亭主の寸話30 『WTOで日本農業が変わる』

                                     

 

 新聞などで報道されているようにいよいよWTOのドーハラウンドが始まります。この、実感として捉えにくいWTO交渉が私たちにどんな影響を与えるのか、今回はこれを優しく説明することにしましょう。
 
私が現役で仕事をしているときには大豆などを通じてWTO交渉は身近な話題として関心を払ってきました。しかし、従来からわが国ではWTOの交渉では絶えずコメがその中心でした。それは、わが国にはコメ農家が大勢おり、ひとつの政治圧力であったからであり、さらにはコメが私たちの食生活の中心をなしているからなのです。そこで今回はコメにWTOの農業交渉がどうかかわってくるのかをお話したいと思います。

そもそもWTOって何なのか、から始めたいと思います。WTOWorld Trade Organization(世界貿易機関)の略で、ガット(GATT)と呼ばれていた多国間調整機関から引き継がれたものです。ガットは1947年に作られたのですが、その背景には第2次世界大戦以前の世界貿易が各国の輸入制限やブロック経済色が強く、それらが世界大戦を招いたのではないか、との反省から生まれた調整組織であり、その基本的な考えは自由・無差別・多角的通商体制、つまり、お互いに壁を作らずに自由にいろいろな交易をしましょう、という考えにもとづいているのです。至極当然のこととして各国が賛成をして始まったのですが、いざ始めてみると農業分野だけをとってもそれぞれの国の思惑が大きく食い違うことが分かりました。農産物を売りたい国と買いたい国とでは立場が逆になります。アメリカのように広大な土地で作ったコメは日本で作るコメよりもはるかに安く、日本の消費者は喜んで買うかもしれませんが日本の農家は作ったコメが売れなくて農業をやめざるを得なくなります。アメリカの稲作農業については次回にお話しするつもりですので、今回はアメリカのコメが安いということに留めておきます。アジアでも日本の美味いコメを栽培してわが国に安く売り込みたいと思っている国は沢山あります。しかし、それらを阻止して日本の農家を守るために鎖国することも出来ませんから、外国からの輸入米に高い関税をかけて日本の米よりも高い値段に設定して阻止しようとしたのです。そこで日本の政府はWTOの交渉で日本に輸入されるコメに対して778%という超高関税をかけて外国からコメが国内に入ってこられなくしているのです。そのかわり、その代償として毎年77万トンのコメを輸入するというミニマムアクセス(最小輸入枠)を認めさせられています。それは国内のコメの豊作に関係なしに毎年輸入しなければならないのです。この輸入米は私たちが普段食べているコメとは違う長粒種米が多く、国内で在庫としてたまる一方で、政府は家畜の飼料用などに安く振り向けています。

 しかし、こんなことを続けていてはGATTWTOを作った趣旨からは大きく外れてしまいます。今回のWTOの交渉ではここが一つのポイントになると見られています。すでに議長案では75%を超えている関税に対してはその66~73%を削減するようにといわれており、そうなると日本のコメは778%から一気に210~265%へと引き下げられます。こうなると海外からのコメが日本市場に流れ込みやすくコメの価格はさがることになるでしょう。そうなると消費者は大喜びですが日本のコメ農家はやる気を失うかもしれません。日本の稲作はコメを生産するだけでなく、農地を保全し田園の景観を美しく維持し、水田による水の保全や水生昆虫など生物多様性に大きな役割を果たしています。農業放棄はこれらの働きが消えてしまうことになるからです。

 現在の日本の稲作農業は農家の生産意欲をつなぎとめておくためにコメの値段を高く維持し、消費者にその負担を負ってもらうという図式で成り立っています。また、生産調整して生産量を制限し、コメの価格を維持しています。そのために水田の40%を休耕田にするという、世界で食糧危機が叫ばれている時代にそぐわない政策を展開しているのです。そのためにわが国の米の価格は世界でも格段に高い値段になっているのです。海外からのコメの輸入を阻止しようとすると778%という想像を絶する関税を設定しなければならなくなるほどのコメの値段になっているのです。このような一人相撲には以前から国内でも批判がありました。しかし、自民党と農協がこれを死守してきたのです。今回の衆議院選挙ではこれらを守ってきた農水大臣経験者や農林議員が次々に有権者からの支持を失ってしまいました。農政は自民党から民主党にバトンタッチされたのです。では、民主党はコメの生産調整や高関税による農家保護はどうするのか、まだ走り出したばかりで見通せませんが、早急な対応が待たれています。

