古事記にまつわる阿波の神社 

 5、大麻比古(おおあさひこ)神社

 鳴門にある美術館を楽しんだ後でこの神社に車を走らせた。ちょうど四国88ヶ所の1番札所で有名な霊山寺の奥の方に位置しており、標高538mの大麻山の麓に祀られている。神社の入り口の赤い大鳥居をくぐると松並木と灯篭が両側に並んでいて落ち着いた雰囲気が漂っている。しかし、この荘厳な参道が延々1kmほど続くのにまず驚く。やっと本殿にたどり着くと、そこには樹齢1000年といわれているクスノキの大木が待ち受けている。これがこの神社の御神木である。

 大麻比古神社のご祭神は大麻比古神と猿田彦大神とされている。猿田彦大神は伊勢神宮の裏手に祭られている有名な神様であるが、大麻比古神はあまり聞かない。社歴によると神武天皇の御代に天太玉命の孫にあたる天富命が勅命を受けて、肥沃の地を求めて阿波の国に到り、麻楮の種を播種し、麻布木綿を製して殖産興業の基を開いた、とされている。つまり、忌部一族の先祖の神である。安房国下立松原神社に伝わる忌部氏系図では、大麻比古神は天日鷲命の子で、またの名は津咋見命(つくいみのみこと)であるとしている。

 この天津神(あまつかみ)一族に属する天太玉命の子孫の神と、国津神(くにつかみ)族である猿田彦大神を一緒に祀っているのだ。忌部一族についてはすでに前回に書いているので、ここでは猿田彦大神について簡単に触れておきたい。

  猿田彦神は古事記にも興味深く書かれている。まず、神様で顔かたちを細かく描写しているのは猿田彦だけである。それによると鼻長7咫で、目は八咫鏡のように光っていて、照り輝く姿はホオズキのように照り輝いていた、とある。さしずめ身長2.1m、鼻の長さ1.5mとでも言うことか。いずれにしても皆から奇異の目で見られていたことが想像されます。この猿田彦をモデルにしたのが天狗の姿で、わが町でも今丁度商店街で天狗祭りが行われているが、その異常に長い鼻と赤い顔には子供たちも後ずさりしてしまう。

 猿田彦神はニニギノミコトの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まっている。いまでは猿田彦神宮は伊勢神宮内宮の近くにあり、その宮司は猿田彦神の直系と称している。この猿田彦神は天宇受売神(あめのうずめのみこと)と結婚したとされている。天宇受売神とは天岩戸の前で裸同然の姿でセクシーに踊って並み居る神々を喜ばせた芸能の神様とされています。さすがの猿田彦神も彼女には悩殺されたようである。

 このように猿田彦神は色香に弱く人間臭いところが人気の元か、その後もいろいろな形で大衆の中に溶け込んでいる。先に述べた天狗の姿も現代に生き続けているし、道祖神として道端で民衆に親しまれているのもこの神様である。また、庚申信仰にも溶け込んでいるとされている。いずれにしても民衆に親しまれやすく庶民的で身近な神様となっている。

 

  この大麻比古神社は阿波の4つの一ノ宮神社のひとつである。ここは南北朝時代にはすでに立派な社格の神社として祀られていたようで、守護職であった細川氏の城にも近かったことから、敵対勢力であった一宮氏が世襲していた一宮神宮に代わる新たな阿波国一ノ宮としての地位を獲得したとされている。明治6年には正1位国幣中社に列せられている。大麻比古神社は、県内では昔から「お麻はん」として親しまれ、県内の遠くからも多くの参拝者が訪れており、今も県民の心の古里となっている。


  いずれにしてもどのようにして異色の天津神と国津神の組み合わせが生まれ、一緒に祀られるようになったのかはわからないが、忌部の先祖神を大衆に人気のある猿田彦神と組み合わせたことが根強い「お麻はん」人気につながったのではないだろうか。そんなことを考えながら神社を後にした。

「古事記と阿波の神社」の目次に戻る