古事記にまつわる阿波の神社
23、建島女祖命神社(たつしまめおやのみことじんじゃ)
建島女祖命神社は徳島市の南方10kmほどの小松島市中田にあり、海に近いこんもりと盛り上がった小山の頂上に祭られている。近所では「たつしまはん」と昔から親しまれ、境内は子供たちにとっても格好の遊び場であったろう。石段を登るとこじんまりとした社が、訪れる人もなく静かに立っている。神社の脇にある由緒によれば883年には従5位上を賜ったと書かれており、歴代の藩主から厚く祀られていたことが記されている。
古事記によると、須佐之男命の6代子孫に当たる大国主命はもてもての神様であったようだ。そもそも稲羽の白兎を助けたのも兄弟神たちが稲羽の国の八上比売(やかみひめ)に求婚するためのお供をさせられていた途上のことだったのだが、八上比売は大国主命を見たとたんに一目ぼれをし、求婚された八十神たちではなく、荷物運びで付いてきた大国主命を結婚相手に決めてしまう。このことから大国主命は兄弟神たちから執拗な迫害を受け、ご先祖である須佐之男命の住む黄泉の国、根堅州国(ねのかたすくに)に逃げ込む。そこには須佐之男命の娘である須勢理毘売(すせりびめ)がいて、彼女も目の前に現れた大国主命に一目ぼれをしてしまう。彼女は父、須佐之男命が大国主命に課す難題を克服できるよう助言を続ける。そして最後には須佐之男命から須勢理毘売をめとって国作りをせよ、との指令を受けて黄泉の国から戻ってくる。
大国主命は稲羽の国の八上比売との結婚の約束もあり、彼女を迎えに行くが、八上比売は須勢理毘売の嫉妬を恐れて、大国主命との間に生まれた御井神(みいのかみ)を返して逃げてしまう。
大国主命は次に沼河比売(ぬなかわひめ)に結婚を申し込みに行く。しかし須勢理毘売はこれにも大いに嫉妬するので大国主命は彼女をやんわりとなだめて出掛けていく場面がある。もてもての神様も女性問題では苦労しているところがほほえましい。
でも、大国主命はそんなことではへこたれず、次に多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)との間にも子供をもうける。この多紀理毘売命との間には兄神と妹神の2柱が生まれる。この妹神の名は妹高比売命(いもたかひめのみこと)、またの名を下光比売命(したてるひめのみこと)といい、今回尋ねた建島女祖命神社のご祭神である。この神社は延喜式内社としてはわが国に唯一つしかない神社であるとされている。
大国主命はさらに次々と結婚を続けていく。次に出会う女神は神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)であり、この神様との間では事代主神(ことしろぬしのかみ)が産まれ、さらには八島牟遅能神の娘、鳥耳神との間にも子供をもうけていく。このようにして大国主命には子孫が永く続いていくことになる。
このように今回訪ねた神社のご祭神は大国主命の娘神であり、国譲りの場面に現れる事代主神や建御名方神の異母姉にあたる神様である。そしてこれら大国主命一族を祀る神社はこの地の周辺に点々と配置されているのである。この神社がある小松島市中田の山側には事代主神を祀る生夷神社があり、南の阿南市には父神である大国主命を祀る八鉾神社が祭られている。事代主神社もこの辺りにはよく見かける。そして今回訪れた神社もこれら出雲の神々を祭る神社群のひとつなのである。建御名方神社もすでに書いているように徳島市の北に存在しており、信州諏訪神社の勧請元神社となっている。
この「古事記にまつわる阿波の神社巡り」でも書いてきているように古代の阿波の国には出雲の民が多く移り住んできている。恐らく出雲が大和政権によって征服された直後に多くの民が豊かな地を求めて南下し、ここ阿波の地に生活の場を築いていったと思われる。そして、かれらが定住した阿波の土地の周辺には出雲の先祖神を祀っていったことであろう。しかし、そうした神社がその後も長く祭られ続けられたのも古代の阿波の人たちが神々を敬うという気持ちが強かったからだと想像される。それは、阿波にはすでに神様を祀ることを生業とした忌部族が住んでいて、神々を深く信仰していたことと無縁ではないだろう。
建島女祖命神社は延喜式内社としてはわが国唯一の神社であるが、このように阿波の国には出雲の地にも存在しない出雲の神を祀った神社がいくつもあることはそのことを物語っているであろう。