加藤昇の(新)大豆の話

96. 穀物メジャーとは何か

 現在、穀物メジャーとして世界の穀物取引の裏で君臨しているのはカーギル、ブンゲ、ドレフェス、アンドレ、ADM(アーチャー・ダニエル・ミッドランド)5社とされています。ところでこの穀物メジャーとはいったい何をする組織なのだろうか。一般の人には馴染みのない名前なのではないでしょうか。これらの会社は国際間で穀物の取引が行われたときに、その穀物を買い手の手元に運ぶ運送会社だと思っていれば大きな間違いがないのです。しかし、国際間の穀物取引は国家間の駆け引きが絡んでいる場合もあり一筋縄ではいかない難しさがあります。かつてはアメリカの穀物が共産主義国家へ運ばれることはなかったが1970年代になってソ連へ大量の穀物が売られるようになってから穀物メジャーの動きが脚光を浴びるようになりました。穀物を海外に売ると言ってもことは単純ではありません。例えば日本の企業がアメリカの大豆を買った場合を想像してみよう。取引内容が51日にニューオルリンズ港を出航する穀物専用船で55千トンを買うというものだったとしましよう。穀物専用船がパナマ運河を通過するのには船の大きさには限界があり、これらを限界ぎりぎりでクリアーした船のサイズを「パナマックス級」と呼んでいます。それは全長約230mで、これに大豆を入れると約6万トンが限界となります。限界ぎりぎりまで積載しておくと輸送費用が割安となるからです。実はパナマ運河の拡張工事により現在運河を通過できる船のサイズはさらに大きくなっています。しかし、各国の穀物受け入れ港の設備が従来の「パナマックス」サイズのままとなっているところが多く、現在も多くの大豆輸送船は従来のパナマックスサイズで運行されているのです。これだけの大豆がニューオルリンズ港にある輸出サイロ(ターミナルエレベーター)の中に蓄積されていればすぐに船積みが出来ますが、足りなければ大豆産地から集めなければならないのです。アメリカ最大の大豆産地はオハイオ州など北部の五大湖の周辺にあります。ここの農地のあちこちには農家から大豆を買い集めているカントリーエレベーターがあります。ここから貨物列車やミシシッピー川を使ってニューオルリンズ港まで運んで大豆を集めなければならないのです。舟で港まで運ぶには、まず農地に近いカントリーエレベーターに貯めてある大豆を川の畔にあるリバーサイドエレベーターまで運んでおき、幅9m、長さ60mの艀舟(バージ)で運ぶだけの量(5万ブッセル、約1,360kg)がまとまると艀舟積みしてミシシッピー川をニューオルリンズまで下っていきます。こうしてニューオルリンズにある輸出港のターミナルエレベーターまで2,200kmを越える距離を運ばれてきて蓄積されます。そして、ここで送られてきた大豆が契約量に達すると、まとめて船積みされるのです。
 実は、日本へ向かう大豆はニューオルリンズからパナマ運河経由のルートだけではないのです。パナマ運河を通過するには多額の通行料を支払わなければなりません。しかしミシシッピー川による国内輸送は輸送費が安く大豆の経費を安く抑えることが出来ます。そのためミシシッピー川周辺の大豆生産地の大豆はニューオルリンズ港に集められてパナマ運河を経由して日本に向かいますが、ミシシッピー川から遠く離れている大豆の産地からは別のルートを通ります。アメリカの大豆生産地でネブラスカ、ミネソタ、ダコタなどミシシッピー河の西側に広がっている地域の大豆はホッパ車と呼ばれる貨物列車に積み替えられて太平洋に面したワシントン州のピュージェットかオレゴン州のポートランドに運ばれて、ここで船積みされて日本に向かうこともあるのです。このコースをとればパナマ運河を経由するよりも少ない日数で日本まで運べますが、国内の貨物列車による輸送費が割高となり、結果的にはパナマ運河経由とどちらが有利かは微妙な所です。
 
 契約日までにこれらすべてが揃うようにするのが穀物メジャーの仕事範囲です。勿論契約の中にある大豆の品質などいくつかの条件も満足させておかなければなりません。穀物メジャーは農家から買った大豆を可能な限り安価に輸出港まで運べるように集荷エレベーターを生産地から河畔、輸出港にまでエレベーターと称するサイロを建設しておかなければないのです。穀物メジャーの収益はもちろんこれらの運送業から得ているのですが、もう一つは日々変化している大豆相場を見ながら相場の安い時に農家から買い集め、相場が高くなってから売るということも大きな部分を占めています。そのためには大豆の生育状況や海外の食糧事情などの情報を早く集めて、周りに気づかれないように買い集めなければならない。ソ連が大量の穀物を買いそうだという情報が農家に知れてしまうと農家は値上がりを待って売るのを手控えるようになります。あるいは干ばつなどで作物の生育が悪化しそうだとの情報も穀物業者の収益に直接影響を与えます。まさに情報が死命を制する仕事であり、そのために多くの穀物メジャーは同族会社という結束の固い形にして厳しい情報管理を敷いているところが多いのです。と言っても世界にネットワークを張り巡らせているので1社の社員は数万人という巨大企業でもあります。

