加藤昇の(新)大豆の話

35. 醤油について

 醤油は味噌と並んで長く日本の食文化を支えてきた調味料です。そして醤油は日本で生まれた国産調味料でもあるのです。だから醤油を使った食品は全国くまなく行き渡っていると言えるでしょう。ところがこの日本の心ともいうべき醤油の消費も徐々に減ってきているのです。それはみんなの減塩を心掛ける気持ちから発してきている大きな流れでもあるようです。そうだとするとある程度認めざるを得ないのかもしれませんが、一方では発酵食品としての醤油に対して健康効果も指摘されているのです。ここで立ち止まって醤油についてもう一度眺め直してみたいと思います。

 

醤油の発祥

 醤油は我が国で生まれた調味料だと書きましたが、その基礎となったものは何だったのか、そこから探ってみたいと思います。

 縄文時代の土器からは魚を発酵させたとみられる「魚醤」や穀物を原料とした「穀醤」の痕跡が見られています。また飛鳥時代の「大宝律令」には「醤」、「鼓」などの文字があり、大豆だけでなくいろいろな発酵調味料が作られていた可能性が見られます。大豆の発酵食品についても早い時期に中国から我が国に持ち込まれていたことが想像されています。万葉集(759-780編集?)にも「醤」について詠まれている和歌があったり、「延喜式」(927年)に醤の製造方法が記されているなど、すでにこの時代になると大豆を使った発酵調味料が普及していたことが想像されます。しかしこれらはすべて発酵した大豆そのままであり、液体の醤油とは少し姿が違っていて、そのままおかずとして食べる“なめもの”の一種でもあったようです。

現在のような液状の醤油になったのは鎌倉時代に和歌山県の湯浅で味噌の上澄みである溜まりをくみ取って調味料として使ったのが最初とされています。鎌倉時代の禅僧 覚心(かくしん)が中国浙江省にある径山寺(金山寺)で学んだ醸造法で作った醤に茄子やキウリなどの野菜を混ぜて樽に入れて“くさ醤”を作っていたら、野菜から出てきた多量の水分が浮き上がり、その“たまり”をくみ取って調理に使ってみたら非常に美味しかったことを見出し、これを調味料としたのが醤油の始まりとなったと言われています。このように醤油は日本で生まれた調味料であり、「しょうゆ」という言葉が生まれるのは室町時代の中期から末期にかけてのようです。京都相国寺鹿苑寺の日記「鹿苑日録」(1536年)に醤油の文字が、また大納言山科言継の日記「言継卿記」(1559年)には「しょうゆを桶に入れて贈り物とした」との記述が残されている。これらが醤油の名前が使われた最初とされています(「醤油の豆知識」より)。また奈良興福寺多門院の僧侶である英俊が残した日記にも、16世紀には醤油が作られていることを書き残していることから、どうやら我が国での醤油の発祥はこの頃と考えられます。

醤油の輸出
 わが国の醤油は早くから外国に輸出されていた歴史を持っています。1647年にはオランダの東インド会社によって堺の醤油が東南アジアに輸出されていた記録が残されています。さらに、1670年代になるとイギリスやオランダに醤油が輸出されており、1699年に出版された本にも醤油のことを”Soy”と書かれています。当時の外国人たちは日本人が発音した「しょうゆ」という言葉を「ソーイ」と
聞こえたのかもしれませんね。このシリーズの「7.大豆の英語名 soybeanはどこから来たか」にも書いたように、大豆や醤油のなかった欧米で大豆の言葉をsoybeanとつけたのも、17世紀から日本から輸入していた醤油を soyと呼んでいたことから、醤油の原料となる大豆を指して"soybean"と名付けたと推測することが出来ます。
 このように我が国の醤油は17世紀の半ばにはすでにヨーロッパに向けて輸出されています。しかし当時はこの醤油は何によってつくられているのか、について彼らは全く知りませんでした。それは当時の日本は外国人に対して情報を遮断していたからでした。1712年になってドイツ人の探検家エンゲルト・ケンペルが900ページにわたる日本を紹介した記事を書いたことにより一気に知識が広まることになります。
 このようにわが国の醤油の輸出の歴史は古く、フランス、オランダの宮廷料理やソースの味付けに使われてきたことがわかっています。現在も、キッコーマンなどではアメリカをはじめとする海外への醤油の輸出が多く、国内の消費減退の波を完全に吸収してしまっている状況になっています。キッコーマンの2018年の醤油の売り上げは海外の売り上げの方が国内を上回っている状況になっています。このように日本の醤油は昔から外国の食の味付けを陰で支えてきた歴史があるのです。

