亭主の寸話 I『食は命と大地をつなぐ架け橋』


 あなたの昨日食べた食べ物の量を思い出してみてください。朝食、昼食、夕食、それに間食やお酒のおつまみなどを全部合わせてどのくらいの量になるでしょうか。その量と、今日一日で体から出した量を比べてみてください。出したものは、大便と小便と汗、それに息の中の炭酸ガスと水分です。食べた量に対して出した量が多いですか、少ないですか、それとも同じ量でしたか。おそらく食べた量に対して出した量が相当少ないはずです。私たちは食べた食べ物で運動するエネルギーや体温を保つ熱を作り出しているからです。では、残りは食べたものがそのまま便などに出てきているのですか。実は、体の中で大変大きな作業が行われているのです。私たちの体は古くなった組織を絶えず新しい組織に入れ替えているのです。飲みすぎて胃が荒たり、肝臓の働きが一時的に悪くなっても数日で元通りに回復しているのは、傷ついた組織を新しい組織に入れ替えてくれているお蔭なのです。私たちの体の組織は、心臓と脳の神経細胞を除いてすべて新陳代謝をしているのです。新しく補充される組織は食べ物から作られ、古くなった組織は便として体から排出されているのです。私たちの食べた朝食、昼食、夕食は明日の自分になっているのです。体の組織によって新陳代謝の速さは違ってきますが、血液や免疫細胞のように生命に直接携わっているような組織の新陳代謝は早く、爪や髪の毛のなどは比較的ゆっくりと入れ替わっていきます。それでも、10ヶ月もすれば今のあなたはすっかり別の組織で出来上がっていることになります。去年の自分は今の自分ではないのです。

 魚を多く食べる人の組織には魚の蛋白質が自分の体になっています。牛肉の好きな人の組織は牛の蛋白質が体に入っています。私たちの体は食べ物以外からは栄養として取り入れていないからです。でもこれらの蛋白質を人の体に再活用する時には一度分解されて、アミノ酸レベルで取捨選択されて私たちの血となり肉となっているのです。だから、蕎麦の好きな人の体は、そばの蛋白質でできているかといえば、そこは少し違うんです。私たち人の体に必要な蛋白質と他の動物や植物に必要な蛋白質には、蛋白質を構成しているアミノ酸の種類が少し違うからです。そこで、人の体に必要なアミノ酸を多く持っている蛋白質であるかどうかを調べたのが「プロテインスコア」といわれているものです。このプロテインスコアが100の食品は、それを食べるとその蛋白質はすべて体に利用できるものばかりであったといえます。プロテインスコアが10のものは、その蛋白質をたくさん食べても利用できる蛋白質はその中の1割しかありません。身近な食べ物のプロテインスコアをここに掲げてみました。


プロテインスコア100に換算したときの
蛋白質10gの摂取に必要な食品量
食品名 PS 含量
(g)
必要量
(g)
大豆 56 34.3 52
鶏肉 87 21 55
アジ 89 20 56
牛肉 80 19.3 65
100 12.7 79
豚肉 90 13.4 83
そば 85 3.3 357
牛乳 74 2.9 466
米飯 73 6.2 652


 これは、それぞれの食べ物の蛋白質の有効性(プロテインスコア=PS)と、その含量、そして体に必要な蛋白質を10g摂るためにはどれだけ食べればいいかが示されています。これを見ると、私たちが想像していたのと少し違っているのではないでしょうか。大豆は52g食べれば体に必要な蛋白質を10g取り入れることが出来ますが、牛肉では65g食べなければなりません。大豆は人にとって必要な蛋白質を最も効率的に供給してくれる食べ物なのです。栄養学の本にはよく「大豆は良質の蛋白質を含み」と表現されていますが、この「良質」とはプロテインスコアが高いことを指していたのです。また、大豆は「畑の肉」とも表現されています。しかし、このプロテインスコアを見れば、大豆は牛肉を完全に抜いているほどです。

 体に必要な栄養は蛋白質だけではありません。脂肪も澱粉も、そしてその他の微量成分も、私たちはすべて食べ物から取り入れています。では、これらの成分はどこから来るのでしょう。牛肉の成分はどこから来ているか、当然のこととして牛が食べている草や穀物から来ているのです。草や穀物の中の蛋白質を取捨選択して牛の蛋白質に置き換えているのです。私たちは牛を通して植物の蛋白質を利用していることになります。

