古事記にまつわる阿波の神社 

 

24、和田都美(わだつみ)神社

  

 阿波の国は古事記ではオオゲツヒメが治めた「粟の国」として登場してくるが、その後吉野川流域を中心とした「粟(あわ)の国」と、県南の那賀川流域を中心とする「長(なが)の国」に分かれる。平安時代に書かれたとされる「先代旧事本紀」によると粟国造(あわのくにのみやつこ)と長国造(ながのくにのみやつこ)の2つの支配領域があったとされている。私は今までにオオゲツヒメが治めたとされる粟国ゆかりの神社を数多く参拝してきたが、今回はいにしえの長国につながっていると思われる「和田都美神社」を訪ねることとした。

 


和田都美神社とはもちろん古事記に出てくる天孫ニニギノミコトの息子、山幸彦が兄の海幸彦の釣り針を探しに出掛けた「綿津見神の宮」を祀った神社ということになる。大綿津見神はイザナギノミコトとイザナミノミコトが国産みの後で神々を産み始めた最初の頃に生まれた神様であり、後になって山幸彦に霊力のある
2つの玉を与えて助け、そのことによって山幸彦の孫であるカムヤマトイワレビコが初代天皇である神武天皇になるという大切な働きをしたことになる。つまり、綿津見神は山幸彦に力を与え、天皇家誕生に力を与えた海の神様ということになる。この綿津見神の働きの場面で古事記上巻である「神代の巻」は終了となり、このあと古事記は歴代天皇について書かれた中巻へと移っていくことになる。

 

 和田都美神社は那賀川に沿って上流へさかのぼった那賀町に祀られている。そしてこの那賀町は、いにしえの長国の中心地だったのではないかと想像している。そもそも那賀川の名前は「長の国」から来ているのではないか、とも言われている。つまり那賀川の流域、那賀町は「長の国」の最も重要な土地だったのではないかと考えられるのだ。そしてこの那賀川が海に出る河口には、私が9番目に訪れた「淡島神社」が存在し、21番に訪れた「蛭子神社」が集中的に祀られている阿南市なのである。やはりこの那賀川流域は吉野川流域と並んで神代の時代の香りが色濃く漂う神秘的な地域のように感じられる。

 

 和田都美神社は那賀川の流れが響き渡る、そそり立った河畔に祀られており那賀川を通じて海と繋がっていることを実感させられる。神社は木立に囲まれているが、川の流れが境内にこだましているほどだ。

そもそも山幸彦が尋ねていった「綿津見神の宮」とはどんなところだったのだろうか。古事記にはこんなふうに書かれている。

 山幸彦が釣り針を探して海辺でしょんぼりしていると、シオツチノ神が小船を作ってくれ、それに山幸彦を乗せて「私がこの船を押し出すと舟はしばらく進んでからいい潮の流れに乗るであろう。そして舟は自然に魚のうろこで作ったような宮殿に到着する。そこが「綿津見神の宮」だ。その門のそばにある木に登っておれば綿津見神の娘、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)が見つけて相談に乗ってくれるだろう。」と言って舟を押し出した。山幸彦はそこで豊玉毘売命と結婚して3年の月日を過ごした後に釣り針を見つけて帰ってくる。つまり綿津見神は海の神であり、その海につながる那賀川の流域に祀られているということで、なんとなくこの神社の場所については納得することが出来る気がする。

 

 もちろん、このように天皇家誕生につながる大切な神様だけに、全国的に同じような綿津見神を祀った神社は多いだろうことは想像できる。現に阿波の国だけでもこの神社の他に2社ほど見つけることができる。しかし私は古事記の表現から「綿津見神の宮」を黒潮が流れる太平洋側の海を想像してしまう。そして太平洋に流れ込む那賀川の上流、那賀町の「和田都美神社」を物語りにつながる神社にふさわしいと思いながら尋ねてきた。

 

 古事記では、山幸彦の妻となった豊玉毘売命が身ごもり出産するときに、豊玉毘売命から出産するところを見ないでくれ、と懇願される。しかし山幸彦は怪訝に思って産殿を覗くと、そこにはワニがのたうっているのが見えた、となっている。つまり現代風に解釈すると、神武天皇の祖母はワニだったということになるのだが、どうなんでしょうね。


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