亭主の寸話22 『沙漠化は人災か』


 95歳になる母は若い頃に旅行した中国の敦煌やそこからさらに続く西域地帯周辺にとりわけ強い愛着を感じているようである。かつてシルクロードを取材したNHKのテレビ番組をビデオに残しておいて繰り返し見直したり、それらを本にまとめたものを買いそろえて眺めて楽しんでいる。母のそばに付き添っている私も一緒にこれらシルクロードのビデオを眺めることが多い。こうして改めてシルクロードの道のりを、ビデオを通じて見てみると、中国の西域には荒涼たる砂漠地帯がなんと多いことか。この見渡す限り広がる砂の大地と4000mもの高い峠を越えながら、死の世界を2200年も前から西のヨーロッパと東の中国の間を商人たちがいろいろな荷物を運んでいたとは、今の我々にとって想像することができないほどである。先日、奈良で60回目となる今年の正倉院展を見てきましたが、その中にもはるかペルシャからもたらされた品々が展示されていました。当時わが国にもたらされたこれらの宝物のいくつかはこうしてシルクロードを渡ってきたものであり、シルクロードはわが国まで伸びていたと考えることも出来るのであろう。このNHKのシルクロードの撮影隊の中には私の友人も参加していたこともあり、私もシルクロードには関心が強くなっている。この放送の中で楼蘭の砂漠の砂の中から美しいミイラを見つけたことが映し出されていた。それは中国人ではなく、まつげの長い美しい白人ミイラである。さらにまた、砂漠の砂の中から墓標や木造住宅の残骸が取り残されてそそり立っている映像も頻繁に映し出されている。また、タクラマカン砂漠の砂の中から古代の遺跡が見つけられ、中国の学者たちによって発掘されている。小河墓(しょうがぼ)遺跡である。そこからも美しい白人のミイラが出土している。そこにも墓標や木をくりぬいた舟形の木棺、さらには籠に入った小麦なども次々と掘り出された。時代は4000年前でエジプトのツタンカーメンと同じ時代と見られている。地元の研究者はここには千体近くのミイラが眠っているはずだと言っているそうである。そもそもこの遺跡は1934年にスウェーデン人の探検家によって見つけられていたものであるが、その後砂に埋もれてしまっていたのか最近まで行方知れずの状態であったらしい。小河墓遺跡の再発見は2000年の暮れになってのことらしい。

 1300年前にこの地域を旅した記録が残っている。玄奘三蔵が中国を抜け出して西域北路をたどってインドまで仏典を求めて歩き、帰りは西域南路を戻っている。そこに書かれている当時の様子は、いろいろな仏教王国が栄えており数千人から1万人近い僧侶を抱えている寺院都市もあったようです。現在のタクラマカン砂漠の死の世界からは想像ができない。これだけの人々が住んでいたのなら当然その人たちを賄う食糧、飲み水があったはずである。京都にある総合地球環境学研究所の報告では興味ある当時の姿を浮かび上がらせている。それは埋葬に使う舟形の木棺は丸太をくりぬいて作られており、また墓標も木の丸太でなく四角く削られており、この周辺に大きな森があったはずだと想像している。しかも多量の小麦も埋葬品として出土していることから見ても、これらの地域は緑豊かなオアシスであったはずである。 なぜこれらのオアシスが砂の世界になってしまったのだろうか。このことは現在、世界のいたるところで進んでいる地球の砂漠化と関係があるのだろうか。

 地球の砂漠化は食糧危機と真っ向から対峙している問題である。それだけに私はこのシルクロードの砂漠化に強い関心を覚えている。そこで前出の研究所などから出されている砂漠化についての出版物をいくつか読んでみて自分なりの理解と整理が出来たつもりでいる。それは、砂漠化を長期的視点で見るか短期で捉えるかで違ってくるようである。長期的には海流の変化や地球軸の変化などによる大きな流れの中から必然的に起こってくる地球環境の変化によるものが乾燥地域を作っているものである。地球の寒冷化、温暖化の大きなうねりもこれに類するもののようです。これにたいして、短期的視点で見る砂漠化では、皮肉にも人類が1万年前から平和と安定を求めて始めた農耕が最も大きな要因となっているようである。

