古事記にまつわる阿波の神社 

 2、上一ノ宮大粟神社

 阿波の神社は都会から離れていることもあって普段はひと気を感じさせない静けさの中にあり、古代からの鼓動が直接伝わってくるような雰囲気を味わうことが出来る。そんな中から私のお気に入りをいくつかご紹介します。そのトップバッターは神山町神領にある『上一宮大粟神社』です。

 阿波には古事記の神代の巻にまつわる神社が多い。ここの神社のご祭神は「大宜都比売命(おおげつひめのみこと)」です。もちろんこの神は古事記では準主役ですが、私は古事記を読み始める前からこの神様は知っていました。何故なら、この神様は私が仕事で関係していた大豆を生んだ神様とされているからです。古事記にはオオゲツヒメが死んだときに死体から大豆などが生えてきたと書かれています。民俗学者は同じような死体から穀物が生れる民話が東南アジアに点在していることから古代に東南アジアから海を渡って日本に流れ着いた民族がいたのではないかと唱えています。

ところでこのオオゲツヒメは、古事記によるとイザナギ、イザナミの神が国生みの後でいろいろな神様を生んでいきますが、最後のほうでこのオオゲツヒメを生み、その次に火の神様を生みます。イザナミノミコトは火の神を生んでやけどをして死んでしまいます。夫のイザナギノミコトは悲しんで黄泉の国まで追っかけていくが哀れなイザナミの姿を見て逃げ帰り、海の水で禊(みそぎ)をするが、この禊のときに生れるのが天照大神、月読命(ツクヨミノミコト)、スサノオノミコトの3神です。だからオオゲツヒメは天照大神たちにとってはお姉さんのようなものです。

 古事記の国生みの項では、イザナギ、イザナミはオノゴロ島で、まず淡路島を生み、次に四国を生んだとされています。四国には4つの顔があり、それぞれに名前がついていました。そしてそこには「粟の国を大宜都比売命という」と書かれており、オオゲツヒメは最初から粟国の神だったのです。現在「阿波」と呼ばれているのは「粟」から来た名前なのです。

それは古事記が出来上がった直後の713年にときの元明天皇が各地に風土記の編纂を命じたときのことです。このときに各地の地名を縁起のいい2文字表記に変えるように指示したとされています。このときから「粟」は「阿波」に書き換えられたのです。私の想像では四国の入り口にあたる鳴門海峡周辺の打ち寄せる「波」をイメージしながらつけた名前ではなかったかと思っている。もうひとつの「阿」については次回に回します。

いずれにしてもオオゲツヒメは古代より徳島県の神様だったのです。そして穀物や食物を司っていた神様であり、天照大神の先輩であることから古代から大切にされた神様だろうと思われます。伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神とはオオゲツヒメと同一神です。だからオオゲツヒメは伊勢神宮では本宮の天照大神の食べ物を守っているのです。

 そして今回取り上げた『上一宮大粟神社』はそのオオゲツヒメノミコトをご祭神とする神社なのです。このオオゲツヒメを唯一の祭神として祀っているのはこの神社だけのようです。私はここへ2回相次いで訪れていますが、そんな気持ちを抱いていたからか、素朴な鳥居から長く続く参道にも畏れおおい雰囲気を感じさせています。社殿は山に囲まれて静かに、しかも威厳ある雰囲気を漂わせていました。ご存知の通り「一宮」とはその地域で最も格の高い神社につけられる冠詞であり、ここ上一宮大粟神社は最上格の神様とされていたのでしょう。だからこの地域を神山町といい、その神山のなかでもここには特に「神領」という地名がついているのです。私は地名には動かしがたい歴史が刻み込まれていると思っている。逆に神社そのものは時の権力者により、自分の地位を守る権威付けとして移動させられている可能性は大いにあったと思っています。現に徳島県には一ノ宮を唱えている神社が4つもある。私はそれぞれの詮索はしませんが、それは長い歴史の中で時の為政者たちが自分の権威付けに利用してきた過去があるからだと思っている。


 定かではないが最初はこの大粟神社が阿波の一宮として祀られていたが、その後徳島市一宮町に分祀されて下一宮とし、それが現在の「一宮神社」となっていった。さらにその後の南北朝時代になって守護職として阿波に入ってきた細川氏が、南朝の勢力に対抗するために一宮の社格を大麻比古神社に移したと言い伝えられているようだ。
 しかし昔から残っている地名が歴史を最も強く語ってくれているのではないかと思っている。だから神山町神領に上一宮大粟神社が鎮座しているのはごく自然な姿だと思っています。

 古事記にはこのオオゲツヒメノミコトについてわざわざ1章を設けている。それは天の岩戸の章に続いて書かれているが、文章の流れでは次のようになっている。

スサノオノミコトの高天原での悪戯が天照大神の岩戸へ隠れた原因であり、神々の合議によってスサノオノミコトを高天原から追放することに決定される。その後で神様たちはオオゲツヒメノミコトに食べ物を作るように頼むと、オオゲツヒメは鼻、口、尻からいろいろな食べ物を取り出して差し出した。それを見ていたスサノオノミコトが汚いものを差し出した、と怒ってオオゲツヒメを殺してしまう。するとオオゲツヒメの死体の頭から蚕が、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が生えてきた。それを見たカミムスヒノミコトがこれらを摂って穀物の種子とした、と書かれている。これらの種子を取り上げたカミムスヒノカミとは高天原に最初に登場する5人の特別な別天神(コトアマツカミ)の一人で、いわゆる天地創造の神とされています。

ここから粟(阿波)国の神は穀物の神として祀られ、ここ大粟神社に鎮座しているのです。なぜ徳島県の神様を穀物の神にしたのか、それは明記されていないが、忌部一族が阿波へ麻の栽培のために渡ってきたことから見ても、ここには暖かい肥沃の大地があったからではなかったかと思っている。つまり吉野川下流に広がる平原は古代の穀倉地帯と見られていたのではなかっただろうか。古代の人たちは徳島を食べ物の豊かな土地だと思っていたからこそ穀物の神の治める土地としたのではないだろうか、そんなことを考えながらここ上一宮大粟神社を後にした。


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