亭主の寸話58
『蕎麦その2、世界に広がる蕎麦文化』
蕎麦がわが国に伝えられたのは飛鳥時代とされていますが、それはどのような食べ方であったかについてはよくわかっていません。細い麺に切って食べる「そば」は日本独特の食べ方のようであり、和食そのものと言えよう。このような蕎麦の食べ方が生まれたのには平安時代に中国から伝えられた素麺、うどんが大きく影響を与えたものと思われますが、しかしこれらはあくまでも想像であり、「そば切り」が誕生した状況については全く記録が残っていない。天正2年(1574)に木曾にある定勝寺で「そば切り」が振舞われたとの記録が最初に現われたものと考えると、織田信長が天下に号令をかけていた時代に「そば切り」が誕生したことになる。この時代はポルトガル船が種子島に漂着した頃であり、海外から多くの食べ物が我が国に持ち込まれていた時代でもある。人々が新しい食べ物に目が開かれていく時代だったと言えるが、蕎麦切りが海外から持ち込まれた食べ物に触発されたとは考えにくい。やはり外来文化に触れにくい地域の名も無い人たちの創意工夫の賜物と考えたほうがいいだろう。その後のそばの発展過程は「蕎麦その1 江戸っ子とそば」に書いたとおりである。では、江戸時代の蕎麦文化は明治、大正を経て現在の東京ではどのようになっているのだろうか。現在の東京の蕎麦屋や日本の蕎麦消費量は一体どうなっているのか。最近の蕎麦データをいくつか紹介していきたいと思う。
まず、現在の「日本そば」の消費量の傾向から見てみたい。最近の我が国の「生めん」、「茹めん」の消費動向を見ると、これら両方とも急速な減少が続いていることがわかる。食品需給研究センターが発表したデータによると2004年から2011年までの7年間、この両方共に毎年消費量を減らしており、「生めん」は2万800トンから1万3千500トンへと35%の減少に対し、「茹めん」は4万1千800トンから2万8千800トンへと31%の減少となっている。つまり食の洋風化の流れは現在も続いており蕎麦離れが進行しているのである。都道府県別蕎麦屋の数でみても、東京都の蕎麦屋の数は人口10万人当り3万2千店と群馬県、福井県、栃木県、石川県に続く5位と後塵を拝しており、かつての「江戸っ子は蕎麦」の元気がない。今では「そば屋」と言えばラーメン店を想像してしまうので、あえて「日本そば」と呼ばなければならなくなっている始末である。かつては「そばがき」と区別するために細麺の蕎麦を「そばきり」と呼んでいたが、江戸時代の終わり頃には「そば」と言えば「そばきり」を指すようになり、誰も「そばきり」と言わなくなっていた。しかし、今では「そば」と言えば中華ソバに間違えられる時代となってしまい、「日本そば」と言い換えているのである。
一方、蕎麦の国内生産の状況を見てみると、最近の8年間は2万5千トンから3万トンの間を往復している状態である。2011年からは農家の蕎麦栽培にも戸別所得補償制度の対象となり、やや持ち直しの傾向は見られるが、輸入に頼らざるを得ないことには変わりがない。主な国産蕎麦の生産地域は、北海道が全体の37%ほどと主力となっている。これに続くのは福島県、山形県、長野県、茨城県などである。しかし、国内で生産される蕎麦の自給率は2割程度であり、残りの8割を中国、アメリカを中心とした海外からの輸入でまかなっている。
農水省のデータで過去の蕎麦生産状況を見ると、明治33-43年は国内生産量が14万5千トンほどであり、大正9年には13万5千トンに、昭和5年では10万5千トンに、その後も生産は徐々に減らしながらも自給率100%を維持していた。昭和37年に始めて輸入が開始されてから急速に国内生産が減ってしまい、昭和55年には自給率10%台へと下がってしまっている。現在はいろいろな国からそば粉は輸入されており、中国、アメリカの他は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、モンゴル、ネパール、ミャンマーなどから入っており、自給率23%程度に落ち着いている。
一方、世界に目を向けてみると、世界の蕎麦の生産量は1992年の497万トンをピークに2009年には142万トンとなっている。これは小麦、大豆、トーモロコシなど経済作物に押されて栽培面積が狭められていることによるのであるが、驚くことに世界の蕎麦の半分はロシアが生産しているのである。そして、ロシア、中国、ウクライナの3国で世界の蕎麦の8割近くを生産しているのである。さらに4位フランス、5位アメリカとのデータには驚かされる。しかもそのほとんどは自国での消費に当てているという。ところがロシアやフランスに旅行したときにそば料理を食べたという記憶がない。しかし、ロシアは蕎麦の生産量世界一であると同時に消費量も世界一なのである。寒冷地であり肥沃でもないロシアの土壌が蕎麦の栽培に適していたのであろう。そこでインターネットを使って世界のそば料理を検索してみると、あるわあるわ〜、ロシア、フランス、イタリア、イギリスと美味そうなそば料理が次々と登場してきた。我々が日本で食べているそば屋のメニューと違った、カラフルなソバ料理が現われてきた。日本のような麺にして食べるのは少なく、ほとんどはむき実をお粥にしたり、そば粉をパンやクレープにして食べるのが多いようである。ちなみにいくつか名前だけでもお知らせしましょうか。ロシアのそばの実粥「カーシャ」やフランスのそば粉クレープ「ガレット」、イタリアのそばパスタ「ピッツオックリ」などが代表的な海外のそば料理のようである。また、中国では麺のほかワンタンや餃子にもそば粉が使われていたり、お隣韓国では「平壌冷麺」に、と蕎麦は思いのほかインターナショナルであることに気づかされた。
そういえば今、和食を世界遺産に登録しようとの動きがあると聞く。そのためにも和食の海外展開をしなければ、とのことで和食業界の中で海外進出の動きがあるようだ。和食の世界展開にとって必要なことは原材料が現地で調達できるかどうかに掛かっている。その点ではこれだけ海外に蕎麦栽培が広がっていれば日本蕎麦の海外展開は容易ではないかと思う。先日もテレビを見ていたら日本の蕎麦チェーン店が海外に進出するという番組が放送された。もはや蕎麦は「江戸っ子」だけの粋な食べ物から、時代の波に乗ったグローバル食品になろうとしているのである。近い将来にはモスクワで「ざる蕎麦」を、ということにでもなるのでしょうか。蕎麦の歴史を眺めてきて現在のこれらの流れを見ると、江戸っ子の蕎麦も21世紀になって新しい時代を迎えていることを強く感じさせる。