加藤昇の(新)大豆の話
29. 糸引き納豆と寺納豆について
糸引き納豆
糸引き納豆のルーツは古く、かつて照葉樹林帯文化が芽生えた東南アジアの各地では大豆を蒸した後、納豆菌で発酵食品を作るという伝統が今も残っています。古代の照葉樹林帯文化とは稲作と密接に関連しているのです。この文化圏には糸引き納豆に類似した醗酵大豆として、インドネシアのテンペやオンチョム、納豆から変化したタイのトゥアナウ、ネパールのキネマと続き、それに日本の納豆を結んでみると、これらの食塩を用いない大豆醗酵食品によってみごとな三角形が形成されます。民俗学者の中尾佐助先生はこれに「納豆三角地帯」と命名しています。これらのことから、糸引き納豆は縄文時代の早い時期に南方漁労民によってわが国にもたらされたのではないかと言われています。
今では「納豆」と言えば糸引き納豆を指すようになっています。糸引き納豆は、枯草菌の仲間である納豆菌によって煮大豆を発酵したものです。これら納豆菌は土の中に多く存在していますが、空気中にも漂っており、稲わら1本に納豆菌の胞子が1千万個付着していると言われています。この納豆菌の胞子は熱にも寒気にも強く、更には酸・アルカリ、乾燥、紫外線にも強いという特徴に加えて、増殖スピードも早いという特徴も持っています。そのために、稲わらに包んで納豆を作るときには、まず稲わらを煮沸して雑菌を全て死滅させてから納豆菌を繁殖させます。こうして納豆菌は大豆タンパクを分解し、アミノ酸をγ-ポリグルタミン酸に変えて自分の栄養としているのです。このようにして作られたγ-ポリグルタミン酸は他の微生物が利用できないので納豆菌にとっては自分に有利な食べ物であり、納豆菌の生存戦略と言えるものです。しかし、人間はこのγ-ポリグルタミン酸を食品として利用することが出来るのです。
納豆菌による一連の反応によって大豆たんぱくは分解されて体への吸収率は向上し、さらにビタミンK2やナットウキナーゼという大豆になかった新たな機能を作り出し、骨密度を高めたり血栓溶解酵素を生成するという健康効果を発揮するようになります。また、納豆のγ-ポリグルタミン酸で作られているねばねば成分は網目状の構造を持っており、強い保水力が有り、γ-ポリグルタミン酸1gで最大5リットルの水を吸収するとされています。このような機能を使って乾燥地での植物の生育に活用しようとの動きもあります。
現在私たちが食べている納豆用大豆はその多くはアメリカなど海外からの輸入に頼っています。2018年度使用の納豆用大豆を見ると、アメリカ大豆が71%、カナダ大豆が6%、中国大豆が2%、そして国産大豆が21%となっています。このように私たちの納豆大豆の多くはアメリカで作られており、大粒・小粒など様々な遺伝子組み換えしていない納豆大豆が栽培され分別輸入されているのです。
寺納豆
我が国へ糸引き納豆が伝えられたのとは別のルートでもう一つの納豆が我が国に伝えられています。それは中国の黄河より北で生まれた、納豆菌の代わりに麹菌を使った納豆です。この納豆は、大豆と麦を煮て、それに麹と塩を加えて樽に仕込んで熟成させる納豆で、糸を引かない納豆です。まず、大豆を蒸して、これに麦の粉末と麹菌を混ぜて発酵させます。この一度目の発酵が終ると、これに塩と水を加えて2度目の発酵に入ります。これを1年間天日干しにしてから熟成に入ります。こうして複雑で味わい深い真っ黒な寺納豆が出来上がります。
この納豆は遣唐使や帰化僧によってわが国に持ち込まれ、中国文化とともに奈良、京都を中心に定着していきました。これらは「大徳寺納豆」、「浄福寺納豆」「一休寺納豆」などの名で知られるように仏教と共に中国文化として紹介されたもので、現在でも、京都、奈良などの古い寺院を中心に、限られた地域で造られています。すでに述べた通り中国で生まれた麹菌発酵食品は豆鼓として伝えられ、大和朝廷は大宝律令でこれを「豆醤」として、”醤院令”を施行して保護していきました。このことから京都・奈良を中心とした都の周辺ではこれら寺納豆が主流となり、これらの地域では糸引き納豆が毛嫌いされていた歴史がありました。そのために関西地方では近年まで糸引き納豆がみんなの食卓から敬遠されていました。
貴族社会で毛嫌いされていた糸引き納豆
「納豆」という文字の初出文献は、いまのところ藤原明衡(989-1066)が書いた平安時代末の漢文体小説『新猿楽記』とされています。そこには、平安京で一家そろって猿楽見物に来ている情景が描かれていますが、その様相は騒々しく卑猥なものに描かれています。その中に「食い意地のはった酒好きの女」が紹介されています。この女は、飲み食いにしか興味のない人間で、そのうえ、かなりのゲテモノ好きとされています。そして彼女の好んだゲテモノの中に「納豆」が登場してくるのです。文章の流れから考えてこの納豆は、当時の都の貴族や上流階級の者たちにとって嫌われていた、ねばねばして耐えがたい匂いのある「糸引き納豆」ではなかったかと思われます。
このように我が国では長い間、東南アジアから伝播してきた納豆菌による糸引き納豆と、黄河周辺から唐文化と共に伝えられた麹菌による寺納豆の2種類の納豆が定着し、それぞれの地域で食べ続けられて来ました。
我が国で育てられた納豆菌
我々が現在、一般的に「納豆」と呼んでいるのは、かつて蒸した大豆を稲わらに詰めて温めていると醗酵させられる「糸引き納豆」を指しています。これら糸引き納豆の分布は東南アジアから中国の南部をへて日本に伸びている、いわゆる「納豆三角地帯」と呼ばれる地域に普及しているものです。特に納豆菌は稲わらや土壌に多く生息していることから稲作文化との関連も強く、縄文・弥生時代から我が国に伝えられていた可能性が考えられます。しかし、長い間そのメカニズムについてはわからないままでしたが、沢村 真(東京帝国大農科大学教授)によって稲わらに付いている微生物が発見され、これを「納豆菌」と命名したのです。納豆菌は日本で育った「国菌」であり、光を感知すると胞子を作らない性質を持っています。胞子を作ると味が劣化し、「えぐ味」が出てくるとされています。
掲載日 2023.8