亭主の寸話47『チョコレートの話』

 

 先日までのバレンタインデーの喧騒も一段落して都内もしばしの落ち着きを取り戻してきた。一体バレンタインとチョコレートとどんな関係があるのか、私には皆目分からないが、どうやらそんな詮索はチョコレートを買い求めているお嬢さんたちには必要のないことのようである。

チョコレートは熱帯産カカオ豆を原料にして作られており、カカオ豆に含まれているカカオ脂を凝固させることによって出来ている。またカカオ豆からはココア飲料も出来ている。つまりカカオ豆からカカオ脂を取り除いて粉末にしたものがカカオ飲料であり、取り除いたカカオ脂をさらに加えて固めたのがチョコレートということになる。だからチョコレートは私がかつて仕事で関係していた大豆油と同じ植物油脂の仲間の話なのです。そこで今回はこのチョコレートについてお話したいと思っています。

チョコレートの原料となるカカオの木は南北緯度20度以内の熱帯地方だけにしか栽培できない植物であり、大豆が品種改良の技術によって温暖の地から熱帯のブラジルにまで栽培の地を広げていったのとは少し様子が違っている。このようにカカオの栽培地が広がっていかない理由として両者の品種改良の容易さの差にもあるが、それよりもその種子に含まれている油脂の性質によるところが大きい。そもそも植物の種子は人間の食料のために実らせている訳ではない。種子に含まれている栄養分は、その種子が発芽して次世代の命が成長していくために必要な大切なエネルギー源であり、中でも脂肪分はもっとも重要な働きをしている栄養素なのです。カカオ豆には50%を超える脂肪が含まれており、大豆の19%など一般的な油糧種子の脂肪分に比べても油脂含有比率が非常に高いのです。

つまり熱帯地方に育つ種子には熱帯の環境下で利用できるような油脂を含んでおり、寒い地域で生育している生物には温度の低い状態でも固まらずに利用可能な液状になっているような油脂で作られている。このようにしてそれぞれの作物の栽培適地が決まっていき、収穫した油脂の性質が地域によって決まってくるのである。東南アジアなど熱い地方で採れるやし油、パーム油などの食用油脂を日本など温暖地帯に輸入すると、低温によって固まったり沈殿物が出来るのはそのためである。カカオ豆もたとえ熱帯地方から持ち出して気温の低い土地に種を撒いても、発芽した新芽は栄養源としての油脂が固まってしまって成長エネルギーとして利用できないために生育できないことになる。だから品種改良技術が進んだ現代においてもカカオは今も熱帯地方だけにしか栽培されていないのである。

つまり熱帯地方ではカカオ脂が固まらないので、カカオの種子は発芽し生育できるのである。しかし逆にカカオ脂が固まらない熱帯地方ではカカオ脂を固めて作ったチョコレートは食べられない、ということになる。それはカカオの油脂分であるココアバターが約33℃以上で液状に溶けて2527℃以下で固まる性質を持っているから25℃以下にならない熱帯地域ではチョコレートが作れないということになる。

ではチョコレートが25℃以下の常温で固まっているが、口の中の体温36℃でサッと滑らかに溶けるのはどうしてなのだろうか。それは簡単に言うとカカオ脂の構造が2つの飽和脂肪酸と1つの不飽和脂肪酸の結合というほぼワンパターンで出来ているから温度に対する反応もワンパターンになっており、ある温度を境にして急速に溶けるからです。ところで油脂は一般的に酸素、光、温度などで劣化する性質がある。だから調理用の食用油脂には必ず「冷暗所に保存してください」と書いてある。熱帯地方に育つ油脂はなぜ劣化しにくいのか、それはこれら灼熱の熱帯に育つ油脂には酸化されにくい飽和脂肪酸を多く含んでいたり、抗酸化作用のある成分を必ず併せ持っているから比較的酸素や熱などに対して安定しているのです。

それでは一体このカカオとはどんな植物なのだろうか。カカオの木はアオギリ科に属しており、アオギリ(青桐)、コラノキ、そしてカカオなど特徴あるカフェインを含んでいるものが多い。アオギリは漢方薬として利用されており、その種子は咳止めや口内炎に、葉は高血圧に効果があるとされている。一方コラノキは、アフリカ西部の熱帯地方が原産であり、その種子はコーラ・ナッツと呼ばれており、種子には興奮作用のあるコラニンが含まれている。アフリカでは疲労回復や興奮剤として利用されていたようである。この木から出来たのがコーラ飲料であることはご存知の通りである。

