古事記にまつわる阿波の神社 

 

10、建布都(たけふつ)神社

 イギリスの有名な歴史学者アーノルド・トインビーは世界の歴史を眺めて次のように言っている。『その国の神話を学ばなかった民族は例外なく滅んでいる』と。わが国でも今までの世代の人たちは古事記などの神話を、親しみを持って語り続けてきた。しかし、現代の祖父母は孫に向かってどれだけこれらを語り伝えているのだろうか。まじめな顔をして神話などを話し始めたら痴呆症が始まったのかと間違われそうなのが現代の風潮といえるかもしれない。あらためてトインビーの言葉を噛み締める必要があろう。

 今回は土柱の景観で知られている阿波市土成町にある建布都神社を訪ねた。この神社は徳島の街から吉野川に沿って県道15号線を車で走ると撫養街道と合流する手前にある。最寄りの駅はJR徳島線鴨島駅である。道路から少し入った、田んぼと住宅地に挟まれた所に神社の境内が広がっている。閑散とした境内は木々のこずえの葉が落ちるとさらに広く寂しく感じられる。ここに祀られているのは建布都神(たけふつのかみ)である。この神様は古事記では次のように書かれている。

 「イザナミノミコトは阿波の神オオゲツヒメノミコトに続いて火の神である火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んで焼け死んでしまう。夫のイザナギノミコトは悲しみのあまりこの子を切り殺してしまうのだが、このとき刀の手元に着いた血が飛び散り3人の神様となる。その3番目に生まれた神様が建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)といい、またの名を建布都神とも豊布都神(とよふつのかみ)ともいう。」つまりこの神様は3つの名前を持っている。

 この神様は古事記の中では再び登場してきて、大国主(おおくにぬし)神との国譲りの場面で大活躍することになる。それは、高天原にいる天照大神から特命を受けて天鳥船(あめのとりふね)神と共に大国主神のもとに国譲りの交渉に派遣される。ここで国譲りに最後まで抵抗した力自慢の国津神である建御名方神(たけみなかたのかみ)(大国主命の息子)を打ち負かして葦原中国(あしはらのなかつくに)征服の立役者となる。

 建御雷之男神とは字から連想できるように猛烈に鳴り響く雷電の神様である。このように国津神を屈服させた武神であれば当然のこととしてこの神様は方々の神社で祀られることになる。まず建御雷之男神を祭神としている有名な神社としては茨城県の鹿島神宮があげられる。かつて大和朝廷が東国進出の際に鹿島が重要な地となり、ここにこの神様を祀ることで東国平定の力にしようとしたのだろう。また、藤原氏一族の氏神様とされていた奈良の春日大社も建御雷之男神を祀っている。このように天下を統一させたスーパーヒーローであれば全国に建御雷之男神を祀る神社が林立しても不思議ではないが、その裏をかいた別名の神社がここである。建御雷之男神の別名である建布都神を神社名としたところは、私が調べた範囲ではここ以外にないし、豊布都神を神社名としているところは見当たらない。その意味では建布都神社は異色といえるであろう。あるいは昔の阿波人は全国の横並びをよしとせずユニークさを狙ったのだろうか。しかもこの神社は平安時代の中期にまとめられた延喜式神名帳に登録されている式内社であり、歴史は十分に古い。ただ、平安時代の建布都神社がこの目の前にある神社であったかどうかについては定かではないが、神名帳に記されている地名はこの周辺を指している。いずれにしても建布都神社はここだけである。

 この地、阿波市土成町は古代の古墳時代には栄えていた土地だったらしく、周辺からは多くの古墳が見つかっている。おそらくこの地はいくつかの部族が集まってせめぎあい、いろいろな争いが絶えなかった土地だったのかもしれない。忌部神社のところでも書いたように当時のこの周辺にはいろんな部族が集まっていたことが分かっている。かれらの中から武神を祀って生活を安定させたいという機運が高まってくることは容易に想像できる。そのときに、同じ神様でも建布都神のように布の字が入っている神様の名前が特にこの地域の人たちに気に入られたのかもしれない。それはこの地がすでに忌部族によって麻や木綿の栽培が盛んで布を織る産業が地域に定着していたことによるのだと考えられる。だから建御雷之男神とせずに同じ神様の別名である建布都神をあえて祀ったと考えられないだろうか。猛々しい神の名よりも地場産業に連なる名前を冠した神様を選んでいることは、この地ではすでにある程度平穏な雰囲気に包まれていたと想像できるだろう。この地に定着したそれぞれの部族が農業生産や繊維産業など生活の基盤をある程度確保でき、平和裡にすごしていたことを示唆しているのではないだろうか。

 静かな境内でこんなことを想像しながらゆったりとした雰囲気に浸って楽しんでいた。


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