古事記にまつわる阿波の神社 

 7、伊邪那美(いざなみ)神社

  

 伊佐奈岐(いざなぎ)神社が各地に祀られているのに比べて伊邪奈美神社が見当たらないのはどうしたことか。徳島にあるこの神社が唯一だとのことである。それは伊邪奈美命が最後に黄泉の国に逃げ込んで、夫である伊佐奈岐命と喧嘩別れをしたからだろうか。伊佐奈岐命は黄泉の国に伊邪奈美命を探しに行き、そこで約束を破って醜い伊邪奈美命の姿を見てしまう。伊佐奈岐命はその姿に驚いて黄泉の国から逃げ帰ってくる。怒って追いかけてくる伊邪奈美命と最後にヨモツヒラ坂の千引岩(ちびきのいわ)をはさんでこんな会話をする。伊邪奈美命が、これからは「あなたの国の人間を毎日千人殺す」と言ったのに対して伊佐奈岐命が「そんならわが国では毎日千五百人の子供を産むことにする」と、それ以降毎日1,000人が死に1,500人産まれるようになったとしている。この「ヨモツヒラ坂は、出雲国の伊賦夜坂(いうやさか)とも言う」と書かれている。

 つまり、伊邪奈美命は黄泉の国からこの世に帰ってきていないことになっているのだ。でも誰でも死ぬと黄泉の国に行くのであれば伊邪奈美命の祠がこの世にないことの理由にはならない。ではなぜ伊邪奈美神社が徳島県にあるのか、興味が尽きない。インターネットで検索しても伊邪奈美神社は徳島県以外では見当たらない。唯一天の香具山の登り口に小さな祠があり、伊邪奈美神社と命名してあるようだが添付写真からはどう見ても神社という代物ではない。

 伊邪奈美神社は徳島県美馬郡にあったとして「三代実録」に「貞観11年(869年)阿波国正六位上伊射奈美神従五位」と記録に残っている。しかし、その神社が現在のこの伊邪奈美神社であるかどうかは確かではないようだ。でも現にここ美馬市穴吹町舞中島に伊邪奈美神社が実在しているのでそれ以上は目をつむることにしておきたい。ここに伊邪奈美神社があることによって夫であった伊佐奈岐命の眠る幽宮が近くの淡路島にあり、二人共同で作業した国生みの仕事場が淡路島の一角にある沼島であることを思えばすべてが狭い範囲での物語であり、より自然さを感じさせる。

 ところで伊邪奈美命は一体何人の神様や国土を生んだことになるのだろうか。古事記によると伊邪奈美命が死ぬ前に生んだのは14島と35神である。ここまでは伊佐奈岐命との二人で生んだ島と神であり、現代の生命科学の表現を使うならば有性生殖とでも言えるところであろう。ところが伊邪奈美命が黄泉の国に行ってしまった後で伊佐奈岐命ひとりで生んだ神様は27柱あり、これはクローンとでもいうか一種の細胞分裂による神の誕生である。いや、伊佐奈岐命の付けていた帯や衣を投げると神様が次々に生まれているのだから細胞分裂とは言えない。現代の科学が到達できていない神秘な現象と表現した方が妥当なのだろう。こうして伊佐奈岐命と伊邪奈美命の二人は合わせて14島と62神を生んだことになる。まさに国の始まりを形造った創成期の神様ということが出来る。

伊邪奈美命は最後から2番目に阿波の神である大宣都比売神(おおげつひめのかみ)を生み、次に火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)という火の神を生んでやけどをして死んでしまうことになる。古事記によると伊邪奈美命は死んで『出雲国と伯伎国(ははきのくに)との堺、比婆之山(ひばのやま)に葬られている』とされている。どう見ても古事記に書かれている場所は阿波とは思えないが伊邪奈美神社は出雲にはなくて阿波に古くから祀られていたとはどういうことだろう。その他の神社などを見ても、古代の阿波人は古事記の世界に親しみと強い好奇心があったとしか思いようがない。何故か?阿波の神社を巡りながらその答えを探してみたいと思っている。

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