このように熱帯地方だけにしか生育しないカカオの実を持ち帰って利用の道を開く発端を作ったのがアメリカ大陸を発見したコロンブスである。コロンブスが熱帯植物であるカカオの実をヨーロッパに持ち帰らなかったら現在のチョコレートは生まれなかったかも知れない。しかし、このカカオ豆がチョコレートにたどり着くためには、話はそう単純ではない。15世紀に始めてスペイン人たちが見た中南米の原住民たちのカカオの利用は、トーモロコシやトーガラシなどと一緒に飲むというものであった。それは焙炒しただけのカカオの実はにがくて、そのままでは食べられなかったからである。ではなぜ現地の人たちはこんな苦いカカオを飲んでいたのか、それはカカオの実には栄養価の高い油脂が多くふくまれていたことと、カカオ豆に含まれているカフェインには熱い熱帯地方で過ごすのに適した強壮効果があったからであろう。

こうしてカカオ豆は16世紀始めにスペインに持ち込まれたが、すぐには口にすることが出来ず、スペイン宮廷では16世紀後半になってやっと飲料として利用されるようになる。それは当時高価だった砂糖の登場によってはじめて飲料として飲むことが出来るようになったからである。最初のうちはスペインに持ち込まれたカカオは、100年ばかりの間は国外への持ち出しは禁止とされていた。しかし、スペイン王室との政略結婚を通じて次第にフランスをはじめとするヨーロッパ各王室へと広がっていったが、庶民の飲料となるにはさらに長い時間が必要であった。

修道院などでのいろいろな工夫によって19世紀の始めになってやっと「飲むココア」と「食べるチョコレート」が生まれる。製品を作る工程を見るとそれぞれに多くの人たちの苦労がにじんでいることが想像できるであろう。現在のチョコレートの製造工程は、まずカカオ豆の発酵、乾燥という栽培地での加工を経てから低温地帯に持ち込まれ、さらに焙炒、磨砕、ココアバターの分離と混練・砂糖との混練、微細化、熟成などを経てやっと「食べるチョコレート」になっている。これらの工程の中で最も画期的な技術革新はココアバターの分離と混練であろう。これによって始めてチョコレートが固まった食べるチョコレートに姿を変えることが出来たのであった。さらにその後、濃縮ミルクの開発と利用によりミルクチョコレートが出来上がり、今日に到っている。

ところで、ヨーロッパにおけるチョコレートには当初から「媚薬」とのイメージが付きまとっていた。その効果を当てにして1日に何杯もカカオ飲料を飲み続けた王族がいたり、市民がチョコレートを食べることを禁止した国もあるほどである。今もヨーロッパを旅行すると、ホテルのベッドの枕の上にチョコレートが23個置かれているのを見かけるが、これは「どうぞ媚薬のチョコレートを食べて今晩は楽しくお過ごしください」というヨーロッパ流のウイットである。

チョコレートが出来る仕組みが熱帯で出来た油脂が涼しい地帯に持ち込まれて固まってしまう性質にあるように、油脂には生育した環境によって凝固温度が違ってくる性質がある。先に述べたように熱帯産のやし油を日本に持ち込むと寒さで結晶ができるのと同じ理由で、体温の高い牛の肉などと共に牛脂を摂取すると、それよりも低い体温の人間では血流をどろどろにすることが指摘されていたり、逆に冷たい海流に生活している魚油は体温の高い人間の体内では血流をさらさらにすることも指摘されたりしている。大豆油やナタネ油が人の血流を流動的にするのも寒冷地の油脂に特徴的な不飽和脂肪酸が多いためである。このことから考えると、甘いからといって熱帯油脂であるカカオ脂の食べすぎも注意しておかなければならないことかも知れない。
 
 最後に一言、ホワイトチョコレートにはチョコレートの原料となるカカオマスは含まれていないのです。だからチョコレートにあるカフェインも含まれていません。厳密にいえばチョコレートとは言えないでしょう。原料はカカオ豆から搾り取った脂肪分(ココアバター)に乳固形分と砂糖を混ぜたもので作られています。このココアバターは高度飽和脂肪酸からできているので血中のコレステロール値を上げ、食べ過ぎると動脈硬化など健康に害を及ぼす脂肪だということを覚えておいてもらいたい。


茶話会の目次に戻る