  しかし、先ほども話したようにWTOの流れは778%というコメの高関税を認める方針にはなっていません。どうしても認めてもらおうとするとそれ相応の代償を払わなければなりません。それは現在の77万トンのミニマムアクセス(最低輸入枠)にさらに36~54万トンを上乗せして毎年120万トンを越えるコメを輸入しなければならなくなります。これでは何のために高関税を設けて外国の米を排除しようとしているのか分かりません。

つまり、わが国の米は国際化の波を免れられないところに追い込まれているのです。日本の農産物でこのようなかけ離れた関税で国内を保護しているのはコメだけです。日本はすでにほとんどの農産物の関税を低く設定しています。主な野菜や果樹、鶏肉、切り花など全体の7割弱は20%以下の関税であり、麦、乳製品、砂糖など国民生活に不可欠な限られた品目だけが大量輸入を防ぐために高関税になっていますが、それでも75%以上の関税が掛かっている品目は1割程度です。日本の平均関税率は12%で、EU20%、タイの35%、アルゼンチンの33%に比べるとはるかに低くなっています。コメだけが突出しているのです。

 では、このようにしてWTOの交渉の場でコメの関税が引き下げられたらわが国の農業は本当に成り立っていかないのでしょうか。これは多くの予測の部分があり、誰も断定は出来ませんが、新しい日本の稲作農業の再出発であると前向きに捉えている人たちもいます。それは、地球全体の食料不足という時代を迎えて状況が大きく変化しているからだとの考えに立っています。

1986年のWTOウルグァイラウンドの協議の中で日本のコメ市場開放問題が提起され、高関税とミニマムアクセスが出来上がったのですが、それはアメリカのコメの農業団体が国内の余剰米を日本に買わせるべくアメリカ政府に圧力をかけ、その解決の場としてWTOの農業交渉の場を選んだことに始まっています。その時代はコメの売り先にアメリカが困っていたのでした。今は、世界のコメの価格はある程度高止まりをしており、一部の国では国内の消費者の食糧価格の安定のためにコメの輸出を制限していることも起こっています。これから先も地球人口の爆発に伴う食糧不足が予想されています。そのために以前よりも国内外のコメの価格差が少なくなっており、以前ほどの高関税がなくとも安易に国内に外国米が入らなくなってきているからです。

 現在のわが国のコメ農家の保護は国内の消費量にあわせて減反調整して農家の手取り価格を維持しようとしています。ところがコメの消費量は毎年減り続けているのです。そうなると毎年減反面積を増やしていかなければ価格維持が出来ません。高いコメから消費者が遠のいたらその分さらに減反するということの繰り返しとなっているのです。国内の人口が減少の道をたどるとき、国内の消費量にあわせて減反をしていけば休耕田が増えるばかりです。世界で食糧危機が叫ばれている中で、また農業に必要な水が世界的に枯渇していく中で、わが国に広大な水田が放棄されていながら海外から多くの穀物や野菜を輸入し続けたらわが国は世界から非難されることになるでしょう。つまり、わが国の稲作農業はもはや減反だけでは生きていけないのです。

今回のWTO交渉の中でこれまでの日本の農業が問い直され、そこから新たな農業の姿が浮かび上がってくるものと思われます。それは国内のコメの消費量を基準にした農業ではなく世界のコメ市場を切り開いていく道に立ち向かう姿とならざるを得ません。そして海外でも受け入れられる日本のコメとは何か、それはどのようにして作ればいいのか、という自らへの問いとなります。EUの農業もこのような問いに直面して自らの道を切り開き、大きく食糧自給率を改善してきました。今回のWTO交渉は日本の農業を変革するきっかけになると思われます。

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