加藤昇の(新)大豆の話

77. 大豆の世界史

世界の大豆生産国の変遷 

大豆栽培の最初の姿は、自分たちが食べる量を身の回りの土地で育てるという自給自足の姿からの出発であったことでしょう。これは日本で言えば縄文時代中ごろから弥生時代の光景であったと思われます。あるいは稲作をしながらその周辺のあき地に大豆を植えていたのかもしれません。これらのことは遺跡から出土してくる状況などからある程度想像することができます。この時期に大豆を栽培していた地域はタイから中国、日本、朝鮮半島までの、世界全体からみると限られた土地でしか行われていませんでした。このように大豆が東アジアの限られた地域でのみ栽培されていた時代は長く、紀元前3千年ころから20世紀の初頭までの5,000年間はこの限られた地域だけの大豆栽培であったのです。

 

17世紀になると欧州からアジアに交易を求めて多くの人たちが渡ってきますが、彼らにとって珍しい作物として大豆が欧州に紹介されるようになります。この頃の単発的な大豆の紹介としては、1679年に東インド諸島からイギリスへ運ばれていた物資の中に大豆が含まれていたことや、169192年に日本に住んでいたオランダ東インド会社の医師エンゲルベルト・ケンファが帰国後日本における大豆の栽培・加工について本を出していることなどに散見することが出来ます。ヨーロッパでも大豆を栽培してみようという動きが出てきますが、登熟までに必要な日照時間が足りないなどの理由で栽培を断念しています。

1908年になるとドイツを中心にヨーロッパでは大豆油の利用開発が積極的に行われますが、大豆油はすべて満州から輸入してマーガリンなどに加工していたのです。アメリカはヨーロッパで始まった大豆油の利用開発に触発されて国内でも動き出し、ドイツから大豆油を輸入しながら大豆油を使った商品が次々に生まれてきます。しかし、その頃に起こった第1次世界大戦でドイツからの大豆油の輸入が困難になり大豆の自国栽培に積極的になっていきます。

第1次世界大戦と第2次世界大戦が終わってみると、戦争に参加したほとんどの国では農地が荒らされてしまい、作物の栽培は困難になっていました。その中で唯一戦争の被害を被らなかったのはアメリカでした。ヨーロッパ、アジアの国々は戦後の極端な食糧難に陥っていたのでした。アメリカはこれらの国に食料を輸出することによって、国内の農業は飛躍的に拡大し、大豆栽培も大きく生産量を伸ばしていき、世界最大の大豆生産国になりました。

 

こうしてアメリカの大豆生産は1980年頃になると世界の大豆生産の65%を占めるまでになりました。この頂点に達した時に、アメリカはソ連のアフガニスタン侵攻に対して大豆の輸出禁止という対抗措置をとったのです。大豆の供給先を失ったソ連はこれに対抗して南米のブラジル、アルゼンチンに資金を投入して大豆調達の道を広げていったのでした。このことによってそれまで大豆生産に積極的でなかった南米の国々が大豆栽培に意欲を燃やすようになります。こうしてアメリカの独壇場であった大豆生産は南米という強力なライバルの出現を招くことになり、そして現在に至っています。

 

今や世界の大豆は大豆輸出国と大豆輸入国に大きく分かれています。世界の大豆輸出国は、ブラジル、アメリカ、アルゼンチンの三か国で世界の全輸出量(155百万トン、2018年)の88%を占めており、これにカナダとパラグアイを加えた南北アメリカで世界の95%を占めるという極端な供給体制を示しています。では、これらを輸入している国はどこかといえば、世界の輸出量の61%を中国が輸入している(2017年)という、ここでもアンバランスが起きているのです。

 

 このように今では大豆の生産地は、かつての大豆発祥の地といわれた東アジアから、遥か海を渡って南北アメリカを中心とした新天地へと移動し、さらにアフリカ、東欧など新たな勢力が世界の大豆生産の舞台に登場しようとしているのです。大豆を取り巻く世界の情勢はますますダイナミックになってきているのです。

 詳細はそれぞれの地域の変遷の中で見ていきたいと思います。

 

 掲載日 2019.7

 

 

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