を入れて飲むという食習慣が徐々に弱まってきている、と言われています。それは、煎茶を飲むためにはその都度、急須に湯を注いで湯飲みにお茶を入れなければならないところにあるようです。確かに、お茶は煮出して放置しておくと酸化されて変色し、味も劣化してくるものです。そのため、飲むたびに急須でお茶を入れるという作業が必要になってきます。
この欠点を解決したのがペット飲料のメーカーでした。長時間自動販売機の中に入れて温められていても変色しないというペット煎茶の登場です。ペットボトルの緑茶を飲むことによってめんどうな作業が省略できるメリットがあります。これらのペットボトルのお茶には、従来の煎茶に含まれていたような成分は期待できないでしょう。しかし、茶を楽しむ新しい流れとして生まれてきたひとつの革命です。この革命によって停滞していた茶の消費量が大きく回復していることも事実です。これらの新しい茶飲料にはあくまでも飲料としての色彩が強く、従来のような健康機能とは違った視点で見守る必要があるようです。
今回は、阿波晩茶や素朴な山野での茶を味わいながら、みんなで茶の話題を展開していただきました。