亭主の寸話50 

『うま味とコク』 

 

 テレビなどのうまいもの食べ歩きの番組などを見ていると、食べ物の美味しさを表現する言葉の難しさを感じることがよくある。ただ「おいしい」とか「メッチャウマ」なんて連発してもどのようにおいしいのか、どんな味に感激したのかが伝わってこない。そんな場面での殺し文句でよく使われるのが「コクがあるねえ」という言葉だ。「コクがある」と言われれば、単なる美味しさよりももう少し味に奥深さがあるように聞こえてくる。この「コク」って表現はなにも高級料理のお吸い物に限らず、ビールやラーメン、日本酒などの飲み物、食べ物、はては「あの人はコクのある人だ」と人間にまで広げて使われている。ではその「コクって一体なんなの?」って聞かれると一言ではなかなか説明ができない。今回はなんとなく暗黙の了解のように使われているこれら美味しさの表現について考えてみることにした。

 まずは「うま味」と「うまさ」について考えてみよう。「うまさ」は「旨さ」「美味しさ」であり、料理全体から表現されてくる良好な味を示している。この良好な味を作っているのが、それぞれの素材に含まれている「うま味」なのである。つまり「うまさ」はいくつかの「うま味」が集合し調和して作り出されているものである。

食品の味については昔からケンケンガクガク議論が戦わされてきた歴史がある。食品の味を、甘味・苦味・酸味・塩味・収斂味・辛味・粗いざらざらした味の7つから成り立っている、と提唱したのがギリシャの哲学者アリストテレスだ。そしてその後もこの味論議が延々と続いたが19世紀半ばになってドイツの心理学者ヘニングによって提唱された甘味・苦味・酸味・塩味の4種類にどうにか落ち着いてきた。彼はあらゆる味はこの4つの味の組み合わせによって出来ている、と主張し、欧米の学者たちはほぼその意見で納得したようだ。

 ところが、わが国で使われている昆布のだしの味は上記4つの味の組み合わせ以外のものであることを知った日本の池田菊苗は、1908年に『4つの基本味のほかに「うま味」がある』ことを発表した。しかし、普段ダシを使わない欧米の学者たちにはなかなか認められなかった。池田博士により昆布の味の成分がグルタミン酸であることを突き止められて以降、日本の化学者たちが次々に新しい味成分を発見していった。かつお節のだしの成分がイノシン酸であり、しいたけのだしの成分がグアニル酸であるなど、アミノ酸系と核酸系の味成分が30種ほど知られるようになり、ここに到って1985年の国際学会において「うま味」が5番目の基本味であると認められた。これにより今では食品の味は「甘味」、「苦味」、「酸味」、「塩味」、「うま味」の5種類から成っている、とされている。先にも書いたようにこれら5種類の「うま味」成分が調和をとって作り出して入るのが「美味しさ」であり「旨さ」なのである。

 ここまでは理解できたとして、では「コク」とはどんなものなんだいと聞かれると、なかなか説明するのが難しい。大体「コク」には定義がない。一人ひとりの頭の中に、その人にとっての「コク」の物差しが入っていて、「このビールはコクがある」といっても「私にはそうは感じない」と意見が分かれるかもしれない。そうなると「コク」の感知にはそれぞれの脳が影響していると想像することもできる。

一体、多くの人がどのような場面で「コク」を感じているのか、を集めて「コク」の概容を浮かび上がらせていかなければ、その本質に近づいていけないようだ。この身近でありながらとらえどころのない「コク」を見事に解説しているのが京都大学の伏木亨教授による『コクと旨味の秘密』(新潮新書)だ。ここから「コク」の実態に迫ってみようと思う。

