加藤昇の(新)大豆の話

12大豆食品は仏教によって育てられた

古代において、世界の主な食糧は狩猟と採取によって得ていた時代がありました。それは東アジアの地域に住む私たちの先祖にとっても同じことです。強いて言えば、私たちの地域は温暖な気候であっただけ周辺には動物や木の実が豊富にあり、採取などが容易だったと言うことが出来るかもしれません。しかし、紀元前5世紀ごろにインドで生まれた仏教が中国、朝鮮半島を渡って百済から日本に伝わってきたことにより大きく状況が変わり、当時の人たちの食習慣を大きく変えてしまいました。仏教もインドで生まれた頃と中国に伝わり広がっていった頃とでは、その内容もだいぶ変わっていますが、仏教の教えとして根底に流れていた「殺生の禁止」は、ますますその色彩を強めてゆくことになります。わが国の歴史を見ても天武天皇以来勅令として国民に、この殺生禁止を徹底していたことが知られています。ましてや寺院やそこで修行している僧侶にとっては獣鳥類の殺生、食用は厳しく禁じられており、大衆の模範となるべく植物食中心の食事へと強めていきました。しかし、私たちの体は必要な蛋白質を要求してきます。そこで仏教に携わる人たちは肉に代わる蛋白源を結果的に大豆に求めたのです。大豆には豊富な蛋白質と油脂を含んでいたため、肉の代役を十分に果たすことが出来たのです。このようにして僧侶たちの栄養をまかなうため大豆による食品開発が寺院を中心として展開されることになったのです。一部には中国からの帰化僧が持ち込んだもの、遣唐使が持ち帰った大豆食品もありますが、わが国の寺院やその周辺で盛んに大豆加工食品が開発され、登場してくることになるのです。豆腐料理、納豆、味噌、醤油、ゆば、豆乳、高野豆腐などなど、現代の我々が目にすることが出来る多くの大豆加工食品が生まれ、発展していきます。さらに、これら大豆食品を組み合わせた精進料理、会席料理、普茶料理などが生まれてくることになるのです。寺院の小坊主たちが大僧侶に見つからずにドジョウを食べる方法として考え出したのが「どじょう地獄」です。豆腐とドジョウを一緒に煮て、ドジョウが冷たい豆腐の中に潜り込んで見えなくなったまま煮あがったドジョウ料理などは厳しさとユーモアを感じさせる寺院料理のひとつだったのではないでしょうか。

 

 東アジアの仏教徒以外の人たちは家畜の肉を食べ続けることが出来たために、あえて蛋白源を肉以外に求める必要もなかったのかもしれません。そのために彼らは今でも大豆を家畜の飼料としか見ていないのです。彼らにとっては肉と卵と牛乳が得られれば自分たちの食糧は事足りる、との考えだったのでしょう。しかし、最近になってこのような見方に大きな疑問が湧き上がっています。肉食による動物性脂肪の摂取がいろいろな循環器系疾患を引き起こす可能性がある、との報告が相次ぎ、欧米の人たちの間で大豆蛋白を見直す動きが出てきています。特にアメリカでは、このことが国の医療費を圧迫する状況にまで拡大し、豆乳、大豆で作ったエナジーバー、大豆スナックなどを積極的に摂取するようにと推奨しているところです。今では「植物由来肉」として主として大豆を原料とした肉様食品が盛んに消費者に取り入れ始めており、21世紀の大きなうねりになっていく様相を呈しています。私たち日本人が世界でもトップクラスの長寿国を誇っていられるのも、大豆食品がその一端を担っているのかも知れません。

 

             掲載日 2019.7

 

 

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