亭主の寸話 K『世界の食糧事情と遺伝子組み換え作物』


 いま、わが国の食について国民の間に底知れぬ不安が広がっています。その一つは中国から輸入した冷凍餃子に農薬が混入していた事件から、私たちの食の安全性に対して無防備であったことが白日の下にさらされたことです。18年度でみると、輸入冷凍食品の中に占める中国産の割合は64%あり、いかに私たちの食べ物の中に中国からの加工食品が多く含まれ、学校給食に至るまで広く浸透しているか、などが次々と明らかになってきました。もう一つの不安は相次ぐ食料品の値上げです。先月もお話したように現在、地球規模で食糧不足が起こっています。世界の主な穀物は米・小麦・トーモロコシと大豆ですが、この4品目で全食糧生産量の半分を占めています。現在、この穀物の需要量に生産量が追いつかず昨年来高騰が続いているのです。昨日も4月から国内の小麦価格が30%も値上がりすることが報道され、否応なく目の前に迫っている食糧危機を意識せざるを得ません。国連の予測では世界の人口は2030年には現在の63億人から80億人に拡大するとされています。これに反して地球上の耕地面積は、水不足・温暖化・塩害化などにより耕地の減少が進んでおり、全世界の人口1人あたりの穀物生産量は1984年の334kgをピークとして減少が続いており、現在は309kgとなっているのです。これがさらに人口増加と砂漠化が毎年進行すれば、地球はさらに飢餓に向かって進むことになります。そして、現在新たな穀物需要として、大豆・トーモロコシ・砂糖キビ・なたね・パーム油などからバイオ燃料を作る動きが急速に拡大しています。食糧だけでも不足しつつあるなかで、食糧で燃料を作ろうというのですから世界の食糧不足はさらに厳しさを増すことでしょう。このことが相次ぐ食品の値上げとなっているのです。これからの時代は限られた農地と水を使って、如何に効率的に作物を生産するかというところに焦点が絞られてきます。今日は直面する食糧危機の中で遺伝子組み換え作物がどう捉えられているのかについてお話したいと思います。

 昨年の年末にアメリカの農業関係者が日本に来て、アメリカ農業の現状と今後の見通しについての話し合いがありました。アメリカではバイオ燃料に備えてトーモロコシと大豆に対して目いっぱいの増産をしようとしています。これは国の方針であり、農家の収益にもつながることです。そのために農家はコストが安く収率のよい遺伝子組み換え作物を栽培したがっています。アメリカで生産されている大豆の90%は遺伝子組み換え大豆なのです。日本人が欲しがる非組み換え大豆はほんの10%に過ぎませんが、それを生産するには、大豆収率の低下、農薬費用の増大、穀物サイロの区別、輸送機関の区別など新たな費用が発生します。今までも日本はそれらの費用を負担して高い大豆を買っていたのですが、バイオ燃料による需要の逼迫からこれら上乗せ費用を大きくしてくれないと非組み換え作物を作らない、と通告してきました。これからは世界の流れに反して遺伝子組み換えしていない作物を追い続けると、わが国の食糧はどんどん高価になってゆくのかもしれません。

 ところで、遺伝子組み換え作物を食べるとどんな病気になるのでしたでしょうか。遺伝子をいじってある食べ物だからなんとなく怖い、というところでしょうか。現在、地球上15億ヘクタールの耕作地のうち1億ヘクタールを越える土地に遺伝子組み換え作物が栽培されています。大豆で言えば、世界の大豆生産量の約60%が既に遺伝子組み換え大豆になっています。この1.2億トンの遺伝子組み換え大豆が直接的、間接的に私たちの口に入っているのです。日本にも年間400万トンを越える大豆が輸入されていますが、そのほとんどは遺伝子組み換え大豆です。さらに輸入している配合飼料用大豆粕を大豆換算して加えると640万トンにもなります。そして全世界がこれら遺伝子組み換え作物による健康被害に対して固唾を呑んで見守っているのです。人が遺伝子組み換え作物を食べ初めてすでに10年が過ぎています。しかし現時点で世界のどこからも遺伝子組み換え作物による健康被害の報告は出てきていません。10年では判断するのに短すぎる、という声もあるでしょう。何年見るといいのでしょうか。

 かつてヨーロッパでは新しく導入されたジャガイモを、土の中で育つ作物ということから“悪魔の作物”と恐れ忌避していました。しかし、厳しい食糧不足の中で仕方なく食べてみてはじめてすばらしい食材であることを認めたのです。いまではヨーロッパの食卓を支える中心的な作物になっています。私は遺伝子組み換え作物にこのジャガイモの誕生が重なって見えてきます。私たちの身の回りにはすでに多くの遺伝子組み換え技術が応用されており、私たちは既にその恩恵に浴しているのです。味噌、醤油、酒などを作る酵母や麹菌の改良には遺伝子組み換え技術が幅広く応用されています。医薬品の開発にも遺伝子組み換え技術は欠かすことが出来ません。アメリカの消費者は心臓病に影響を与えるトランス脂肪酸を減らした大豆油を求めるため、遺伝子組み換えで作ったハイオレ大豆を、健康に良い大豆として選択しています。アレルギーやビタミンA欠乏症を防ぐコメの開発も遺伝子組み換え技術を使って開発が進められています。穀物の増産にも遺伝子組み換え技術は不可欠でしょう。すでに従来の大豆に比べて生産量が1割以上増産できる新しい大豆が遺伝子組み換え技術を使って出来上がり、日本を含む各国の承認を得ております。世界はすでに厳しい食糧危機に面しており、遺伝子組み換え技術によってこの危機を乗り切ろうとしているのです。そのような中でわが国の消費者は、今後も組み替えなしの作物にこだわり、高い費用を支払って特別仕様の穀物を買い続けるのでしょうか。

 私たちはすでに遺伝子組み換え技術なしでは充分な食品が得られない状態にあります。しかしそのような実態を正しく理解することは、知識が不十分な消費者には困難だったのかもしれません。そもそも、遺伝子組み換え作物を毒物のようなイメージを与えてマーケティングに活用したのはキリンビール社でした。厳しいビール業界の拡販競争の中でキリンビールが思いついたのが、「わが社は遺伝子組み換えトーモロコシを使っていません」というキャッチコピーでした。キリンビール社は植物の育種事業も盛んに行っているので、遺伝子組み換え作物が健康に被害を及ぼさないことは知っていました。しかし、消費者の疑心暗鬼な心理状態を巧みに利用して、売り上げに結び付けようとしたのでした。食品業界のトップ企業がこうしたマーケット操作をしたために、直ちにいろいろな企業が真似を始めました。たちまち食品マーケットの中では遺伝子組み換え作物が、あたかも毒のある食べ物であるかのようなイメージを持ってしまったのです。キリンビールにとって、結果的に遺伝子組み換えトーモロコシを悪者扱いにすることによって利益があがったのでしょうか。多くの企業が追随することによって、効果は薄められたのかもしれません。しかし、現在は、これらのたくらみが裏目に出ようとしています。バイオエタノールの需要拡大によってトーモロコシが逼迫し、価格が高騰しているところにきて、非組み換えトーモロコシに対する上乗せ価格が大きく跳ね上がっているためです。キリンビールをはじめ、今まで遺伝子組み換え原料を悪者にして商売をしていた各社は、それでも非遺伝子組み換え原料を買い続けるのでしょうか?それとも、いつのまにかこっそり、ちゃっかり、原料を切り替えるのでしょうか。あるいは原料価格の余分な上乗せ分を消費者に、そっくり転化してしまうのでしょうか。彼らのこれからの行動を注視していきたい。


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