加藤昇の(新)大豆の話

7.  大豆の英語名“soybean”はどこから来たか

そもそも英語圏の国々にはかつてダイズは生育しておらず、彼らにとっては18世紀になって持ち込まれた外来作物なのです。そのためダイズを指す言葉も当然存在していませんでした。では現在使われている英語のsoybeanはいつ、どのようにして生まれてきたのだろうか。

 過去の記録を辿ってみると大豆そのものが最初に英語圏に紹介されたのはアメリカよりもむしろヨーロッパのほうでした。1670年代に東インド諸島からイギリス、オランダへの輸入品の中に大豆の記載が残されています。このときの大豆の名称はどうであったのか、確認することは出来ません。しかし、オックスフォード辞典によると、1699年に出版された本には醤油のことを”Soy"と紹介されていることから、その頃には醤油を「ソイ」“soy"と表現していたと思われます。おそらく西洋の人たちにとって、日本人が言った「醤油」という発音が「ソイ」と聞こえたのではなかったかと思われます。

一説には明治新政府の大久保利通がパリ万博へ行って、日本から出品してあった醤油を指して彼の田舎言葉である薩摩弁で説明したときに「しょうゆ」と言ったつもりが「ソ-イ」と聞こえたから、との話が残っていますが、”Soy“の言葉の出現はパリ万博よりも古く、この説はあまり評価をされていません。

 醤油は日本で生まれた調味料であり、寛文年間(1661-73)からオランダ東インド会社を通じてヨーロッパに輸出されており、この頃日本に来ていたスウェーデンの植物学者ツェンベリーは「日本の醤油は大変良質で、多量の醤油樽がバタビア、インド及びヨーロッパに運ばれている」と書いています。当時のオランダでは日本から輸入した醤油はソースの味付けに珍重され、赤道を越える輸送中の変性を防ぐため火入れした醤油を陶器の瓶に詰めて運んでいました。

 "Soybean"が最初に文献に表われるのは1795年であり、その後1802年にも「The soybean are cultivated in Japan」と明記されています。しかし、それから後しばらの間はsoyという表現が消えてしまいます。因みに1854年にペリー提督が日本から持ち帰った2種類の大豆が、農業委員会(Commissioner of Patents)に提出されており、これには"Soja bean"との表現が使われています。SoyaあるいはSojaはオランダ語の表現であり、日本語のshouyuがオランダ語のsoya,sojaを経た後、beanとの複合語である英語のsoybeanへとつながったと考えられます。1882年にsoybeanの言葉が出て以来、soybeanの言葉は文献に続いており、soybeanの呼び方が定着したことが想像されます。このように英語のsoybeanは日本語の「醤油」がそのルーツであることは間違いありません。

            掲載日 2019.7

 

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