加藤昇の(新)大豆の話

6. 中国では大豆はどのような歴史を歩んできたのか

中国の古い文献の中に、東北部に住んでいた朝鮮の古代民族である貊族(こまぞく)が栽培していた大豆を、紀元前7世紀の初めころ、斉の国の桓公が今の満州南部と見られる地方を制圧して、ここから大豆を持ち帰り、戎菽(チュウシュク)と名づけたとの記録があることから大豆は満州に古くからあったとされていました。

中國には大豆について書かれた書物がいくつかあり、最も古いものでは紀元前2838年に中国を支配したといわれる神農皇帝が医薬の書物「神農本草経」の中に大豆について記載したのが最初とされています。この中で、「生大豆をすり潰して、腫れものに貼ると膿が出て治る」「呉汁を飲むと解毒作用がある」などと書かれています。また、中国の周の時代に大豆をあらわす「叔(しゅく)の象形文字が存在していることを考えれば、遅くとも紀元前11世紀には大豆栽培が行なわれていたと考えられます。中国の戦国時代(紀元前400-200年)に北方から大豆が持ち込まれ、異国の豆ということから戎菽(えびすまめ)と呼んで五穀に数えられるようになったと「史記」(紀元前91年)にも書かれており、大豆が古代中国の文明創生に貢献した五つの穀物の一つとして歴代の皇帝により毎年五穀豊穣の儀式がおこなわれていたことが記されています。これらの記録からも中国における大豆の栽培は紀元前5000年の前にさかのぼると主張している学者もいるほどです。

 

中國でも5千年前に大豆に

 東アジアにおけるツルマメの分布をみると、南は海南島周辺から北は沿海州・アムール川流域まで広い範囲に広がっていますが、この中で大豆が栽培され始めたのは東アジアの中緯度あたりと考えられています。そして遺跡の発掘による考古学的研究により現在では我が国と同じく中国や韓国でも大豆の誕生は5千年前の新石器時代中頃と考えられています(小畑弘己)。中国の新石器時代の大豆は日本のツルマメのような小粒の豆であり、韓国の古代の大豆は楕円形をしていたことが分かっています。このように日本、中国、韓国の初期の大豆の形が違っていたことは、これらの違った土地でそれぞれ独自に先祖種のツルマメから大豆に形を変えていったことを意味していると考えられており、そのことは遺伝学的にも証明されています。このように現時点では東アジアにおける大豆の登場は日本、中国、朝鮮半島に於いてそれぞれに古代人によってツルマメから大豆へと変身していったことが想定されています。ただし、中国、韓国で見つけられている初期の大豆の痕跡はまだ発見数が多くなく、今後の研究に待たれるところです。

 

「大豆」という名前はどうして出来上がったのか

古代中国では大豆のことを「(しゅく)」とか「戎菽(チュウシュク)」と呼ばれていたとの記録が残っていますが、我が国の先祖である縄文人達がこのような呼び方をしていたとは考えられません。そもそも「豆」という文字は古代中国では食べ物を盛る高坏のことを指していました。「豆」という字の形が高坏の器の形に見えることからも容易に想像することが出来ます。これらの高坏は神様へのお供え物を盛り付ける器として、あるいは高貴な人の食事を盛る器として使われていたもので、東京ではお茶の水駅の近くにある湯島聖堂の孔子廟に供えられている高坏を見ることが出来ます。このことからも「豆」の字は中国で生まれた可能性が高いと思われます。神様にお供えする食べ物を乗せる器に対して「豆」と称していたのが、いつの間にか器に盛る食べ物を指すようになり、さらに食べ物の中でも恐らく一番多くお供えされていたと思われる「マメ」に対して、それまでは「叔(しゅく)」などと呼ばれていたのを「豆」という文字を書いて呼ぶようになったものと想像されます。その中でも目の前にある大小2つの豆に対して自然に「大豆」「小豆」と民衆が呼び分けたのではないかと想像されます。いずれかの時代になってそれらの呼び方が周辺国に伝わっていき、我が国でも「大豆」、「小豆」と呼ばれるようになったのではないかと想像されます。

最初の「大豆」の記述については定かではなく今後の研究に待たれますが、中国をはじめとする東アジアではどの国も同じ「大豆」の文字を使うようになっていることから、最初は中国で使われた言葉が周辺の国に伝わっていったものと考えられます。

現在私たちの身の回りには大豆よりも大きな豆はいくつも見られます。例えばソラマメや甘納豆に使われる「べにばないんげん」、和菓子に使われる「いんげん豆」、その他「花豆」、「大福豆」、「金時豆」なども大豆よりも大きな豆です。でもダイズだけが今も「大きな豆」と表記されているのです。現在の大豆は煮豆などに用いる大粒大豆から小粒納豆に使われる極小粒大豆まで大きさの種類も多く、大豆には大きい豆というイメージはすでに消えていますが「大豆」の呼び方だけが愛着と共に残っているのです。

 

                         掲載日 2019.7

 

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