現在、我が国の醤油は世界に向けて勢いをつけて走り出しているところです。ここにはキッコーマンなどの長年の努力が実ってきているとも見ることが出来るでしょう。ここに農水省がまとめた醤油の輸出量のトレンドが示されています。現在、我が国の醤油はどこに輸出されているのか、輸出量の多い順に並べると次のようになります。最も多いのがアメリカで、次いで中国、オーストラリア、イギリス、韓国、香港、フランスなどと鳴っています。

 

アジアの発酵文化

 味噌・醤油は古くから東アジアに共通した食文化として発展してきました。東南アジアには、大豆、麦などの穀物を主体とした「穀醤文化圏」と、魚を中心とした「魚醤文化圏」があり、それらが稲作と共に広がっていったとされています。その一端がわが国に達しており、日本の食文化が東南アジアと密接に繋がっていることを示しています。我が国にもいつの時代からか、これら魚醤の技術も伝えられており、今も能登地方の、いわしを使った醗酵調味料「いしり」、秋田の「しょっつる」などに生き続いています。

中国では大豆を原料とした豆鼓醤(トウチジャン)、海鮮醤(ハイシェヌジャン)や豆みそとして使われる豆鼓(トウチ)があり、その他ソラマメを原料とした豆板醤(トウバンジャン)、小麦粉を原料とした甜麵醤(テンメンジャン)、エビを原料にした蝦醤(シャージャン)などが使われています。

 

 コウジカビは自分が繁殖するために菌糸を伸ばしますが、その先端から酵素を放出して大豆や小麦のタンパク質や澱粉を分解して自らの栄養源にしているのです。これらは「アスペルギルス・オリゼー」「アスペルギルス・ソーヤ」と呼ばれるものであり、アスペルギルス菌から選抜育種されて育てられたものが発酵菌として使われています。かつてはコウジカビの繁殖している姿がちょうど米に咲いた花のように見えたことから「糀」と書かれたこともありましたが、まだその面影を色々な所で見ることが出来ます。

現在、我が国で使われている麹菌は「ニホンコウジカビ」と呼ばれる、日本だけにしかないものです。2006年に日本醸造学会はこれらを「国菌」として認定しています。

 

醤油の作り方

 醤油は大豆、小麦、麹菌、塩、水を原料として作られます。大まかな醤油の作り方は、まず大豆を一晩水につけて膨潤させてから煮ます。小麦は強火で炒ったのち冷まして砕きます。煮豆と破砕小麦とを混ぜ、これに麹菌を混ぜて保温した状態で3日間発酵させます。全体に麹菌が繁殖するとここに塩水を加えて混ぜ合わせて「諸味」を作り、これを発酵させて分離すれば生の醤油が出来上がります。

 昭和の中ごろまでは地方の農家では自分の家でこのようにして諸味を作り、その上澄みを醤油として使っていました。この上澄み液を漉して「火入れ」をすることにより発酵を止め、微生物を殺菌すれば「醤油」が出来上がるのです。

 大豆と小麦の原料を完全に液体にするには強力なプロテアーゼやアミラーゼの働きが必要であり、これらによって醤油の旨味であるアミノ酸などに変わっていきます。そしてこれらに乳酸菌と酵母が働いて醤油の熟成が進んでいくのです。

 

      掲載日 2020.1

 

 

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