亭主の寸話32 『遺伝子組み換え大豆の動き』

                           2010.1.17        

 遺伝子組み換え大豆が登場して13年目ともなるといろいろな雑音が聞こえ始めてきた。それは巷ではやし立てている遺伝子組み換えに対するいわれのない恐れなどではない。遺伝子組み換え技術は20世紀後半に確立された画期的な技術であり、我々はその恩恵を医薬・食品などの分野ですでに享受しており、その結果として現在の豊かな生活を満喫できているのです。医薬品の開発や、酒や味噌・納豆など微生物の働きを利用している食品の品質改善にはなくてはならない技術の基礎となっています。

21世紀の最初の10年間は遺伝子組み換え作物が広く我々市民の食生活に浸透していく導入時期といえたのではないだろうか。こんな作物を食べると将来病気になるのではないだろうか、という一部の人たちの心配をよそに遺伝子組み換え技術はいろんなところで利用され消費者に便利な商品を登場させています。食品産業にとっては遺伝子を組み換えられた大豆やトーモロコシ、ナタネ、コメなどはその成果の一部にすぎません。世界的な穀物不足時代が叫ばれている中で遺伝子組み換え技術は今後さらに幅広い利用が行われていくでしょう。

そんな中でも2009年を振り返ってみるといろいろな動きが表面化しています。遺伝子組み換え大豆の周辺での一つの話題は、遺伝子組み換え大豆に組み込んでおいた農薬に対する抵抗力が周辺の雑草に広がり、メーカーが指定した特定の農薬でも枯れなくなってきている、ということが直近の話題です。遺伝子組み換え大豆の特徴は、農家にとって最も頭の痛い雑草の駆除を1回の農薬散布で行うことが出来るというものでした。このことによって農家は農薬費用と労働時間の削減が出来、生産コストを大幅に下げられるというメリットがありました。しかし、最近になってこの農薬に対する抵抗力を持った雑草が増えてきており、それに従い農薬などのコストがかさみ、遺伝子組み換え大豆を栽培している農家からの不平の声が高まってきています。しかし、現段階ではまだ組替え大豆のメリットが歓迎されており作付面積は伸び続けていますが、どうやら遺伝子組み換え大豆は雑草に対して永遠に伝家の宝刀というわけには行かないことが知れわたったようです。

生物が地球上で40億年生き続けてきた歴史と、その環境への適応力を考えれば、たかだか1つの農薬で絶滅すると考えるほうがおかしいのかもしれません。現在我々の目の前にあるあらゆる生物は地球上の炎の時代、氷の時代を生き延びてきた子孫たちばかりなのです。生物にとって種の多様性とはどんな環境におかれても絶滅しないための生命保険のようなものでしょう。メーカーが作った一つの除草剤で命を絶たれる植物がいる隣には、その農薬にも耐えられるメカニズムを持った植物も一緒に生活をしていたのでしょう。新しい農薬環境の中で新たに適応しながら繁殖をする、それはまさに「雑草の如く」農薬への耐性を備えながら生き続けていく姿そのものです。つまり、雑草とはどんな環境におかれても、その中で生きていく草を総称したものであり、人間の知恵や気候変動をすり抜ける能力を備えたインベーダーということも出来るのではないだろうか。

もう一つの遺伝子組み換え大豆に関する話題として、遺伝子組み換え大豆にとって最大のメーカーであるモンサント社の持っている遺伝子組み換え大豆(ラウンドアップ・レディ1)の特許が2014年に切れてしまうことが発表されたことです。これに備えてモンサント社は従来の種子を改良した新品種「ラウンドアップ・レディ2イールド」を発表しており、2009年試作、2010年農場への作付け開始と切り替え体制に入っています。メーカーの発表によれば、この新しい組み換え大豆には従来品種に比べて1割以上の大豆増産、除草効果の向上、オメガ3油脂などの品質改善が組み込まれることになるようです。

では、農家の手元に残った今までの遺伝子組み換え大豆の種子はどうなるのか、については現時点では定かではありませんが、徐々に農家が自由に利用できるようになりそうな雰囲気です。しかし、そうなると今までメーカーに隠れて使用料を支払わずに、こっそり作付けしていたような零細な農家もいっせいに遺伝子組み換え大豆に走る可能性が出てきます。しかし、このことが望ましい方向であるかどうかは大きな疑問があります。多くの作物で見られるように、特定の品種に限定された農作物の栽培は気候変動など、少しの環境変化にも影響を受けやすく、世界の穀物需給を不安定にしてしまいます。わが国の稲作が、北から南まで「こしひかり」「ささにしき」ばかりになり、2004,5年の冷害時に深刻な米不足を招いた状況に似てきてしまいます。それはまさに雑草が生き残り戦略として採っている「種の多様性」とは反対の方向に向かった行為といえるでしょう。地域・環境に応じたいろいろな品種を栽培することによって安定性が保たれることと思われます。

もう一つの話題は、わが国を代表する生命化学の研究機関である理化学研究所がいくつかの他の研究機関と共同して大豆の全遺伝子を世界で初めて解読したことです。このことによって世界で最も注目されている経済作物の大豆が今後さらに幅広い応用の道へと広がっていくことが期待されています。大豆の染色体数は他のマメ科植物に比べて大きく、謎に包まれていたところもあったのですが、少しずつそのベールがはがされていっています。大豆のDNAの塩基配列は11億1千万塩基対とされていて、4万6千種の遺伝子の働きが明らかになっています。また、この解析を通じて、現在の大豆のルーツは5千9百万年前と1千3百万年前にゲノム全体がコピーされ、遺伝子の倍数体化という重複現象が起こっていることが明らかにされました。

大豆の品質にも動きが出ています。以前にもお話したように、従来の大豆に含まれる大豆油には78%のリノレン酸が含まれていました。このリノレン酸は酸化されやすいために精油業者は油を安定させるためとして水素添加という加工をし、マーガリンやスプレッドとして利用していました。しかし、2006年にこの加工の工程で生まれるトランス脂肪酸が動脈硬化などの原因になるとしてアメリカでは使用を禁止する動きとなってきました。これを受けてリノレン酸が少ない「低リノレン酸大豆」の開発が進み、種子会社数社ですでに完成し、栽培が進んでいます。今後アメリカで生産される大豆がこの「低リノレン酸大豆」に切り替わっていけば、わが国の輸入大豆の80%を占めるアメリカ大豆がこのような大豆品種となって国内に入ってくる可能性が高まります。わが国ではトランス脂肪酸についての議論はまだ緒に着いたばかりで世論とはなっていませんが、今後の議論の的になる可能性が出てきました。

世界の大豆生産量も順調に伸びており、中国の大豆消費量の伸びと共に明るい話題となっていますが、ここでは省略しておきます。

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