 あなたは、植物と動物とはどう区別しますか、と聞かれたらどう答えますか。動くものと固定しているものともいえますが、厳密に答えるとなると少しばかり自信がなくなってしまうのです。一応、専門家の間では次のように定義をしているようです。それは、植物は光合成活動をして有機物を自分で合成できますが、動物は他の生物を食べて栄養としている、というものです。この物差しで生物界を眺めると、これは動物に属しているのか、それとも植物なのかが判別できます。動物は自分で栄養を作ることができず、植物が作ってくれた栄養を横取りして生きているのです。動物とは原始の昔に、葉緑体を失った植物を起源として分かれてきたのではないか、という意見もあるほどです。だから動物は植物が作る光合成の生産物に頼らなければ生きていけない、という関係がその後も続いているのです。このような動物起源説が妥当であるかどうかは別にして、我々動物たちは植物が作ってくれた有機物を食べさせてもらって生きていることは確かです。動物は自分の体の中で必要な有機物に組み替えることは出来ますが、有機物を自ら作るということは出来ないのです。

 では、植物は光合成で作る蛋白質の素材はどこから持ってきているのでしょうか?それは土壌、つまり地球の大地なのです。大地から植物は無機物として吸収し、光合成の働きなどによって蛋白質や脂肪などの有機物を作り出しているのです。世界的な活動を進めている栄養学者の家森幸男先生は、世界各地の民族の栄養と健康状態を調査して回っていますが、長年の勘で調査地域を飛行機で空中から見ることから始めるそうです。石灰質の白い土壌で育った穀物や野菜の中にはカルシウムなどのミネラルが多く含まれているからです。つまり、私たち人の体は食べた食べ物に影響されていますが、その食べ物は育った土壌に影響されているのです。ミネラルの豊富な土壌で育った草や穀物には有効なミネラルが多く含まれていますが、同じ土壌で毎年穀物を栽培し続けていると、その土壌の中のミネラルは少なくなってしまいます。逆に有毒物質を含んでいる土壌に生育した作物にはそれらが吸収されていることになります。ここが、農業は土作りから、といわれるところなのです。土作りとは、作物が吸収して不足したミネラルを堆肥などの有機物を土壌に補給して絶えず一定に保っておくことでしょう。しかし、アメリカ、ブラジル、オーストラリアなど大量に世界に穀物を輸出している大規模農業では、化学肥料の力で穀物を生育させているだけであり、ビジネスとしては成り立っているかもしれませんが、体を作る栄養分としては不十分であるかもしれません。蛋白質や油脂などを作っている素材は、なにも、窒素・燐酸・カリだけではなく、鉄分も亜鉛もマグネシウムなど大地が持っているすべての成分が必要なのです。つまり、私たち生物は大地とつながって生きているのです。そして死ぬと大地に戻り、体のミネラルは大地に戻されるのです。私たちの体をめぐっている血液も海水の成分に近い組成で出来ているといわれており、海水の成分は地球の成分に基づいているのです。ここに有機栽培農業の本質があります。

 そんな目で見渡すと、日ごろのミネラル分の偏りを手軽に調整してくれるのは、海のミネラルを吸収している海藻類であるのかもしれません。日本は回りに海があり、豊富な海草が得られます。海草を上手に食事に取り入れながら偏りがちな栄養のバランスをとることもひとつの知恵かも知れません。

 私たちにとって、自分の命は何にも代えがたい大切なものであるはずです。また、家族や子供たちの命も同じように大切なものと考えているはずです。この金にも換えがたい大切な命を支えている食材をないがしろに考えることは出来ないでしょう。大量生産して安い価格で店頭に並んでいるものには安く生産できる仕組みがあるのです。野菜も穀物も微量成分なしで生育させることは出来ます。主要な成分を入れておけば水耕栽培で、土壌なしでも野菜は作れます。しかし、そのようなものに自分の命をゆだねようと思いますか。

 私たちの命は食によって支えられているのです。そして、食の向こうには土壌があることを忘れないでもらいたいのです。私たちの体は地球の大きな支配の中に存在しているのです。あるいはさらに広く、気圧、太陽・月など大気に強く影響を受けているとも言われています。

 スーパーの目玉商品を追い求めることも否定しませんが、自分の命の支えである食材にお金を節約して、それ以上の価値あるものが他にあるのでしょうか。ここが近代農業の弱点でもあり、消費社会の中で私たちが見失っていた食の基本であるのかもしれません。私たちの命は食を通じて大地としっかりつながっていることを忘れないでいてもらいたいのです。


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