古事記にまつわる阿波の神社 


12、天岩戸別神社

  古事記の中で力強く華々しい活躍をしながら浮いたロマンスもなく静かに舞台を去っていったヒーローといえば天手力男神(あめのたじからおのかみ)であろう。古事記の中では高天原で天照大神が天石屋戸(あまのいわと)に閉()てこもり、高天原も葦原中国(あしはらのなかつくに)も真っ暗になり、万事休すのピンチに出てきたアメノウズメノミコトの舞うセクシーダンスに岩戸の前は大賑わいとなる。岩戸の中でこの騒ぎを不審に思った天照大神が「一体どうしたの」との問いにアメノウズメノミコトが「あなたよりも尊い神様が来られたので皆で喜んでいるのです」と応えた。これ、天地開闢来で最初の嘘つきだったのだろうか。天照大神は岩戸を少し開いてどんな神様が来たのだろうと覗いたときにアメノコヤネノミコトとフトダマノミコトが天照大神の目の前に鏡(前回の神社を参考)を差し出した。鏡に映ったのが自分の顔と分からずしっかり見ようと体を乗り出したところをタジカラオノミコトが天照大神の手をとって岩戸から引き出した、というくだりである。このことからタジカラオノミコトは力の神、スポーツの神と崇められ、アメノウズメノミコトは芸能の神といわれるようになったのである。

 さらにタジカラオノミコトにはもうひとつの出番がある。ニニギノミコトが天孫降臨で下界に降りてくるときには、サルタビコノカミの道案内と共に5人の神がお供をして降ってくるのですが、そのほかに八尺勾玉(やさかのまがたま)、鏡、クサナギノツルギを守って3人の神様も降ってくる。その一人がタジカラオノミコトであった。だからこの神様は葦原の中つ国へと降りてきているのです。そして古事記には『手力男神は佐那之縣に坐せり』と結ばれており、佐那の県(あがた)に祀られていることになっている。

 

今回はこのスーパースターを祀る神社を訪ねてきた。今回の場所は、前回の神社めぐりで訪ねた立岩神社のある徳島市多家良町、八多町に続く隣の村である佐那河内(さなごうち)村にある。私がこの村に関心を持ったのは、この村が昔の町村合併によって現在の名前になる前が佐那という名前であったこと、さらに佐那の縣(あがた)との記録も残っていることを知ってからである。私はこの地にタジカラオノミコトを祀る神社を訪ねていくつかの神社を廻ってみたがなかなか見当たらなかった。そこで今回は佐那河内役場に立ち寄って詳しく場所を聞いてから車で走った。新装成った438号線から左折して音羽川沿いに山道を登っていく。左折、右折を繰り返しながら高度をぐんぐん伸ばしていくと深山幽谷の中に不意に「天岩戸別神社駐車場」との場違いな看板が目に付く。そこからは徒歩で坂道を登っていく。竹林を抜けたところにお目当ての神社の石段が始まっている。階段の下から見上げると落ち着いた雰囲気が漂い、「ああここに眠っておられたのか」と思わず問いかけたくなるような存在感が漲っている。阿波の青石?で築いた素朴な階段も全体の雰囲気によくマッチしているように感じた。石段の上が社殿となっているが質素な木造造りながら好感の持てる社(やしろ)である。

 この天岩戸別神社のご祭神は天手刀雄神のほかに天照皇大神、豊受皇大神も併せて祀られています。しかも天手刀雄神を中心に祀られているところを見ると、この社殿は天手刀雄神を祀るための神社であり、他の二つの神は本家筋の神として、失礼ながら義理で祀られていると思われる。豊受皇大神は阿波の守り神であるオオゲツヒメのことであり、PTAとして天照皇大神と共に天手刀雄神を支えているのであろう。

 この神社の駐車場の手前に立てられていた案内板によると、この社殿の上に登っていくと奥の院や塚があると書かれていた。山道を少し歩いてみたが、神の使いである蛇に出会いそうなのであきらめた。今(6月)は蛇に気をつけなければならない時期だと聞いたことがある。

 

このように大衆の憧れる力強さを示す神であれば、当然のことながらいろんなところで祀られている。よく知られているところでは伊勢市であろう。磯部町には手力男命の手形石まで用意されている。この石にはきれいな水が湧いていて名水として人気があるとか、私はまだ見ていないのでこれ以上書くのは控えておきます。もうひとつが長野県戸隠山の戸隠神社である。ここには天手刀雄神が天の岩戸を押し開いたときに力余って岩戸がこの地まで飛んできた、と元気のいい話が伝わっている。そういえば戸隠という地名はその飛んできた岩の戸を隠したということなのだろうか。それにしても雄大な話ですね。

 

でもこれらの話をどう思いますか?どうみても表現オーバーとは思いませんか。いま、私の目の前に人知れず静かに祀られている天手刀雄神のあたりを圧するパワーを感じながら、「本物とはかく在るべき」と心に強く思いました。でも本物とは何を指すのか?私はひとりで充分納得していました、これでいいのでしょうね。


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