加藤昇の(新)大豆の話

98. 不耕起栽培

アメリカでは1830年にジョン・ディアという鍛冶屋が2頭の馬で引く犂(すき)を開発しました。この犂の普及によって中西部の草原は切り開らかれ多くの入植者が入ってくることになりました。この犂を皆んなは愛情をもってプレーリー・ブレーカー(草原の開墾者)と呼んでいました。第1次世界大戦がはじまるとヨーロッパ向けの穀物輸出が活発になり、収穫された穀物に高値が付き、アメリカの農民は耕せる土地は手当たり次第に耕していったのでした。そして干ばつが繰り返し起るようになったのです。特に1934年から1936年にかけてが激しく、この時期にたびたびダストボウルが起こり、砂塵が空高く舞い上がったことは、すでに述べた通りです。これらの被害に対しては直ちに対策がいろいろと検討されてきました。1940年代には春先の風の強い時期に表土を掘り起こす従来の方法に対して疑問の声も上がっていました。しかし、多くの農家は長年にわたり春の種まきの前に耕すことは正しいことと信じ込んできました。耕すことによって種子が均一に発芽し、さらに土壌中の有機物が掘り返されて空気にさらされることにより、それらは分解されて作物の成長が促進されると思っていました。前年の秋に作物を取り入れた後に生えてきた雑草をそのままにして種まきをするということは、雑草に埋もれて発芽してきた作物が元気に育たないのではないか、と思っていました。やはり一番の懸念は雑草に対する不安だったのです。しかし、少しづつ不耕起栽培に対する支持者が現れ不耕起栽培をしても収穫量に不安がないことを知るようになり普及が始まっていきました。そして、この流れに遺伝子組み換え大豆が対応出来たのです。それまで懸念していた雑草の問題も、作物の状態を見ながら適時に除草剤をまけば効果的に除草が出来ることになり、長年の雑草に対する農家の懸念が払しょくされることになりました。

遺伝子組み換え作物の出現は大豆農家にとって、単に除草作業の軽減に止まらず、除草コストの低減、土壌の流失の阻止、さらに前年の作物残渣を地表に放置できることから土壌のマルチ効果も生まれてきています。この動きは南米の大豆栽培農家にも広がっていきました。1990年後半にはブラジル、アルゼンチンの大豆農家にも不耕起栽培が行き渡り、今や大豆栽培は不耕起栽培で行うことが一般的となってきているのです。

そして実際に不耕起栽培が進んでくると、いろいろな効果も見られるようになりました。それらメリットを取り上げてみると次のようになります。

@  不耕起栽培の継続によって、作物残渣などの有機物が土壌表面に集積されるようになります。これらは土壌の微生物などにより分解されて豊かな土壌環境を作ることに役立つことになります。

A  このような状態の中で作物が生育することによって、毎年掘り返される従来の方法と違い、土壌中の有機物は時間をかけて分解を受けながら無機化していき、植物の生育に適した土壌環境を作っていくことになります。

B  土壌中に有機物が蓄積し、それによって土壌の保水力が高まることにより、土壌中の栄養分の流出が少なくなります。

C  掘り返さない土壌は固くなり、その中で根を伸ばさなければならない作物にとっては根を太く頑強にしていかなければならず、天候被害に対して抵抗性を強くすることが出来ます。

D  自然のシステムに近い状態にすることにより、作物に必要な養分の調整を土壌がしてくれるので、養分過多による病害被害を抑えることができ、収量・品質の向上が期待できます。

 

ここに取り上げた不耕起栽培は南北アメリカなどで行われている大規模栽培のことについて述べたものであり、日本で行われている有機農法による不耕起栽培とは少し観点が違っています。

 日本の有機農法で取り上げられている不耕起栽培は、環境保全や水田に住む虫などとの共生関係を目的にしたものです。しかし、不耕起栽培がもたらす土壌に対する効果などについては共通するところが多いことと思われます。

 

 掲載日 2019.7

 

 

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