 では、どんなときに多くの人は「コク」を意識するのだろうか。たとえば、発泡酒に比べてオールモルトビールに「コク」を感じるし、発酵が進んだ「辛口」の清酒よりも元の成分が豊富に残っている純米酒に「コク」が感じられる。ラーメンのなかでも特に豚骨ラーメンのスープなどには濃厚な「コク」を感じる。さらには、ホモゲナイザーで乳脂肪球を小さく均一にされた市販の牛乳よりも、搾り立ての大粒の脂肪球が浮かんでいる牧場の牛乳に「コク」を感じる。このように「コク」を感じる料理を並べてみるとひとつのイメージが浮かんでくる。それは「コク」に関与しているのは「脂肪」、「糖」とダシの「うま味」の3要素が基本になっているということである。そしてこれら3要素は、実は生命を維持するのに必須の栄養素成分だったのです。人は生命維持に必要な栄養を積極的に取り込むために「コク」として脳から指令を発していたということができる。主婦が作る家庭料理でも、美味しくしようとすれば油か甘味かダシを加えますが、これこそが「コク」に近づける基本形だったのです。

人は「油」、「甘味」、「うま味」の3つの味には強い執着を持っています。つまりこれらの組み合わせは「やみつきになる」味だったのです。マヨラーと呼ばれるヨーグルトにしても、「止められない」カッパエビセンにしてもこれらの組み合わせなのです。つまりこれらは本能に直結した味であり、体内に取り込まれて蛋白質合成、カロリー補給、血糖維持など生命維持にかかわる重要な食べ物だったのです。そしてこれらを食べると脳は快感物質を放出して喜びを表し、もっと食べるよう要求してきます。こうしてマヨラーが誕生し、デザートは別腹となり、カッパエビセンが止められなくなるのです。反対に生命維持に逆行する行為をすると脳は苦痛を与えて中止させようとします。ダイエットが苦しいのもそのためです。節食によるエネルギーの拒否や運動によるエネルギーの浪費を本能は許さないのです。

また、脳は甘味やうま味を感じなくても、消化するとそれらの材料に変化するものも記憶して「コク」として味わうことがあります。うま味を与えるアミノ酸もいくつかつながってペプチドになると、うま味を感じなくなり、むしろ苦味を感じるものさえあります。ペプチドがさらにつながると蛋白質になり、これには味がありません。

ブドー糖は甘味を感じるが、いくつかつながったらデキストリンとなり、さらにつながると澱粉になって甘味を感じません。でも脳はこれらが体内で消化されて「甘味」に変ることを記憶しており、デキストリンやペプチドに「コク」を感じるようになります。

 さらにこれら「コク」を引き立てる要因が他にもいくつか考えられます。あんかけのとろみや、豚骨スープのネットリしたコラーゲン質、カレーライスのとろみ、中華料理の最後に加える片栗粉のとろみなど、ネットリしたとろみも「コク」を演出する重要な働きをしています。また、食べ物から漂ってくる香りも「コク」を盛り上げます。うどん屋の前に漂う「だし」の香り、うなぎ屋から流れる蒲焼の香りなども「コク」をさらに演出しています。

 我々の身の回りにある食べ物で最も「コク」を感じやすいものは、カレーライスではないだろうか。「コク」を支える「脂肪」、「うま味」、「甘味」の3要素を含み、とろみと香りに富み、それに加えて香辛料の「辛味」による刺激の快感まで上乗せされて記憶されていきます。逆に「ノンカロリーオイル」や「ノンカロリー甘味料」は「コク」に結びつきません。それは体内でエネルギー源とならないことを脳が知ることによって飽きを引き起こし遠ざけるようになるからです。

 このように「コク」は、昆布などから出る「うま味」成分と「脂肪」と「甘味」がほどよく調和されたときに感じるものではあるが、それはいろいろな「うま味」や「甘味」それぞれが複合的に働いているという多面性が必要です。たとえば、甘味も白砂糖を使うよりも精製度が低い黒砂糖のほうが、さらには味醂のような多種類の糖質が含まれている甘味料のほうが「コク」に近づくことになる。

さらに甘さや酸味が突出しているものよりもいろいろな味が口の中で広がるほうが「コク」を感じやすいということが出来る。

つまり、「コク」とは単調な味覚とは正反対に位置するもので、特定の味の刺激が突出せず多くの味覚が複雑に絡み合い、個別の味覚として認識できないほどの多くの刺激が感じられるときに「コク」として認識するようである。さらに「コク」は単に美味しさの指標だけではなく、からだが求める栄養素を感知するセンサーの役目もはたしていると言えるであろう。


 

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