亭主の寸話R 『メラミン混入事件の背景』


 先日、古都奈良で学生時代のクラス会が行われました。1年ぶりの再会ということで話題は多岐に亘りましたが、その中で、中国で牛乳に化学物質メラミンを混入して多くの被害者を出し、現在大きな社会問題にまで発展している事件が話題となり、なぜこのような事件が起こったのか、その背景が理解できない、という声が出ました。その場で私は、中国での食生活の欧米化と穀物メジャーの戦略が背景となっていると解説しておきましたが、今日は、この話題についてお話したいと思います。

 すでに繰り返し話してきましたように、現在中国では経済発展に支えられて食生活が大きく変化しています。その流れは、中国の比較的裕福な都市部を中心とした油脂、肉、牛乳の消費量の急上昇という形で顕在化しています。油脂の消費量拡大はパーム油と大豆の輸入拡大につながり、肉・牛乳の消費拡大は大豆、その他の飼料穀物の輸入拡大として現れてきています。巨大人口を抱える中国のこのような流れは世界の穀物需給に大きな脅威となってのしかかっています。そしてこれらの流れを強く推し進めているのが欧米に拠点を置く世界的穀物メジャーの企業群なのです。現在、中国の沿岸部には大型の大豆搾油工場、配合飼料工場が林立しています。それらのほとんどはこれら国際的穀物メジャーが資本参加した合弁会社です。これらの工場はこれからの中国での油脂、畜産製品の消費拡大を見越して、現状の消費量をはるかにしのぐ処理能力を備えており、現時点での稼働率は、能力の50〜60%程度ともいわれています。彼らの理想とする姿は、中国人が早く肉などの消費量を増やして工場の稼働率を高めることであり、その原料となるアメリカ産の大豆やトーモロコシを中国に輸出して自国の利益を高めることにあります。そのために、アメリカの農業団体は中国の人たちに乳蛋白を多く含む濃厚牛乳を沢山飲んでもらおうと、学校給食などを通じて子供たちに濃厚牛乳の普及を図っています。濃厚牛乳を生産するためには中国の酪農家は大豆、トーモロコシを使った配合飼料を乳牛に与えなければならないからです。

 1960年頃までの日本の畜産業でも、乳牛は草や藁、糠などを餌とし、豚は残飯を食べさせながら育てていました。それらの牛が出す牛乳は牛の体力に応じた自然体の蛋白濃度であったと考えられます。しかし、当時のアメリカは自国の余剰トーモロコシなどを日本に輸出するために、これらの穀物を牛に食べさせる、いわゆる濃厚飼料による飼育方法を日本に普及させたのです。これをきっかけにして日本にも配合飼料メーカーが生まれ、輸入トーモロコシや脱脂大豆が牛や豚、鶏の飼料として消費されるようになったのです。このように穀物を原料とした配合飼料で育てられた牛の乳は草で育てられた牛乳に比べて蛋白質含量が高く、また豚の成育においてもその生育期間が短く、農家にとっても効率的で魅力ある飼育方法となったようです。乳製品の加工メーカーも高タンパクの牛乳を原料とするようになり、わが国の畜産業はアメリカの大豆、トーモロコシに頼る図式に塗り替えられていきました。こうしてわが国は、まさにアメリカの農民たちが目指した理想の姿になっていったのです。しかし、このことによってわが国の食糧自給率は1970年には60%まで落ち込んでしまいました。さらにアメリカの農業団体は1980年代になると、グローバル化を旗印にわが国に乳製品、畜肉製品を売り込み始めました。飼料原料の売込みにとどまらず安い畜産製品まで持ち込んできたため、苦境に立った日本の酪農家は経営規模の拡大で対応せざるを得なくなり、ますますアメリカの飼料穀物に頼っていかざるを得なくなったのでした。

 中国の畜産業も最近までは、かつての日本と同じような牧歌的な姿が中心でした。しかし、このような姿は、穀物の大量処理を目指している穀物メジャーにとって望ましい姿からはかけ離れています。そこで彼らが始めたのが前出の濃厚牛乳キャンペーンです。学校給食は穀物飼料で生産される濃厚牛乳へと急速に切り替わっていきました。これに対応できるのは穀物を原料とした配合飼料で飼育した乳牛だけです。そのため、たとえ牛乳の品不足が起きても、草を食べて育った乳牛ではメーカーの受け入れ規格に合格しなくなりました。そんな状況の中で想像を絶したルール違反であるメラミンの混入という犯行が行われたのです。メラミンは合成樹脂などの原料に使われる化学原料で、尿素から作られるために窒素原子を多く含んでいます。一方、現在の食品蛋白質の定量方法は、食品中の窒素量を測定して、その窒素量から蛋白量を換算しているのです。窒素を多量に含んだメラミンを牛乳の中に少量混ぜておけば、乳蛋白と一緒に測定されて蛋白質含量として計算されてしまうのです。少し余分にメラミンを混ぜておくと多少水を入れても高蛋白牛乳と計算してくれます。犯人はこのからくりを逆手に取って犯行に及んだのです。人の命を危険にさらして金儲けをしようという悪質極まりない犯罪です。今までも乳製品の不足という事態は世界で何回も起きていましたが、今回のような悪質な方法は一度も起きたことはありません。おそらくあの世から眺めていた孔子も孟子も自国の民の振る舞いに大いに失望していることでしょう。数年前には飼料中の蛋白質含有量を高めようとして肉骨粉を混ぜてBSEという牛の病気を招き世界を恐怖に陥れたこともありました。今回の犯行は肉骨粉事件を上回る確信犯ということが出来るでしょう。

 しかし、このような騒ぎの背景には今まで話してきたような、中国の畜産業の大きな変化が潜んでいることを我々は知っておく必要があります。そのことは中国が、海外原料に依存していった40年前のわが国の畜産業の姿に近づきつつあるということも出来ます。中国の港に穀物加工工場を林立させている国際穀物メジャーは、中国がアメリカ穀物の消費市場となっていくことを狙っているのです。それは中国がWTOに加盟したときからの戦略目標だったことでしょう。彼らは、日本で成功した穀物の売り込み方法を中国でも再現しようとしているのです。中国では既に配合飼料原料として利用するために、わが国の8倍にあたる3千万トンを越える大豆を毎年買い込んでいます。この量は自国の大豆生産量の1千7百万トンの2倍に相当しています。近いうちにトーモロコシも輸入に頼るようになると考えられています。

 しかし、一方では世界の穀物生産量はすでに限界に近づいているといわれています。近づきつつある穀物生産量の限界と新たに開きつつある穀物の巨大消費市場、こうして世界の穀物需給は逼迫して穀物価格はさらに跳ね上がっていくことになるでしょう。既に世界のいたるところで起こっているように、これからも食糧が買えない国が増え続けていくことでしょう。そしてそれは、食糧自給率の低い国が農産物輸出国に支配されるという時代に向かうことをも意味しています。これからは食糧、エネルギー、資源を持つ国と持たざる国との間に格差が生じていくことでしょう。

 わが国の畜産業はすでに穀物価格の高騰で壊滅的状況に追い込まれています。今やそれぞれの国がこれからの自国の食糧事情を正面から捉えなおす時期にきているのではないでしょうか。今回のメラミン事件はこのような大きな流れの中で起こった一つの事件と見ることも出来ます。


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