古事記にまつわる阿波の神社 

 

 26、お地神さん

   郷里徳島の老母を介護しながら、その間のわずかな暇を利用して廻りはじめた「古事記にまつわる阿波の神社巡り」も母の他界で幕を閉じることになった。結局県内に祀られている25神社を巡ったことになったが、これらの神社を訪ねながらも絶えず心の中をよぎっていたのは、古代の阿波人の神に対する強い思いであった。古事記には大勢の神々が登場する。古代の人たちも神社を祀るとき、そこには地域ゆかりの神様をまつるか、自分たちを守ってくれる大いなる力を持った神を祀ったことであろう。だから天照大神や大国主命など古事記の主役を占める神々を祀る神社は全国どこにでも見られている。勿論これらの神社も徳島には多い。しかし、阿波の国にはそれだけでは理解できない神様も祀られている。例えば淤騰夜末(おどやま)神社を祀っているのは徳島県ぐらいではないだろうか。この神社のご祭神であるオドヤマツミノ神に対し古代の阿波人はどのような思い入れがあったのだろうか。はたしてこの神様に何を託そうとしていたのかと考え込んでしまったほどだ。この神様が古事記に登場するのは、イザナミノ神が火の神であるカグツチノ神を生んで焼け死んでしまう場面である。哀しみのあまりイザナギノ神はカグツチノ神の首を切ってしまうと、死んだカグツチノ神の体からいろいろな神が生まれてくるが、胸から出てきたのがオドヤマツミノ神である。古事記にはオドヤマツミノ神が生まれたことを一言触れただけでその後にこの神様が登場することはない。はたして古代の阿波人はこの神様に何を感じ、何を祈ったのだろうか。

 

徳島県内には「お地神さん」という祠とそれを祀る祭礼があり、それは県内一円に広がっている。地神さんの祠は県内津々浦々に点在して、その数2,000社を超えるといわれている。まさに11社である。我が郷里の近所にある鎮守の森の一角にも鎮座している。どうやらこの祭礼は徳島県だけのもののようである。いつの時代からこのような地神さんが祭られるようになったのかについては定かではないが、一説には徳川時代の半ば頃に阿波藩主からの指示で始まったとも言われている。この祠は農業を守る神様とされているが、特徴的なのは拝石が5角形をしており、そこに5柱の神様の名前が刻まれていることである。どの祠も積み石で築かれた上に四角形の台石が乗り、さらに五角形の石座が積み重ねられ、その上に五角形の地神塔が乗せられている。この五角形の拝石が「地神さん」の特徴である。写真を見てもらえばわかり易いが、上部の拝石が五角形をしており、それぞれの面に1柱ずつ神様の名前が刻まれている。その5柱の神様の順番は皆同じで、正面の天照大神から順に大己貴神(おおなむちのかみ=大国主神)、少彦名神(すくなびこなのかみ)、埴安媛神(はにやすひめがみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)の順番で並んでいる。最初の3柱の神様は神代の時代に国を作ったとされる神様であり誰にもなじみの深い神様たちであるが、あとの2柱の神様はあまりなじみがないのではないだろうか。

 

 古事記によるとハニヤスビメ神とは、イザナミノ神が神々をこの世に生んでいくときに生まれた「糞の神様」なのだ。この神様は兄のハニヤスビコノ神と兄妹としてこの世に現れるが、それ以降この神様について古事記では一切触れられていない。

 もう一柱のウカノミタマノ神とは、スサノオノ命が妻クシナダヒメとは別の妻であるカムオオイチヒメとの間に生まれた神様であるが、どんな神様であったかについて古事記は一言も書かれていない。一体、古事記に書かれる以前の時代にはこれらの神様はどのように崇められていたのか、今となっては知るすべもない。徳島の地神さんではハニヤスビメ神は糞の神様ではなく土の神とされており、ウカノミタマノ神は食物の神様とされている。そして天照大神などとともに農業を守る神様とされているのである。

 

 古事記では、阿波の国を作ったオオゲツヒメノ神が穀物を生んだ神様とされている。オオゲツヒメノ神はスサノオノ命に殺されたときに体から稲、粟、小豆、麦、大豆、蚕を生み、これをカミムスヒノ神が取り上げて種子として育て、そこから穀物栽培と養蚕が始まった、とされている。まさに農業の神様そのものである。古代の阿波の人たちにとってオオゲツヒメノ神は自分たちが住む阿波を生んだ神様であり、最も身近に感じていた神様であったはずだ。それにも拘わらず食べ物の神様としては中心的なオオゲツヒメノ神を祀らずにウカノミタマノ神という、古事記の記述では端役とでもいうべき神様を食物の神様として祀ろうと決めたのは、一体どんな思いからだったのだろうか。強いて理由を探すとなると、ウカノミタマノ神は野山の神様であるオオヤマツミノ神の孫神であるところから豊かな山の獲物、木の実などを守ってくれる神様との思い入れがあったのだろうか。これは私の勝手なこじつけであるが、それ以外には思い当たるものがない。

 また古事記にはイザナギ、イザナミノ神が「土の神様」としてイワツチビコノ神や野椎神(ぬづちのかみ)を生んだと書かれている。これらの神様を取り上げずに糞の神様と古事記に書かれているハニヤスビメ神を「土の神」として祀ったのにはどんな思いがあったのだろうか、昔の阿波人の思考に辿り着くことが出来ない。

 

  地神さんの祭は春分、秋分に近い戊(つちのえ)の日に行われるのが習わしとなっている。この日は野良仕事も休み皆で地神さんの周りに集まって祝うことになっている。この日に農作業をすると地神さんの頭に鍬を打ち込むことになると言ってすべての農家が農作業を休んだ。子供たちとってもこの日は「おじじんさん」と呼んで楽しい年中行事のひとつでもあった。わが郷里の近所にある「地神さん」は八幡神社の一の鳥居と二の鳥居の中間に祀られており、八幡神社の秋祭りでは二つの鳥居の間、約200mを往復する「だんじり」は地神さんの前で止まってお囃子を奉納していたのを思い出す。普段はひっそりしている神社の森もこの日ばかりは夜遅くまで屋台が出てにぎやかである。この祭りは今もささやかに続いている。

 

 私は、この地神さんは古事記に登場している神様を5柱揃えて農業を守ってもらおうとした阿波人特有の祈りであり、古事記の神々に対する親近感の表れではなかっただろうかと思っている。「古事記にまつわる阿波の神社巡り」で県内の神社を廻っているときに感じた古代阿波人の古事記の神々に対する思い入れが、この地神さんに集約して現われているように感じたので、このシリーズを終わるにあたって取り上げてみました。


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