 シルクロードが通っている西域南路を潤している水は祁連(きれん)山脈の雪解け水が主な水源となっている。この祁連山脈はタクラマカン砂漠の南を東西に1000kmに亘って横たわっており多くのオアシスに水を供給している源である。この山脈に降る雪の量は多少の差はあってもほぼ一定しており、そこから流れ出す表面水、伏流水ともにこれも一定していると見なされている。山脈の積雪量が変わらないとすれば、それは山に降った雪の量と溶け出した水の量が同じだったことになる。地球の温暖化という視点で見れば、温暖化は山脈への積雪を上回る雪解け水を作り、流れ出す水量は増えてくることになる。シルクロードに流れ出している水の量が変わらないのに砂漠化が起こるのは、その上流で多量の水を使ったことによって下流の地域に水が届かなくなるからである。なぜそのようなことが起こるか。それは豊かな水を求めて上流にあたるその地域に人が集まり灌漑農業が発達して使用する水の量が膨らんでくるからである。この地域の水は山から流れ出て高温乾燥地域を横切って砂の中に消えていく内陸型の河川なのです。流れ出た水の8割は大気中に蒸発してしまい、残り2割の水を生活水や農業用水として利用しているのです。人は豊かな水を求めて移動していきます。上流に豊かな水があれば人はそちらに移り、あとには廃墟が残ります。太陽光が強く気温が高くそして水があれば作物にとって最適な環境であり、豊富に採れることになります。中国も長い歴史の中で黄河流域の住民を屯田兵としてこれらオアシス農業に人を送り込んでいるのです。その数は200万人に達すると見られています。そこでは自分たちの食糧だけにとどまらず綿や野菜などの換金作物も作るようになってきました。草原地帯の遊牧民も羊や山羊の飼育頭数を増やしたために草が足りなくなり他の地域に移動しなければならなくなったのです。それは「生態移民」と呼ばれ、健全な生態系や環境を回復するための移民政策であり、「農業開発区」と呼ばれる地域への移動となります。しかしそこでも限られた水を求めての争奪戦が繰り広げられることにより、従来のような放牧は認められず配合飼料による畜産に切り替えるか牧畜業以外の道を探るしかないのです。人々は水の不足分を、地下水をくみ上げることでカバーしようとしたのです。河川水を使うよりも井戸水の灌漑のほうが使い勝手がいいからです。しかし、これも限度を超してしまうとつけを後世に残すことになります。地下水の回復は表面水の回復よりも数倍の時間を要するからです。食糧があれば人が増えてきます。こうして人口増加が水の供給量を上回ってくれば人口移動も容易ではなくなります。このようにして玄奘三蔵がたどった道が廃墟となったのでしょう。シルクロードがテレビ画面に映し出された廃墟の数々はこのような姿だったのです。

 黄河の断流も一番の要因は灌漑取水によるものです。アラル海の縮小もソ連による農業開発の結果引き起こされたものです。アメリカの中西部の穀倉地帯では地下水をポンプでくみ上げてスプリンクラーで散布するセンターピポット方式で作物を栽培しています。ここでも地下水の水位が下がってきたことが問題となっています。 結局、現在の水危機の多くは人口増加に伴う水の使いすぎにあるということが出来ます。

 シルクロードの砂漠化を含めて地球上の多くの水問題は、水の枯渇ではなく供給量以上の水を使わざるを得ない食糧問題にあると見ることが出来る。そしてその根底に横たわる問題は地球の人口問題なのである。短期的視点における地球の砂漠化は、地球の環境バランスを越えた水を要求している地域から順に発生しており、それは食糧の増産であり人口の過剰な増加なのである。地球人口が40億人から60億人に増えた直近数十年の間に新たな砂漠化が起こっており、90億人と予想されている地球の未来にはさらに激しい砂漠化が起こることが予想される。地球人口のこれ以上の増加をどう食い止めるか、砂漠化の防止はこの一点に絞られるのではないだろうか。


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