亭主の寸話S 『牛乳は骨を強くするの?』


 先月の茶話会では、中国で起こった牛乳へのメラミン混入事件の背景を取り上げましたので、今月は牛乳そのものについて話してみようと思っています。

 そもそもわが国ではいつごろから牛乳が飲まれ始めたのでしょうか。いろいろな記録を見ると、古くは飛鳥時代に百済の帰化人などによってもたらされ、朝廷や貴族に乳製品が献上されたようだがもちろん定着はしていない。徳川時代にも八代将軍吉宗がオランダ人から勧められてインドから牛を輸入しているが、これも庶民には普及していない。さらに時代が下がって伊豆の下田にハリス提督が来たときに、お吉がハリスの病気を治すために牛乳を買い求めたという有名な話があるが、これも限られた話で終わっている。現在も、その当時米国総領事館が置かれていた下田の玉泉寺の境内ではハリスにちなんで牛乳が販売されているようである。その頃から徐々にではあるが限られた一部の階層の間では牛乳の効用が認識されていったようです。先日、都内にある「文京ふるさと歴史館」で、幕末頃に都心の小石川付近に藩主専用の牧場があり、牛乳を作っていた様子が展示されていました。しかし、牛乳が大衆に意識されるようになるのは明治時代の文明開化の流れが起こってからのことである。欧米人が飲んでいる牛乳を進歩的と憧れた一部知識人が真似をしはじめてからのことである。しかし、それでも国民が広く飲んだ様子はなく、西洋文化にあこがれた一部の人たちの間で飲まれていたに過ぎなかった。牛乳が広く国民の間に定着したのはごく最近のことで、1948年に学校給食に牛乳が採用されてからである。戦後の食糧難の時代に飢餓の中に置かれた子供たちの栄養状態を改善するために栄養豊かな牛乳を与えることは大いに意味のあったことであろう。その後、政府は長い間に亘って国民に対して牛乳を飲むよう大々的にキャンペーンを張り続けてきました。その大きなお題目は、当初は牛乳に含まれる蛋白質、脂肪による体力増強であったであろうが、それらが行き亘ると次には牛乳を飲むと骨粗鬆症を予防することが出来る、というものであった。これら一連のキャンペーンのおかげで牛乳の消費量は飛躍的に増大し、各家庭における冷蔵庫の普及もあいまって、今ではどの家庭の冷蔵庫にも牛乳が納まっている状況にある。飢餓に苦しんでいた国民を救った牛乳の貢献は認めるとして、ところで、これだけ牛乳の消費量が増えて、はたして骨粗鬆症は克服できたのでしょうか。今では日本人一人当たり毎日100gの牛乳を飲んでおり、いろいろな食品に混ぜ込まれる乳製品も含めると毎日250gの牛乳を摂取していることになっている。これだけ牛乳の消費量が急拡大して、肝心の骨粗鬆症は減少したのでしょうか。相変わらず骨粗鬆症のために牛乳を飲みましょうと繰り返しているのが実態です。国民の間の骨粗鬆症の改善にはいまひとつ効果が感じられません。増えたのは牛乳で動物性脂肪を充分補給されたので内臓脂肪だけが増えメタボが国民病として浮かび上がってきただけではないのでしょうか。いままで声を大にして牛乳が骨粗鬆症に効果があると言って来たのに気が引けたのか、最近は牛乳と骨粗鬆症を結びつけるキャンペーンは声を潜めてきたように感じている。アメリカでは数年前から、牛乳が骨粗鬆症の改善に効果がある、とのキャンペーンを控えていると聞く。それは、カルシウムが骨に沈着するメカニズムはそんなに単純でないことが分かってきたからです。カルシウムだけが豊富でも骨は強化されないのです。ビタミンD,Kなど骨の強化に携わる各種栄養素がバランスよく整い、運動などが複合的に働きかけないと骨が出来ないことがわかってきたのです。

 私たちの体は絶えず一定の栄養状態に保たれるようになっています。単に体の中にカルシウムだけが増えても使いきれない余分なカルシウムは排泄されるだけです。余分なカルシウムは血液の中に押し出され尿や便として排泄されていきます。絶えず余分なカルシウムが血液中を流れているとどんなことが起こるのでしょうか。石灰分の多い土壌には多量のカルシウムを含んでおり、長い時間を経るうちに鍾乳洞を作り、長い鍾乳石のツララや石灰筍を伸ばしている光景を見るでしょう。血管の中も同じことです。長期間過剰のカルシウムが血液の中を流れ続けているとカルシウムが血管に沈着し動脈硬化のきっかけを作ってしまうのです。現代人は動脈硬化、高血圧、尿道結石、内臓脂肪が増えている割には肝心の骨粗鬆症は一向に改善されていないのです。骨粗鬆症キャンペーンを考えた一部の人たちの本心はどこにあったのだろうか。牛乳の消費量が増えると畜産農家の経営が安定し、農協の財政基盤が安定することを願ったのだろうか。本心がどこにあったかは別にして牛乳の消費量拡大は思わぬ弊害を引き込んでしまったことにやっと気がついてきました。それは、牛乳の消費拡大に目を奪われている間にわが国の食糧自給率が低減してしまったことである。前回の話にもあった中国の牛乳事情と同じく、わが国の牛乳も輸入穀物を原料とした配合飼料によって作られています。飼料用原料であるトーモロコシ、大豆、大麦、その他の雑穀類などのほとんどはアメリカなどから来る輸入穀物で作られているのです。また、牛乳が食卓の上に居座るとそれに合う食材が食卓を占めるようになります。それはパン食であり、バター・チーズであり、肉類が食卓に並ぶことになります。これらもすべて輸入穀物によって生産されているのです。牛乳とご飯とを一緒に食べないように、牛乳の消費量が増えるとそのぶん和食の食材は減ってくることは容易に想像できます。もっぱら海外からの輸入穀物や輸入酪農製品が増えてゆくと、わが国の食糧自給率は反比例して下がっていくのです。