穀物メジャー5社の発展の歴史には共通点が多いのです。まず、カーギル社は穀物メジャーとしては業界最大の組織であり、アメリカ国籍でカーギル家とマクミラン家による同族会社で株式は非公開とされています。19世紀半ばにヨーロッパへアメリカ小麦を輸出する頃から事業を拡大していき、今では世界最大の穀物取引高を誇っています。1998年にアメリカで覇権を争っていた大手穀物メジャーであるコンチネンタル・グレイン社を買収しカーギル社はアメリカの穀物取引の3割を超えるシェアを占めるほどになっています。私はこのコンチネンタル・グレイン社買収発表の直後に同社を訪問しており、社員からいろいろと話を聞いたことを覚えています。

  次にブンゲ社だが、この会社はオランダからスタートしたユダヤ系の同族会社ですが、現在の本部はアメリカにあります。ここも株式は非公開で、創立は1818年とされ最も古い歴史を持っており、ブラジル大豆の取引に力を入れていると言われています。次にルイ・ドレフェス社はドレフェス家が経営する同族会社で、ここも株式は非公開です。本部はパリにあるフランス企業です。アンドレ社はスイス国籍の会社で創立は1877年ですが第二次世界大戦中の穀物輸送で事業を拡大し、戦後はソ連、東ドイツなどへの取引を拡大していったのです。最後にADMですが、この会社は他の4社と少し様子が異なり、創立は1902年と比較的新しく、その事業内容はまず亜麻仁油の搾油業から始まり、その後運送業へと事業を広げているのです。アメリカ第1位の大豆搾油会社であり、世界1位のバイオエタノールの生産会社でもあるのです。歴史的にも農産物加工に力を入れており、株式を公開しているところも他の4社と異なっています。

 

 穀物メジャーが大きく発展したのは何といっても第2次世界大戦後のアメリカにおける穀物の過剰在庫の解消に向けての一連の戦後処理にあると言えます。1946年から始まったヨーロッパ諸国に対する「経済復興支援」、「平和のための食糧計画」と大規模な食糧援助活動が続きました。これらの食糧支援活動は穀物の集荷・配送に加えて相手国との早期の調整が必要であり、その遂行には穀物メジャーの組織機能が欠かせなかったのです。余剰農産物の援助支援は多くの開発途上国も対象となりアメリカ政府も従来からネットワークを持つ穀物メジャーの力を借りなければ不可能でした。そしてこれら一連の事業によって、例えばカーギルでは1955年からの10年間で販売額は8億ドルから20億ドルへと大きく拡大しており、その他の穀物メジャーもこの時期に事業を大きく拡大していったのです。

次に穀物メジャーが脚光を浴びる場面は1970年代のソ連に対する穀物輸出でした。アメリカは以前からソ連や中国本土に対する穀物の輸出を禁止していた。しかし、アメリカ国内の穀物過剰在庫に抗しきれなくなり、ニクソン大統領がこれらを解禁させ、直ちに穀物メジャーのコンチネンタル・グレイン社が先鞭をつけて取引を成功させたのでした。直ちに穀物メジャー各社入り乱れての対ソ穀物取引が秘密裏に行われており、この時どれだけの穀物がソ連にわたったのかは明確になっていません。一説には1,170万トンという当時としては驚異的な数字もささやかれているほどです。これによってアメリカ国内の食パンや牛肉が値上がりし、消費者の反発を招くことになりました。これに懲りた米国政府は、これ以降、米ソ両国で定期的に穀物に関する情報交換をすることに決め、アメリカの代表団がソ連の農場視察や穀倉地帯の作柄調査をすることも取り決められました。そしてソ連はアメリカ農産物の最大の顧客になっていくと共に穀物メジャー活躍の時代となっていったのでした。

2019年時点での主な穀物の貿易量は、小麦185百万トン、コーン169百万トン、大豆1億5千百万トン、大豆粕68百万トン、米47百万トンと、主な穀物5品目合計で6億トンを超える量が国をまたいで行き来しているのです。これだけの膨大な穀物が国際間を行き来出来るのも彼ら穀物メジャーによるところが大きい。現在私たち日本人が国内自給率6%の大豆をなに不自由なく日常的に食べられているのには直接的には日本の商社が果たしている役割もありますが、その向こう側には穀物メジャーが背景となって機能していることを忘れることは出来ないのです。

 

 掲載日 2019.7

 

 

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