加藤昇の(新)大豆の話

47. 油のおいしさの不思議

人間の味に対する嗜好は、基本的には体の不足した栄養分に対する要求であり、体の栄養分を一定に保つシステムである、とされています。油には、甘味、辛味、塩味などの味というものはありません。純粋な油脂は人間にとって無味無臭であり、舌に旨味を感じません。油だけを美味しいといって舐めていたら化け猫と間違えられます。しかし、食品に油脂を添加すると、とたんに美味しくなってきます。霜降りの肉、脂の乗った旬の魚など、私たちが美味しいと感じている食べ物には油が多く含まれています。ネズミを使った試験で、油脂の味わいは従来の味の範疇に含まれない刺激であることがわかってきています。舌の先端で感じる味でなく、油脂の刺激は舌の奥にある神経が脳に伝えることによって起こっているようです。脳は送られてきた油脂の信号と、油脂には高いエネルギーがあるとの情報をつき合わせて油脂を好ましく思うという報酬作用を発すると考えられています。油脂に対する嗜好性は長期間の動物試験でも低下せず、むしろ嗜好性が強まっていく傾向が観察されているのです。マヨネーズにこだわるマヨラーが生まれる仕組みがここにありそうですね。

 

 この油脂に対する嗜好性が、だしの旨味のグルタミン酸にも連動しているという興味あるデーターもあります。油脂を構成している脂肪酸にも、旨味の素であるグルタミン酸にも同じカルボキシル基という反応基がくっついています。小腸の細胞はこの二つのカルボキシル基にたいして似た物質として認識しているようなのです。だから日本人がだしに旨味を感じて満足をしているのと欧米人が油脂に旨味を感じるのは似ているのかもしれません。舌では違う味に感じても、だしの旨味の代わりを油脂が十分行っている可能性があるというのです。これなんかは環境による進化の過程で細胞の働きが分かれていったのかも知れませんね。魚の豊富な海岸に住んでいる人たちと、長い間狩猟生活で動物肉を食べていた人たちでは、旨味の感じ方が形を替えているのでしょうか。まさに、油脂のおいしさとは口の中だけでなく内臓・代謝系を総動員した総合的な味覚判断でもあるようです。

 さらにこんな研究も示されています。食品の中に油が含まれていると旨味が強く感じられるというのです。舌には味蕾という味を感じる細胞があります。そこには苦み、塩味、甘味、うま味、酸味という5種類の味を感知する細胞が含まれていますが、そこにはさらに油の味を感じるセンサーがあるというのです。このセンサーは油に振れると刺激されて苦み、塩味、甘味、うま味のセンサーを活性化するというのです。だから同じ調味料で味付けしても、そこに油が加わるかどうかで調味料の感じ方の強さが変わってきて、油が加わっていれば調味料の味が強調されます。
 さらに油が加わることで苦み成分が含まれていても和らいで感じるようにもなります。苦みのある食材を口に入れる前に油を口に入れておくと、その次に入れる苦みの味は和らいで感じられるのです。それは苦み成分が油溶性であり、口に中で苦み成分が油に取り込まれてしまい、味蕾に届かなくなるからです。しかし、うま味や塩味の成分は油に溶けにくいので口に入れた油によっての影響はあまり受けないのです。このように油が刺激を和らげることが出来るのは、苦みの他に酸味や臭みが挙げられます。


 

 「脂肪」、「砂糖」と「だしの風味」は人間や動物にとって普遍的においしいと感ずることは、実験動物の執着行動からも観察されています。これらを摂取することによって3大栄養素を得られるという報酬があるからです。これらはまさに生命維持のための動物の基本的な食行動であろうと思われます。生物の進化発展の歴史の中で、これらに対しておいしさを感じなかった動物がいたかもしれないが、おそらくそのような動物は生き延びられなかったのではないでしょうか。高エネルギーの油脂に対してだけ舌を介しない、脳が直接関与する執着行動を組み込んでおく、このメカニズムこそ人類が現代まで生き延びている究極のシステムであったのではないでしょうか。

