亭主の寸話 D『食べものの安全性と遺伝子組み換え作物』


 最近とくに食の安全性についての話題がにぎやかである。たしかに私たちにとって自分の生命を維持するのに直接影響している食べものの安全性は最重要事項であることは当然であろう。
食べ物にもいろいろな安全性の問題があり、一まとめにして喋るわけには行かない。広く食の安全性を捕らえるならば、たとえば、世界の人口が急増していく中で食糧の供給量は確保されていくのか、世界の食糧生産が逼迫してきたときの日本の食糧自給率の低さは大丈夫だろうか、食品添加物や残留農薬などの体に対する影響はあるのか、食品衛生と食中毒、食品表示の問題、そして最近話題が集中しているのが遺伝子組み換え作物の安全性評価の問題、などがまず頭に浮かんできます。これらはどれも大切な問題であり食の安全に大きく影響をしています。
しかし、その前に、そもそも食品はどの程度安全であったのでしょうか。そのあたりからまず話をはじめてみたいと思います。

 食べ物が我々にとって栄養となるか毒となるかは微妙なバランスの上に成り立っているのかもしれません。たとえば健康なときに食べても問題がなかった牡蠣も、疲れているときには病気の原因となることもあります。食中毒も同じものを食べて安全な人もいるのです。塩分もコレステロールも体を維持するためには大切なものではあるが、多すぎれば体にとって毒に変わります。安全とされている食品も食べ過ぎると下痢を起こしたり生活習慣病を招く恐れもあるのです。ある人に安全な食品であってもほかの人にはアレルギーの原因となる場合もあります。まず、食べものの安全性には個人差があるものだということを知って欲しいのです。

 では、我々が日ごろ食べている動物性食品、植物性食品、さらに魚類やきのこ類も含めて、どれが人にとって一番安全な食品だと思われますか。
まず頭に思い浮かべる危険な食品として、秋に食中毒のニュースが出てくるきのこ類ではないでしょうか。確かに茸には、専門家でも間違いやすい毒キノコもあり、気の抜けない危険な食材でしょう。では残りの3つのグループでは次に危険な食材はどれでしょうか?それは明らかに植物性食品なのです。一般的に言って植物には自分の身を守る仕組みを体の中に持っていて、草食動物や昆虫が自分達の種を絶滅させないように毒を持って保護しています。だから敵から逃げることのできない植物も長い年月にわたって生き延びることができるのです。
キノコや植物に毒が含まれているのは自分の身を守るためです。例外的に植物の果実と花の蜜の中には毒がないと考えられています。それはこれらには植物自身の種族を守り、子孫を広めるために必要な受粉と種子の伝播を、動物や昆虫に手伝ってもらうからです。蜜や果物の甘味はそのご褒美の意味があり、この中に毒が仕込まれていると、次の年には植物の子孫を残す手伝いをしてくれる動物や昆虫がいなくなってしまうからです。きのこも次の世代を増やすために胞子を貯め込んでおり、食べられない仕組みを組み込んでいることでしょう。

 このように生物が生き延びるためには自分を食べられないように体の中に何らかの毒を仕組むしか道はないのです。動物や魚は敵が近づくと逃げたり戦うことが出来ますから、基本的には体の中に毒を仕組まなくてもいいのです。魚で毒があることで知られているフグ毒(テトロドドキシン)も微生物が生産する毒素を濃縮したものであり、無毒フグの養殖も可能なのです。植物性食品にはレベルの差はありますが、そのほとんどに動物に対する毒が入っているといえるでしょう。ジャガイモの芽や太陽の光に反応して出来る緑色に含まれているのは有毒物質(ソラニン)であるし、健康にもっとも優れているといわれている大豆でも動物の摂食を阻害させるトリプシンインヒビターやリポキシゲナーゼなどを含んでおり加熱調理をしないと食べられないものです。また、わさびやマスタードなどの香辛料やにんにく、たまねぎなどには含硫化合物が含まれており多量に食べると毒となります。毎日飲むお茶やコーヒーに含まれるカフェインも過剰摂取は毒となります。酒や塩も同じです。適量を過ぎると体にとって毒となるのです。

