2005年度の世界の大豆生産量は2億3千万トンと昨年に引き続いての豊作となりそうである。今年は比較的天候に恵まれたことも大きな力となっているが、なんといってもブラジル、アルゼンチンなど南米の大豆生産力の急速な拡大こそ現在の世界の大豆生産量を支える大きな力となっている。そこには、あまり知られていないいくつかのドラマが隠れている。今回はその一端を紹介したい。
今から20年ばかり前の世界の大豆生産量は約8千万トンで、その約65%を米国が生産していた。世界の大豆市場はアメリカが牛耳っていた、まさにアメリカの時代であった。しかし、この時すでに水面下で大きな変化が進んでいたのである。
1979年の年末にソ連の軍隊が国境を越えてアフガニスタンに侵攻してきたのである。この事態を重く見た米国は、米ソの直接対決を避けつつもソ連に圧力をかけるために、翌1980年1月4日、カーター大統領が対ソ連穀物制裁を行い、穀物1700万トンおよび農産物の全面輸出禁止措置を行ったのでした。当時のソ連は国内で不足している穀物を主としてアメリカから買い付けて補充するという状態でした。アメリカはこの食糧を対ソ戦略物資と見立てた行動に出たのである。この作戦は、1年4ヵ月後の1981年4月レーガン政権の手で解除されたが、逆にこのことがソ連に、アメリカ1国に食糧を頼る危険性を認識させたのであった。このアメリカの穀物輸出禁止措置は、結果的に、ソ連が世界の各国から穀物を買い集めて急場をしのいだのであるが、その割を食ったのがアメリカの農民たちであった。アメリカの農業は農産物を外国に販売することを前提に営まれており、突然の輸出禁止措置は農民の手持ち穀物の行き場をふさいでしまったことになってしまった。あたかもこの頃のアメリカ農業は、世界の穀物市場を制覇していた黄金時代で、農民は銀行から比較的高い金利で借金をしながら農地を広め、農機具を揃えて発展計画を描いていた最中であった。1年半後に輸出禁止措置が解除されたときには、それまでアメリカが抑えていた海外の穀物市場はその他の農業国によって占められており、このときからアメリカ農業は農産物の在庫を抱える、長い苦難の時代に突入することになるのである。この当時、アメリカで農民を相手にしていた銀行、農機具メーカーなどが相次いで倒産し、穀倉地帯の農地が投げ売られるなど深い傷跡を残していった。アメリカの大豆生産量のグラフがこの状況をよく示している。次のグラフに見られるように、世界の大豆生産量が順調に拡大を示している中で、唯一アメリカ大豆だけが長期間生産量の停滞を続けているのである。ソ連はアメリカに代わる穀物の調達先をアルゼンチンなど南米の国々を育成することによって道を開けていったが、アメリカはこれら一連の動きを阻止できない状況が引き続いて起こっていた。それは中南米の各国に発生した経済破綻による債務不履行のうねりである。これらの国々を救済するために世界銀行は、幾多の調整の後に南米の輸出品目、とりわけ穀物の輸出を軌道に乗せて経済を回復させることにしたのである。これら南米の国々に対する最大の債権国がアメリカだったので南米の穀物の輸出を黙認せざるを得なかったのである。こうして南米は世界の大豆輸出国への階段を上り始め、ついに2002年にはアメリカの生産量を追い越すことになるのである。

ブラジルが大豆の大生産国になるのにはもう一つのストーリーが隠されている。ブラジルの大豆の生産量は栽培面積を広げながら急速度で拡大をしており、今では近いうちにブラジル1国でアメリカを追い越すのではないかとさえ予想されている。このブラジルの大豆生産力の原動力となっている栽培面積の拡大には日本の力が大きく貢献しているのである。ブラジルの大豆増産はアマゾンの熱帯林の南に広がっているセラードと呼ばれる、痩せた潅木地を開墾しながら進められているのである。
1973年にアメリカは不作を理由に大豆の輸出規制を行った。このときに日本では、豆腐などが高騰し、社会が騒然としていたのでした。当時の田中角栄首相は、やはりアメリカ以外の大豆供給国を育成すべきだとしてブラジルを目指した。田中首相を乗せたヘリコプターが荒れ果てたセラードと呼ばれるブラジルの荒地の上を飛んだのが農地開発のスタートとなったのである。セラードはブラジル全土の24%を占める広大な面積であり、ポルトガル語で作物が育たない不毛の地を意味する「閉ざされた」という言葉で呼ばれている。農地開発は強い酸性である土壌に石灰を投入して中和することから始められたのである。この事業は2001年までの21年間に亘って進められ、34万5千ヘクタールを造成し、灌漑を整備し、入植農家を技術・金融両面から支援していったのでした。そのセラードでの大豆栽培は日本の国際協力事業団(JICA)を核に、大量の資金と長期にわたる技術供与を行いながらセラードを大豆畑に変えていったのでした。ブラジルにおけるセラード開発に日本の果たした功績は大きく、今ではかつてセラードだった土地からの大豆生産量がブラジル大豆全体の6割を占めるに至っている。
しかし近年ではADMやカーギルなど欧米の穀物メジャーによって、南米大豆の取り扱いは寡占化されており、且つブラジル大豆の品質面での問題もあり現時点では日本の消費者にはほとんど還元されておらず、そのほとんどが中国に輸出されている。日本は今もアメリカからの大豆輸入に頼っているのが実態である。
このようにアメリカは1973年と1980年の2度に亘って大豆の輸出禁止措置を行った。1973年の時には日本がブラジルの大豆開発を行い、1980年の時にはソ連がアルゼンチンの大豆開発に向かったのであった。結果的にはこの2回の輸出禁止によってアメリカは南米に強力なライバルを作ってしまうことになった。そしてこのことによりアメリカは10年間を超える深刻な農業不況に突入することになるが、その後の世界の経済発展、人口増大とそれに伴う畜肉消費量の拡大を考えると、結果的には地球上に食糧増産の地盤を固めることが出来たのかもしれない。
2005年度のアメリカ大豆は82.8百万トンと昨年に引き続いて豊作を予想されている。しかし、残された農地の拡大余力などを考えたときに、やはりアメリカ大豆に限界が近いと思わざるを得ない。その時にこそブラジル大豆に注いだ日本の努力が実を結んでくれることを祈るのみである。