 

油脂はモルヒネか

 油がどうしておいしいのか、についてはすでに述べたとおりです。それは体に必要な栄養素を一定に保つために、不足しているものを食べたくなる仕組みの中で、油脂はエネルギー源としてだけでなく細胞や神経などの構成成分であり、取り入れておかなければならないものなのです。だから他の栄養素とは若干違ったシステムで油脂をおいしさとして感じさせているのかも知れません。さらに踏み込んで、体が必要とするエネルギーが十分に足りているのに、なぜ油を含んだ食べ物を欲しがるのか、について書くことにします。

 私たちの周囲には、肥満で悩んでいる方たちを見かけることがあります。また、アメリカ人の何割かは肥満に悩んでおり、肥満はいろいろな生活習慣病につながっていく大きな原因とされています。肥満の原因にはいくつか考えられますが、過剰なカロリー摂取はその中でも大きな要因で、油脂と糖分の摂りすぎは真っ先に槍玉に挙げられるところです。そのことは分かっているのですが、私たちはなぜかケーキ、アイスクリーム、チョコレートなど油脂と糖分を組み合わせた食べ物には目がありません。これらには、別腹として満腹でも食べられる不思議さがあります。その結果として、肥満につながり、いろいろな健康障害を引き寄せてしまうことになっているのです。それは食べる量をコントロールしない本人の責任だ、意思が弱いのだとされていたのですが、どうもそんな単純なものではないようです。私たちの体が必要としているエネルギー以上にカロリーの多い油脂と糖分を食べ続ける背景に意外な現代の姿が浮かんできているのです。 現代はストレス社会と言われ、私たちは毎日いろいろなストレスに襲われています。このストレスと油脂を摂りつづけることの間に関係が浮かび上がってきているのです。

 ランナーズハイという言葉を聞いたことがありますか。マラソンランナーが長距離を走っている間に血漿中にオピオイドペプチドの一種であるβ-エンドルフィンが高まって一種の快感を覚えるというものです。オリンピックで優勝をした高橋尚子選手が42km走った直後に楽しそうにレースを振り返る、という光景を覚えているでしょうか。マラソンランナーはオピオイドペプチドが分泌していることによって長距離を走るという苦痛から逃れることが出来るのです。オピオイドペプチドとはモルヒネ様の作用を示すペプチドの総称で体の中に分泌される所が数ヶ所あります。このオピオイドペプチドの働きは鎮痛作用であり、痛みの伝達を抑制しているのです。この働きで私たちは日常的なストレスから身を守っており、脳が作るアヘンとも言われています。

 動物実験から油脂にもこれに似た働きがあることが分かってきました。ネズミにストレスを与え続けると、そのネズミは油脂と甘味を欲しがるようになるのです。また、油脂と甘味を与えておくと長時間のストレスに耐えられるようになるという実験結果もあります。この実験はヒトでも確かめられております。これによりヒトは甘くて脂肪分に富んだ食べ物を摂ると心地よさ、満足感、喜びを感じ、イヤなことから遠ざかることが出来るために、好んでこのような食べ物を食べようとするのだそうです。油脂そのものがオピオイドペプチドのような働きをしている可能性を示すデーターもあります。このへんに、満腹の後でもケーキに手が出る仕組みが働いているようです。その意味では、油脂には私たちが予想もしていない不思議な働きが隠されているようです。

 現代社会では、いろいろな形で各個人にストレスが襲いかかって来ています。そのストレスに耐えるためにケーキやスナック菓子など油脂の多い食品に手が伸び、それを食べることによってストレスから自分の身を守っているのではないでしょうか。そしてこのような行為が、私たちの体に組み込まれている危機回避のシステムと合致して働き続けているのではないだろうか。いつか遭遇することになるかもしれない、食べものにありつけない時の為に、カロリー源を進んで取り入れていた祖先の体の仕組みが、このような機能にむすびついているのではないでしょうか。油脂という高エネルギー食品に対する生命対応の不思議さにあらためて驚かされます。

 

 掲載日 2019.7

 

 

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