 最近は肉を食べるよりも野菜をたくさん食べるほうが健康に優れているようにいわれていますが、それは植物の持つ毒を不活性化させる適切な調理があってはじめて成り立つことなのです。生野菜は体をきれいにしてくれる、と女性に人気がありますが、これも限界があります。逆に言えば最近の野菜は生で食べても体に悪影響を及ぼさないように品種改良をしてあり、本来植物が持っていた体を守る働きのあるアルカロイド類を少なくすることによって可能となっているのです。これらの野菜は生で食べられますが、ひと昔前の同じ種類の野菜とは成分が明らかに違ってきているのです。これらは人が生で食べても害を起こすことはありませんが、逆にこのような野菜は自分で虫や動物から身を守る働きを持っていませんから、極端に言えば、人に農薬やビニールハウスで守ってもらわなければ生きられないものになってしまっているのです。あなたは虫の食った野菜と虫の痕のない野菜のどちらが安全だと思っていますか?

 いずれにしても植物やきのこ類は全く安全ということではないのです。しかし、それらは長い間の工夫によって毒を取り除く調理法を見つけることによって、食品として食べてきたのです。縄文時代の昔から春は山へ出て山菜を採り、筍を掘ってはあく抜きをしながら食べていたものです。このように煮る、焼く、茹でる、水晒し、あく抜きなどを駆使して初めて安全に食べられる食品になったのです。そこを錯覚して「天然の」、とか「自然の」と書かれていたら安全であるかのように思い込むのは間違っていることに気がつかれたことでしょう。むしろ植物に比べると動物のほうが安全な食べものといえるかも知れません。

 このような植物性食品の安全に注目が集まったのは、遺伝子組み換え作物の安全性をどう評価すべきか、という場面に直面したときでした。いままで述べてきたように大豆にしてもトーモロコシにしても何らかの身を守る阻害物質を含んでいます。当然それらは遺伝子組み換え技術で品種改良した組み換え作物にも含まれてきます。これらを安全な作物と評価するかどうかが焦点になったのです。
結論から言えば、元の作物に含まれていた阻害物質が同じ量だけ組み換え作物に含まれていても、その作物は安全だということにしようというように決めたのです。植物性食品としては遺伝子組み換え作物ほど、これほどまでに厳密に安全性について検証した作物は今までありませんでした。それまでの植物性食品の安全性には基本的に食べる人の自己責任でした。ところが遺伝子組み換え作物は、なんと遺伝子レベルまで掘り下げて、国が安全を確認し保障したのです。その意味では現在食べている作物の中で最も安全に対して保障がされている作物といえるかもしれません。でも、世界には遺伝子組み換え作物に反対している人がいるのはどうしたことだろうか。

 遺伝子組み換え作物が栽培され始めて10年になりました。現在世界の耕地面積は15億ヘクタールといわれていますが、そのうちの1億ヘクタールで遺伝子組み換え作物が栽培されており、今も急速な勢いで拡大しています。しかし、今もって遺伝子組み換え作物を食べて体調を崩したという報告はありません。
現在、この遺伝子組み換え作物を巡ってアメリカとEUの間で激しいやり取りが交わされており、日本はその中間にいて様子を眺めているという光景でしょうか。米国、EUの背景にはそれぞれの国益がからんでいます。アメリカは種子を特許化して世界制覇を狙っています。EU加盟国はそれぞれが農業を国の基盤としていますが、過剰農産物の処理に苦しんでいます。当然アメリカからの農産物の進出に神経を尖らせているのです。
世界の政治は、食糧とエネルギーにたいして激しい反応をしています。日本のように食糧自給率39%でありながら遺伝子組み換え作物にアレルギーを示すのとは状況が違います。日本は遺伝子組み換え作物に神経質になる割には、EUで大きく取り上げているアメリカのホルモン使用牛肉の輸入については全く気にしていません。一方、アメリカは現在、トランス酸含有の油脂に対する健康被害に大騒ぎをし、遺伝子組み換え作物で対応しているが、わが国ではそのことについても無頓着です。まさにマスコミの報道にもてあそばれているとの感がしないわけではない。危険性に対する民衆の心理を研究している学者によると、『大衆はあまり起こらないようなリスクについては過大評価するが、実際に高確率で死亡にいたる事柄、たとえば喫煙による死亡、自動車事故死、家庭内溺死については過小評価するものである。また、自分で起こすリスクには寛大である。』というものだそうです。遺伝子組み換え作物では、世界中でまだ1件の健康被害も報告されていないのに危険な作物と大騒ぎしているのは、学者の指摘する心理状態そのものが働いているということなのでしょうか。


茶話会の目次に戻る