 そもそもわが国は牛乳を飲まないと栄養が不足するのだろうか。戦後の食糧難の時代はともかくも、現代のわが国の食糧事情では牛乳を奨励する論拠はなくなっていると思っている。私は欧米の食事を理想的な栄養だと勘違いした明治・大正時代の栄養学者の思い違いがその発端にあると思います。明治時代のはじめ、岩倉具視を団長とする遣米欧使節団が欧米人の体格のよいのに驚き、日本人の体が小さいのは和食を食べているためだ、との勘違いに始まっています。当時の国際情勢から「富国強兵」が緊急の課題とされていたときであり、体格のよい強い兵隊を作るには欧米風の食事に変えるのが近道だと考えたようです。この発想に当時の栄養学者が同調し、その後永く尾を引くことになります。政治的配慮からか、その間違いを今もって訂正しない現代の栄養学者の怠慢も大いに責任があると思っています。

 日本は温帯モンスーン地帯に位置しています。幸いにして豊かな太陽の光と暖かい気温に恵まれて植物の光合成活動が活発に行われ、それによって植物によって澱粉が豊富に生産される地域に属しているのです。だから野菜や穀物に恵まれており農耕文化が栄えたのです。そしてこの野菜などの中にその土地に住む動物にとって必要な栄養素は含まれているのです。そうでなければそれぞれの土地で人類は生き続けられなかったはずです。わが国に育つ野菜の中にも必要なカルシウムは充分に含まれているのです。牛乳100g中にカルシウムは100mg含まれています。しかし、私たちの身の回りの食べ物はもっとしっかりとカルシウムを用意してくれているのです。

      食品100g中のカルシウム含量

    牛乳     100mg           ヨーグルト    130mg
    大豆     240             木綿豆腐      120
    油揚げ   300             凍り豆腐       590
    かぶ葉   230             小松菜        290
    切干大根  470             モロヘイヤ       260
    アオノリ   840             ひじき        1,400
    まこんぶ  710             わかめ        960
 
  私たちは身の回りで育っている野菜や海藻を食べていれば体に必要なカルシウムは充分に補給できるのです。温暖な日本の風土には牛乳を推奨するよりも野菜などをしっかり食べるように教えてあげる方が理にかなっているのではないでしょうか。

 一方ドイツやオランダなど明治時代に医学・科学が発達した北欧地帯やそこから海を渡ったアメリカ人たちは太陽の光が少なく気温の低い地帯の民族であり、必然的に穀物・野菜に乏しく狩猟や牧畜に栄養の多くを依存せざるを得ない民族であり、基本的に我々とは環境が異なっているのです。北欧人の身長が高く、暖かいアジアの人の身長が低いのは、そのことがそれぞれの環境に適応しているからであって、なんら卑下することではありません。北欧の人たちにとってアジアのような食事形態はもともと彼らの選択肢にはなかったのです。牛乳による栄養摂取もバター・チーズも北欧の人たちにとっては避けられない選択肢だったのです。わが国の黎明期にあった学者達も彼らの外見に惑わされ、牛乳のほうが優れた食べ物だと考えたのではないだろうか。

 そもそも、本来は牛乳というものは人の食糧として用意されたものではありません。人間など哺乳類は赤ちゃんの時には母親の母乳を飲んで育ちます。そのときに栄養分と同時に母親から体を守る免疫の働きも受け取り自分の体を守ります。そしてある時期を過ぎれば哺乳類の赤ちゃんは乳離れをして食事の自立を図ります。母親は赤ちゃんの乳離れが終わらなければ次の妊娠が出来ません。だから哺乳類のすべての動物には自然に乳離れが起きる仕組みが組み込まれているのです。それは赤ちゃんに備わっている乳糖分解酵素がある時期になると分泌されなくなり母乳が美味しくなくなる、というものです。それによって哺乳類は自然に乳離れをして、母親は次の妊娠を可能にしているのです。私たち大人が牛乳を飲むと下痢を起したり軟便になるのは牛乳に含まれている乳糖を分解できなくなっているからなのです。つまり、私たち人間は大人になっても牛乳など乳を飲むようには作られていないのです。しかし牛乳などを飲まざるを得なかったのは他の食料が得にくかった北欧やモンゴルなど穀物栽培が不可能だった地方の苦肉の策だったのです。わが国のように温帯モンスーン地帯の国民が真似をしなければならないことではなかったのです。

 牛乳の摂取を陰ではやし立てていたのは誰なのか。それは日本に牛乳生産のため飼料原料としての穀物を売っている国の農家なのです。彼らは海外の我々を顧客に農作物を栽培しています。我々が牛乳を生産すればするほど彼らの農産物が売れるのです。彼らは自国の政府を動かして日本の政府に農産物の輸入自由化を強要し、関税を下げさせ彼らの農産物を売り込んだのです。農水省の統計では2006年には国内で消費されている米が918万トンに対して国内での牛乳乳製品の消費量が1,216万トンと完全に逆転しています。日本の農業が廃れてアメリカの農業が栄えているのはこれ一つをとっても明らかです。そしてこの事実がわが国の食糧自給率を押し下げているのです。

 テレビで日本の消費者は、わが国の食糧自給率が低いのは不安だといっています。しかし、食糧自給率を引き下げているのは自分なのです。食糧自給率を正常に戻すには毎日の食事をどうすればいいのか、自分自身で考えることなのです。その国民の行動に国の政策がついてくるのです。それともあなたは口で食糧不安を唱えながら輸入穀物に頼る今の食事を変えないでいきますか。


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