加藤昇の(新)大豆の話
81. 戦争で拡大したアメリカ大豆
ここで目を大豆に向けてみましょう。第1次世界大戦勃発によって大豆油をヨーロッパから輸入できなくなったアメリカは日本と満州から大豆油を輸入せざるを得なくなったのです。ヨーロッパを中心に展開された第1次世界大戦の特需ブームによって日本の大豆搾油産業が急速に発展した時代でした。日本はドイツに代わってアメリカの大豆油需要に応えていったのです。アメリカは1930年までは日本や満州から大豆原油を輸入して国内で精製するということをしていましたが、1930年代になると国内の大豆生産が増えてくるに従い自国の生産大豆を保護するために大豆輸入に高い関税をかけるようになるのです。そして1945年には中国と満州を抜いて世界最大の大豆生産国に躍り出ることになります。アメリカでは大豆油はサラダ油、マーガリン、ショートニングなどの食品として使われるほかに、石鹸、ニス、ニトログリセリン、フォード車の塗料、インクなどの工業原料にもなっていました。そして日米開戦の1年前には日本からの大豆油の輸入も停止してしまったのです。さらに満州大豆も満州事変から第2次世界大戦の間に崩壊し、世界の大豆はアメリカ独断場の時代が始まるのです。
第2次世界大戦が始まった1942年、アメリカ農務省は「大豆と戦争: 勝利のために大豆を増産せよ」というビラを全米の農家に配布し「合衆国連邦政府は、戦争に勝利するため大豆油を必要としている。極東の戦争で輸入が途絶えた10億ポンドの油脂を賄わなければならない。同時に我が同盟国は10億ポンド以上の油脂を今年中に配送してくれと要請してきた。364万haの大豆作付面積が必要になる」との呼びかけにアメリカの大豆生産農民は敏感に反応して期待を超える420万haに大豆を作付し、一気に520万トンの大豆を生産したのでした。その後のアメリカ大豆の増産ぶりは周知の通りであり、2018年現在大豆の作付面積は35百万ha、大豆の生産量12.3千万トンに達しており、輸出量は46百万トンと世界ナンバーワンの大豆王国を誇っています。
アメリカは特に第2次世界大戦の戦争特需が一段落した後に現れた穀物の過剰在庫の処理に苦慮していました。そこで小麦やトーモロコシなど在庫量の多い穀物の減反政策を進めましたが、これに対して農家は減反した畑に大豆を蒔いて収入減に対応したため大豆の在庫も増えていくことになりました。1954年には「余剰農産物処理法」を制定し、アメリカ国内で処理しきれなくなった穀物の過剰在庫は戦争の傷跡の消えないヨーロッパやアジアの飢餓解消として払い下げていく道を選択したのです。
我が国に払い下げられた小麦はパン食を中心とする洋食化の推進に、トーモロコシや大豆粕は畜産飼料原料として肉食、乳製品の普及に力となって、それまでの米を中心とする和食の習慣を駆逐していくことになるのです。さらに戦勝国となったアメリカは映画などを通じて豊かなアメリカの食生活の情報を発信し続け、その姿に憧れる貧しかった日本人を肉食生活に誘導していったのでした。これは我が国に限ったことではなく広く世界に向かって肉食を中心としたアメリカ食文化を広めていったのでした。1960年代に入ると先進国を中心に肉食消費が進み、我が国も10年前に比べて1人あたり年間肉食供給量が2sから7sへと著しい伸びを示しています。先進国全体で見ても1962年から1976年までの15年間に54.4sから73.2sへと肉食供給量が伸びており、その勢いはその後も続いて1988年の81sへと伸びていくのです。現在では近年になって経済力をつけてきた新興国の食肉消費量が拡大を初めており、このことが畜肉、乳製品を支える畜産飼料原料である大豆粕の需要を今も押し上げ続けているのです。このようにアメリカ農業の流れを振り返ってみると、アメリカは国内外で起こった戦争をテコにして農業大国への道を進んでいったと言えるのではなでしょうか。
掲載日 2019.7